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  1030日(土)朝9時フライトのANNで東京へ飛びました。

前の週末、土・日は熊本テレビ朝日主催のイベント(グランメッセ・総動員数約5万人)で2日間子ども達に遊びを教えました。また本業の仕事などなど連日の疲れで私も体調が悪かったのですが、妻はカゼで前日から声がかすれて出ず、熱もあり辛そうでした。

さらに、台風が近づいているようで、果たして明日は飛ぶのだろうかと不安でした。でも、夫婦で出席する予約もして、航空券も買っていましたし、大きな名誉でもあり欠席するわけには行かず、早朝熊本空港に行くと何のことはなく予定通り運行とのこと。朝9時熊本発の羽田着に搭乗しました。

 そんな多用で準備もままならず、ズボンの多少の汚れや、妻はスカートを荷物に入れ忘れた事など、飛行機の中で気付いて「時すでに遅し」と言う状態です。

 奄美大島に台風が上陸し、丁度羽田着頃に近畿地方に上陸するような事で心配ではありましたが、墜落する様なことはないだろうと飛行機とパイロットを信じていました。

東京上空になると激しい雨で空は暗く、飛行機は大きく揺れ、機内のあちこちから「わー」「きゃー」など聞こえて来ました。妻はもう少しで「もどす」ところだった様です。

 着陸はスムーズでほっとしました。モノレールを降り、浜松町からタクシーで会場の「アルカディア市ヶ谷」へ。館内で昼食を済ませ、(実はこの賞が決まって数日後、授賞式会場であるこのホテルの予約状況をネットで見たら既に満室でした。おそらく全国の受賞、入選者関係の方々などで予約されていたのでしょう。他を予約して、ここもキャンセル待ちをしていたのです。結果ここが取れ、他をキャンセルしました)、実はチェックインは3時からですが、妻の体調などもあって1時過ぎでしたが「特別」にキーをいただき、親切な配慮に感謝しました。10階の予約室へ着き、ほっと一息つくことができました。

 少し休んで、すでに1時開場の、5階・作品展示・表彰式会場に行き、受付で名前を告げると、「おめでとうございます」といわれ、「第13回日本自費出版文化賞 地域文化部門部門賞 原賀隆一」と達筆な筆文字で書いてあるピンクの大きなリボンを胸に付けて戴き、久し振りに誇らしく嬉しく思いました。

会場.jpg

会場には入賞・入選・1次選考通過作品や過去の入賞作品などを展示してあり、それぞれの方々の強い思い入れがあり、どの作品も力作で、個性的でした。

全国あちこちから、入選者、受賞者、出版・印刷関係者、マスコミ関係など多くの方々がこられていて、想像していた以上に大きな賞だと、改めて受賞の喜びと名誉があふれてきました

 2時から式が始まりました。自費出版をする方の相談にのる「自費出版アドバイザー認定式」。その後が表彰式です。

応募作品641点の中から1次選考120数点、2次選考で64点が決まり(入選)、その中から受賞作品の特別賞4点、部門賞6点、大賞1点です。

それらの賞に選ばれなかった方々は入選となり、多くの方々がご来場されていました(まずそのかたがたから表彰状が授与されました)。

私達入賞者11人が壇上横の特別席で待機、そして特別賞、部門賞、大賞の順で表彰されました。私は部門賞のトップバッターでした。部門賞、大賞は副賞(賞金)が授与されました。

この写真は、「自費出版ネットワーク」会員の安楽城出版・黒石昭二様が撮影したものを後日贈っていただいたものです。(もらっているのは私ですが、私が会長に授与しているみたいな感じです)

受賞.jpg

 今年から受賞者は5分程度のスピーチをとの事でしたのが、普段話している「グラフティ新装版」を出版した経緯と、自分の思いを言えばいいと思っていたし、約90分ぐらいの講演はもう何度も喋っていましたので、5分間程度ならほとんど自己紹介みたいなものだと思って練習(原稿)はしていませんでした。

他のかたがたはちゃんと原稿を書いてこられていたので、私はしまったと思いましたが、私は普段の講演でもそうですが、会場でその場の雰囲気や年齢層などを見て話します。日本語と熊本弁の2国語しかしゃべれない私は、脱線したり、きつい方言で笑われたりしますが、迎合せず自分の思いはきっちり述べます。そして、私なりの独特の体験とこのような本を書いたきっかけを短くまとめました。

 そして、いつもの自論ですが、「この本で現代の子ども達に物づくりの楽しさ、考える力を持つようになり将来の日本を担って欲しい。この本が未来の日本を救うことになると確信していますので、政府は子供手当でこの本を全国の子供に配布して欲しい」などと大ボラ(笑)を吹きました。

受賞コメント.jpg

会場の皆様方は大笑いでしたが、表彰式の後の「懇親会パーティ」ではいろんな方が話しかけに来られ、「お話には感動しました」などと交友を深めました。

ところが、このスピーチには後でかなり反省しました。というのはこの賞は「自費出版」の賞なのですから、もっとも大切なのは「自費」と言うことです。

私はほとんど金銭の工面はしないのです。経理(資金繰り)はすべて妻がやっています。

 だからこのスピーチで、「こんな本を出版して、夢を叶えてくれた妻に感謝して、この賞は妻に捧げます」と、言う部分を飛行機の中までちゃんと考えていたのですが、時間を気にしてついつい忘れていたことを、あとで眠れないほど悔やみました。(やっぱり、今後はちょっとしたスピーチでも原稿を書こうと決めました)

 全員の授賞式が終わって記念撮影。中央が日本自費出版協会理事長(審査員のお一人)の中山千夏氏。私はその左横にずうずうしく座っています。(いや、協会の方に席を促されたのです)

受賞者全員0.jpg

 撮影会が終わり、妻と一緒のところを係りの方に写してもらいました。

この受賞は二人で勝ち取ったものです。というのもこの応募を出したのは妻(発行人)だからです。

授賞式二人.jpg

だから、スピーチのときみんなの前でそれらのことを言っておいたら、妻もあんなに熱は出なかったのではないかと思いました。(私もですが、褒められると元気が出るからです)

 結果、夜8時頃パーティも閉会して、授賞式のすべてが終わり、やっと二人でホテルの部屋に戻ったところで、妻は気丈にふるまっていたのでしょうが、どっとカゼの症状が勢いを増し、高熱の襲われ、私はフロントから氷枕と風邪薬(市販のもの)をもらって、ホテルのタオルを湿らせて冷蔵庫で冷やしたりしました。

 そうするうちに、私はパーティでお酒を飲んでいたのでうとうと眠ってしまいましたが、妻は一晩中眠れずきつそうでした。

 翌朝、少しは良くなったようですが、相変わらず熱と咳は続いていました。

 だから、東京見物も何もなく、10時ちょっと前に(飛行機は午後1時発ですが)さっさと羽田へ向かい、お土産話にと、つい先日オープンした「新羽田国際線ターミナルビル」でモノレールを途中下車して一寸見物しました。

新羽田1.jpg



新羽田2.jpg

珍しさもあってか、江戸小路風のショッピング通りは大勢の人でごった返ししていて、飲食店などはどこも長い行列で、ゆっくり見て回ることも出来ない状態でした。

 田舎物の私としてはこの人ごみがつらくてすごすごと立ち去りました。そして、またモノレールで一番奥の第2羽田に行き、熊本行きの飛行機に乗り込み、やっと1泊2日ぶりに帰ってきました。

 熊本へ帰って二人の第一声は「やっぱり我が家が一番いいね。都会は疲れるね」でした。

妻は、1週間たった今はほぼ元通り元気になりました。

私は相変わらずです。根が「我が道を行く」というか、無神経、マイペースなのでしょうか、ストレスがあまりないようです。

 

19年前初めて自分の本を自費出版してからずっと、実にいろんな事がありました。まさに、「運命」が変わりました。

もちろん私達夫婦にとって「良い人生」になったのですが、やはり「運命」とはもともと「決まっているもの」「待つもの」ではなく、自分で「創るもの」だという事を今更ながら実感しています。

 皆様も、是非「自費出版」してみませんか。私が挿絵もふんだんに描いて、編集します。販売ルートもできるだけのことは致します。

運命が変わるかもしれませんよ。

過去に数人の方がかなりの部数販売されています。

今日は妻の誕生日。

 

私が1日で妻が10日ですので、この10日間は色んな人から「おめでとう」とか贈り物を戴いたりしますが、60歳(還暦)ともなると、何か複雑な気持ちです。

 

織田信長が愛唱していた『敦盛』の「人生五十年、下天の内を比べれば夢幻の如く成りにけり...」とあるように、六十歳ともなればもう人生のほぼ最終点に近づいています。が、まだまだ「人生は遊び心」で楽しんでいます。

 

本業では今、福岡県・八女市の観光イラストマップを制作中で、

遊び関係では

914日は山鹿市ロータリークラブで卓話、

915日は福岡県大木町で「遊び指導」(夫婦で)

1023.24日はKABテレビで遊び指導(予定)

 

 その間にも、各種の仕事(本業)を数種制作中です。要するに60歳になっても毎日結構多忙なのです。そして仕事を受けた以上何かあったら迷惑を掛けるので簡単に死ぬわけいかず、適度に節制・用心しなければならないのでそれが良い緊張感と健康法なのかも知れません。

 

 皆様も、「社会」(周り)から次々に何かを「依頼」されるような生活をすると、もしかして長生きできるかも知れません。いや、還暦ごときで長生きの秘訣もないですよね。ただ、私達夫婦は毎日が「朝起きたときが誕生、夜寝るときが往生」という毎日を過ごして、毎日全力で生きるのが楽しい人生だと思っています。

 

 ところで誕生日と言えば、もう故人となられた「薬師寺」の管長・高田好胤先生は、「自分の誕生日は母の受難の日、苦しみあなたを生んだ日なのだから母に感謝する日」といわれていました。

そう思うと、自分の誕生日には改めて母に感謝したいものです。

 

以前当店のスタッフだった中谷さんからの花束(1)が贈ってきました。しかし、当店は二人しかいないのでお互いに写真を撮り合ってあとで合成したものです。

 

 

中谷花、合成1.jpgまた、いつも自然が「健康」を創っていることを広げようと頑張っている「自然食品」などを頒布している野仲さんが花束(2)を贈ってくれました。

 

還暦花.jpgのサムネール画像

今月1日は私の、10日は妻の誕生日で、ちょうど1日は「日本自費出版文化賞・地域部門賞」を受賞したと、うれしくてあちこちに自慢(?)していましたら、日頃お世話になっている方々から次々とお祝いの贈り物が届いて、またまたうれしくなりました。

 

絆、焼酎.jpgこの写真は、当社が創業から33年間お世話になっている税理士事務所の

「税理士法人 絆」(隈部会計事務所)所長 隈部幸一様 から、

これまた、「薩摩焼酎・絆」という、鹿児島特選芋焼酎セットを戴きました。私が「焼酎生き甲斐」と言うことを知っておられたのでしょうか。

「絆」という焼酎を贈っていただいた「遊び心?」が楽しいです。

 

 この「隈部会計事務所」所長 隈部様とは、私が独立して「クリエイトノア」を創業した1期目から会計をお願いしているのです。しかし、当時は隈部氏もある税理士事務所にご勤務されていて、当店の担当でした。その後、自分で事務所を開設されたので私もそのまま引き続き、今度は隈部事務所についていったのです。

だから、当店の歩みは全部把握されています。もちろん毎月経理監査に来られる担当の方は何人か引き継がれてきましたが、隈部事務所さまとの「絆」はずっと続いているのです。

 

ところで、「絆」という言葉こそ、現代において日本人が最も喪失しているのかも知れません。

 

「絆」というのは、本来「もやい」とか「相互」を意味する言葉です。

 

それが欠如した世の中では、本当の幸福感を得ることは出来ないのです。

 

昔、とは言ってもちょっと前の私が子供時代は地域の色んな「絆」(相互・もやい)がありました。その頃育った人達はお互い色んな意味で助け合っていました。

 

現代の、不況感、各種の凶悪事件はそれらが崩壊(とまでは言わずとも)なった産物ではないでしょうか。だから、「ふるさと子供グラフティ」シリーズのような世界の復活を願って、自費出版したり、あちこちに遊び指導や講演などを仕事の合間をぬってやっているのです。

 

なぜなら、もう「還暦」ですから、いつ何が起こるか分かりませんので、生きている限り「絆」が心を支えていたあの頃を残し存続していきたいのです。

そういえば、隈部所長も私より1歳先輩ぐらいの、いわゆる「団塊の世代」です。やはり、当時私同様野山で実体験「遊び」で育った人達は「人生を遊び心」で謳歌しています。

 

今の子供達にも是非、遊びこそ人生の知恵になることを体感して欲しいと願っています。

昨日、ブログに書いた「第13回日本自費出版文化賞」受賞は、「特別賞」とお電話があったのですが、今日の正式発表では「地域文化部門賞」受賞でした。

以下、日本自費出版文化賞のホームページよりコピーしたものです。

今回の自費出版文化賞・大賞に選ばれたのは地域文化部門の『対馬国志』(永留久恵・長崎県対馬市)。審査にあたった色川大吉委員長は「40数年にわたる古代から近・現代までの対馬の歴史を綿密にまとめあげた大著。記述内容とその質、文章力のすべてにおいて大賞にふさわしいものとして満場一致で決定した」と、その選考理由を述べました。

賞名 書名 著者名 著者住所 発行者
日本自費出版文化賞・大賞 対馬国志 第一巻(原始・古代編)、第二巻(中世・近世編)、第三巻(近代・現代編)  永留久恵 長崎県対馬市 「対馬国志」刊行委員会
地域文化部門賞 ふるさと子供グラフティ(新装版) 原賀隆一 熊本県熊本市 クリエイト ノア
個人誌部門賞 天皇陛下と大福餅 -ある銀行員の昭和史- 秋葉 洋 東京都東久留米市 西田書店
小説・エッセイ部門賞 三十六年後の買物 中村秀眞 埼玉県狭山市 税理士法人アイム
詩歌部門賞 歌集 菜殻火 佐野恭子 北九州市小倉南区 せいうん
研究・評論部門賞 満州開拓民悲史 -碑が、土塊が、語りかける- 高橋健男 新潟県見附市 批評社
グラフィック部門賞 豚と共に 山地としてる 香川県丸亀市 山地としてる
特別賞 じょんのびよもやま日記 小林康生 新潟県柏崎市 越後門出和紙工房
特別賞 奈良朱し -私の奈良百句- 河合佳代子 奈良県奈良市 創栄出版
特別賞 人事労務管理事典 山岸俊正 東京都足立区 丸善プラネット
特別賞

林十江の生涯 -画仙人 世の中の人には似ざりけり-

 

となっていました。

13回日本自費出版文化賞

目的


我が国では毎年膨大な数の自費出版物が刊行され、一般書籍と並ぶ出版文化の重要な担い手になっています。自費出版物の中には貴重なものが多数ある筈ですが、それらは我が国の書籍流通機構に乗ることが出来ず、著者の苦心が報いられることは極めて少ないのが現状です。日本自費出版文化賞は、自費出版データの蓄積・公開活動と連動しながら、自費出版物に光を当て、著者の功績を讃え、かつ自費出版の再評価、活性化を促進しようとするものです。

応募資格


著者(個人、団体)が制作費用の全額または一部を私費で負担し、日本国内で出版され、主として日本語で書かれた書籍。著者の国籍は問いません(出版年度の制限については毎年決めています)。

  • いわゆる協力出版あるいは共同出版という方法も実際には製作費用を著者がほとんど全額負担しているもので、上記の範囲に入ります。
  • 定価のついていない(いわゆる非売品)も応募できます
  • ISBNコード(国際図書流通コード)の有無にかかわらず、応募できます。
  • 発行者(所)、印刷所は日本国内であれば資格・所属を問いません
  • 書籍単位ですので、違う書籍であれば(著者が同じ場合でも)何冊でも応募できます。

募集部門

 

1.地域文化部門

郷土史、地域誌、民俗記録、地域人物伝、記念誌等

2.個人誌部門

自分史、一族史、追悼集、遺稿集、旅行記、趣味等

3.文芸部門

A:小説、戯曲、詩集、エッセー、童話等
B:歌集、句集

4.研究・評論部門

研究発表(人文、歴史、法律、経済、社会、理工、他)、評論、評伝等

5.グラフィック部門

画集、写真集、絵本等

     

    選考

    ・第1次選考
     応募書籍全てを対象に行い、300400点を選出します。選出された書籍が第2次選考会に送られます。


    ・第2次選考
     各部門約10点程度を「部門入選」として選出します。この選出作品は、最終選考委員会に送られます。

    ・最終選考
     9月上旬に最終選考委員会を開催し、大賞、部門賞、特別賞等を決定します。

    東京都中央区日本橋小伝馬町7-16 日本自費出版文化賞事務局

    ================================

    といった内容の賞ですが、・地域文化部門に「ふるさと子供グラフティ」(新装版)を応募しました。全国からの応募数は以下のとおりでした。

    部門

    応募点数

    ・地域文化部門

     91

    ・個人誌部門

     137

    ・小説エッセイ部門

     172

    ・詩歌部門

     85

    ・研究・評論部門

     97

    ・グラフィック部門

     59

     合計 

     641

     

    そして、7月14日、2次選考会で、120点ほどの「入選作」が選ばれ、その中に入ったとの知らせがきました。

    ちょうどその日は福岡県大木町に「遊び指導」に行って帰ったら、はがきが来ていたのです。

    そして、本日(9月1日)最終審査が行われ、午後6時ごろ、東京の事務局から「特別賞」受賞の知らせが入りました。

    本当は、初版がちょうど「第13回熊本日日新聞社出版文化賞」を受賞したので、その「新装版」が「第13回日本自費出版大賞」で、

    どちらも13回、最終審査日が私の「還暦・誕生日9月1日」なので

    「大賞」が欲しかったのですが、やはり全国の600数点の中からですので、そううまく話が運ばなかったようです。

    しかし、「特別賞」ですから、誠ににうれしく名誉ある誕生日プレゼントになりました。

    今夜のビールは格別です。

     

     

あの有名な月刊誌『味の手帖』6月号に、私の話を掲載したいと『和の学校』からご依頼がありました。

 

00味の手帖6月.jpgその本のなかの2ページ見開きを『和の学校』が担当されているとのことです。

過去の執筆者は、伊住弘美様(和の学校理事長)、金剛永金謹様(金剛流家元)、山折哲雄様(宗教学者)、老川祥一様(読売新聞東京本社社長)、小松公平様(宝塚音楽学校理事・校長)、大倉治彦様(月桂冠社長)、橘重十九様(北野天満宮・宮司)、...ちょっと紹介しきれないほどのそうそうたる方々で、私が寄稿してもいいものかと思いましたが、ぜひと言われ、書きました。

このコーナーは、『私が薦める手土産』で、何か食べ物にまつわる話で、その食べ物を紹介したものとのことです。

私は忘れられない食べ物といえば、『山鹿羊羹』ですので、そのエピソードを書きました。

なぜ忘れられないのかといえば、自分の出生の出来事と、『絵』を職業にしたことの始まりだったからです。要するに今私がこうして生きている原点がそこにあったのです。

『味の手帖』6月号にそれを書きました。

 

00味、見開き.jpgそのときの描いたクレヨン画を再現したのがこれです。

 

00船の絵.jpgそして、温石(おんじゃく)絵画を良くしていたときの、思い出を描いた「ふるさと子供グラフティ」の1ページです。

00温石ページ.jpg

5月24日(月)熊本朝日放送のディレクターさんと、お笑いコンビの『風犬ナンジャばらし』お二人、カメラマンさんたちが当店へ取材(ロケ)に来られました。

『風犬ナンジャばらし』のお二人は、実に面白い人たちで、掛け合いがおかしくてたまりませんでした。彼らは毎年『M1グランプリ』に挑戦しているそうですが、3回戦で負けているらしく今年こそ3回戦突破を目指しているとのこと。(取材中のコンビをうっかり撮影していませんでした)

k0テレビ撮影.jpgその二人と一緒に、当店内や近くの野山へ行って竹笛を作ったりいろんなことをして遊ぶのを取材されました。

 

0,夢もやい1.jpgまた、5月15日『夢もやい館』で遊びの指導をしたときの様子もすでに収録されていましたので、それとこの日のを編集して、

0,夢もやい4.jpg

 

 

 

 

 

 

 

6月12日(土曜日)深夜12時30分放送の「5ch」のなかであるそうです。(夜遅い、というよりもう13日ですので、私も果たして起きておられるか余り自信がないので録画するかもしれません)

ところで、『ふるさと子供グラフティ』(30ページ)に『拡大器』のことを書いていますが、実際どんな風にして使うのかが興味あった様で、それを使うところを取材したいとのことでした。

 

k1グラフティ拡大器.jpg(編集されてどこまで放送されるかわかりませんが)

特に私の『ペーパークラフトシリーズ』(定価200円)(送料実費)で販売している『紙製』の拡大器が実際使えるのかも興味があったようです。(ほかにも『コドモ携帯電話』も作りました。)

 

k2拡大器セット.jpg当然ちゃんと使えるのですが、私たちが幼いころはいろんな雑誌の『付録』によくこういったペーパークラフトがついていましたので、手馴れているのですが、現代の子供や若い人たちはかなり慎重に作らないと、なかなかうまく出来ないかも知れません。

前日、組み立てていたものを使って、オードリー・ヘップバーンの写真を2倍に拡大して描きました。

1.最初、位置決めをして、左の固定する部分はテープで動かないようにします。

写真も画用紙も位置が動かないようにテープで止めておきます。

 

k3描き始める.jpg2.そして、『赤矢印』のところ(なぞる先)を見ながら、ゆっくり写真を正確になぞっていきます。

(あまり濃くならないように軽く鉛筆を持って)『筋書き』をします。右手の鉛筆は余り見なくてもいい。

すると輪郭線が出来上がります。(このときの鉛筆はHBが良いです)

 

3.輪郭線ができたら『拡大器』はよけておき(まだ固定点は外さないほうがいい。後でまた細かい線などを引くことがあるから)、仕上げは、3~4Bの柔らかい濃い鉛筆を使います。

目や口などはっきりした線は鉛筆の先を尖らして描きます。(輪郭線は薄いので写真ではよく見えませんが、きちんと描けていますのでそれを元に仕上げていきます)

 

k4仕上げ.jpg淡いシャドー(陰影は、軽く薄く書いた鉛筆を指の先でこすって広げます)

鼻筋などのハイライト(明るい部分)は消しゴムを使って仕上げていきます。

 

k5鉛筆仕上げ.jpg4.そうやって、描き出しから約30分ほどで「ほぼ」描きあがったものです。

 

k6ほぼ完成.jpgところが、これは『ふるさと子供グラフティ』にも書いているように、まったく絵が苦手な人は拡大器を使ってもなかなかうまく描くことはできないでしょう。

私が子供のころ、『拡大器』売りのおじさんのものすごいテクニックを見て、本物の拡大器(確か当時の価格は現在なら2、3000円ほどしました)を買いたいと母にねだったとき、「そんなのを使わず描けるように努力しなさい」といわれたように、おそらくあのおじさんは拡大器など使わなくても、かなりの訓練(絵の勉強)をして、うまく描けるのだと思いました。

今の私も、ほとんど拡大器は使わなくても『オードリー』や『鞍馬天狗』などはかなり描く事ができます。それは幼いころから、拡大器を使ったり、トレーシングペーパーでトレースしたりしながら、何度も何度も描いてきたからです。

でも私が幼いころから、さらに絵が好きになったきっかけはこの『不思議』な『拡大器』のおかげだったことは確かです。(いろんなものを描くうち、自然とデッサン力がついたと思います)

328日(日)は、妻(真知子)の母・西川チヨコ(妻の実家、山鹿市在住)の80歳の誕生日でした。いわゆる「傘寿」です。そして私と妻は同級生で今年9月に二人とも満60歳になります。「還暦」です。

 

そこで、3人揃って、神前で「傘寿」、「還暦」のお祓いをしに行きました。

 

真.隆.チ.jpg

そこで、大宮神社の宮司・杉谷様からお祓いをしていただいたのですが、社務所の中に私の描いた大宮神社の絵が掛けられているのを案内していただき、私はうれしくなりました。

「今度この絵を大きな案内看板にしても良いですか」と言われ、快く承諾しました。

 

色紙大宮.jpg私は5年ほど前、山鹿市の観光および地域活性化に頑張っておられる「山鹿協同隊」様からのご依頼で「山鹿24景」を描いたり、「やまがさろき」という豊前街道を中心としたイラストマップを描いたりしています。

「大宮神社」の全景図は、その24景の1景です。

下の絵は、A2判のイラストマップです。(年々景観が変わっています。これは2007年版)こんど、また描き直しのご依頼があるようで、楽しみです。

山鹿さろき07版.jpg

 パソコン(ブログ専用ノートパソコン)が壊れていたのでずいぶん何も書かずにいました。また今後は少しずつ書いていきます。

 

ただ、2月から今日までは、とんでもなく忙しかったのも重なっていたので故障しなくてもあまり書けなかったかもしれません。

 

実は当店(デザイン・印刷屋)は学校関係の仕事をたくさんやっていて、卒業式までに仕上げなくてはならないものを、毎年いろいろお受けし、やっています。

 

熊本市内の中学校弁論大会文集、湖東中学校卒業画集、東町中学校卒業画集、湖東中学校職場体験「ナイストライ」感想文集、桜木東小学校卒業生特集新聞や平成音楽大学のピアノ科学生のコンサートチラシ、チケット、プログラム、当店町内の町内新聞数種、いろんなお店のDM、ミニコミ紙、挨拶葉書、名刺や封筒、伝票など各種、それらをデザイン編集し、印刷、ページものは製本までを私と妻のたった二人でこなしています。それらはやっと終わってしまいました。

それから、西日本新聞社の毎月1回今年中連載のコラム原稿、福岡の「華峰」という季刊誌のコラム原稿出稿。

 

更にその間、213日(土)、20日(土)は、久留米の生涯学習センターで「昔遊びボランティア団体」の方々に遊び指導。

218日(木)は山鹿市立稲田小学校の全校生徒が体育館に集まっての「昔遊び」の講話と実習会をしました。

227日(土)は熊本大学付属病院の「こばと保育園」で保護者の方々と園児で昔遊びの講話と実習会。

 

また毎日、グラフティなど私の本を全国の学校などへ販売していただいている書店さんや教材店などへ本の荷造りをして配送もしています。

 

今日は、私のふるさと熊本県玉名郡和水町の町長選挙、議員選挙が323日告示、28日選挙即日開票ですが、その議員の方の選挙ポスターや葉書を印刷しています。(町長候補の方のは数日前に仕上げてすでに納めました。)

ただそれもずいぶん前からデザインをしなければなりません。

 

実際一日があっという間に過ぎていき、正月元日から一日も休んではいません。しかし、このような仕事をすること自体が、私にとっては「遊び」なのですから、きついとかつらいとか思ったことは全くありません。

 

そうこう言っていたら、今、自衛隊の方が来られ、野整備隊誌「野太鼓」約50ページの原稿が入りました。もう30年以上のお付き合いです。

明日からまた大忙しになりました。

 平成22年1月より、西日本新聞社企画シリーズ『食・農』のコーナー(月1回)に、1年間『ふるさと子供グラフティ』から季節に応じた絵と文が掲載されます。

第1回は1月10日(日曜日)で、「もぐら打ち」でした。

 

0もぐらうち.jpg「も〜ぐら打ちは十三日。十四日はドンドヤ。」と、大きな掛け声で、あちこち農家のかど(庭)をパーン、パーンと『もぐら打ち』して回る子供の風習があった。

しかし、本当にモグラが出てくるのではなく、女竹とワラで作った棒で地面を叩くだけだ。

 すると、家の人がごほうびとして餅をくれる。

この餅を明日の『ドンドヤ』で焼いて食べるのだ。

ただ、これで実際もぐらが退散して、被害が少なくなったのか定かではない。

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文章はほぼ200字以内ですのでこれくらいしかかけません。

『モグラ打ち』の詳しい内容(叩き棒の作り方など)は、グラフティに掲載しています。

 

次回は2月28日掲載予定です。

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 10日の新聞を見たら結構大きく載っていました。

すると同じ日の西日本新聞に、『福岡の偉人』を称える子供の作文コンクール受賞者が発表されていました。その審査委員長が『土居善胤さん』だったのです。また、その偉人のお一人が『西島伊佐雄先生』でした。西島先生は公私共にいろいろお世話になりました。また『子供の絵』も大きく影響を受け、先生との出逢いがなかったら子供グラフティは生まれなかったかもしれません。

 

土居様は、私が福岡時代印刷会社に勤めていたとき担当だった『福岡相互銀行』(現・西日本シティ銀行)の広報課長でした。私が熊本へ帰ってからもう35年ほどになりますが今もずっとお付き合いをしています。

 

そして、土居様は『短歌』で福岡市の桧春桜を救った『花かげの物語』(出窓社・1200円+税)の著者であり、桜を守ったきっかけを作った本人でもあります。

その本の内容は、福岡県の国語の教科書副読本にもなりました。昨年は、この原作を基にしたミュージカルも公演されました。

 

桜の並木が道路拡張で伐採されることになった春浅い頃、土居様は、

 

 『花守り・進藤市長殿』 

 花あわれ せめては あと二旬

 ついの開花を ゆるし給え

 

と、色紙に歌を詠み桜の木に下げたのです。それを見た福岡市の職員が進藤市長に見せると、

 

 桜花惜しむ大和心のうるわしや

 とわに匂わん花の心は     香端麻  (かずま・進藤一馬市長の雅号)

 

 と返歌が下がったのです。それからどんどんそのうわさは広がりました。

簡単に書いたのですが、その間いろんなことが盛り上がっていき、とうとう伐採はされず、桧原桜は残りました。

 

私が福岡を去ったあとでの素晴らしい出来事でした。

 

 

 

 

 

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