昭和の子供魂の最近のブログ記事

 今、日本は『100年に一度の不況(?)』とか言われていますが、私はそんなにひどいのかと思ってしまいます。私は今58歳ですが、40数年前の農山村で、子供(小学生)時代、携帯電話どころではなく家にも電話はなく、テレビも冷蔵庫も、石油ストーブ、エアコンもなく、まして村には病院は1つもなく、小さな診療所が2、3軒ある程度でしたので、自己管理が大切でした。

 毎日の食事は、朝は麦3、米7の麦ごはんと味噌汁に漬物、梅干ぐらい。ただし我が家で鶏を飼っていたので生みたての生卵かけごはんはよく食べました。

昼は、(もうすでに)学校給食でしたが、実においしくないパン、脱脂粉乳ミルク、野菜などの汁物おかずだけでした。ほとんどずるして残していました。(先生に見つからないように)

 学校から帰るとおなかはぺこぺこで、台所へ飛んでいくと、もちろん『おやつ』なんて言葉もなく、かまど(くど)に乗った『羽釜』(炊飯なべ)のふたを開けてみると、底のほうに『おこげ』が少しこびりついていたら最高に幸せです。それを粗塩でおにぎりしてほおばり(たまにカラ芋をふかしてあった)、みんながよく集まって遊んでいる場所に直行です。

 夕方まで夢中になって遊び、5時頃になるとみんな家に帰り、『風呂の水汲み』や『牛の餌やり』などのお手伝いをしていると、両親が野良仕事から帰ってきて、母は夕食の支度をします。

 夕食はさすがに少しはいいもので、麦ごはんは同じですがおかずには『塩サンマ』や『塩サバ』などの魚介類。または『ちくわ』『てんぷら(角天)』と野菜の煮物。サバなどの缶詰、などがあればかなりのご馳走でした。好き嫌いをいう余裕はありません。おなかペコペコですから。

 そして、お風呂。家族みんなでコタツ(掘りコタツ=木炭)に入っておしゃべりしたり、ラジオを聴いたりしながら、私はコタツでちょっと勉強していると、そろそろ9時。子供は自分で布団を強いて、床に就きます。

 朝は6時には起き、布団を上げて、顔を洗って着替えていると、母が朝食をコタツに運んできます。

いつもと同じ朝ごはんを済ませ、約3キロほどの道のりを約40分ほどかけて小学校へ着きます。

 これがほぼ毎日続く生活でした。でもみんないつも、おなかがよじれるほど笑っていました。

 現在の子供たちからしたら、まるで『原始時代』の暮らしのように見えるかもしれません。しかし、現実にわずか40年ほど前の日本のかなりの地域ではそれが常識だったのです。

 その経験をしてきた私たちは、都会のクリスマスイルミネーションやデパートの『おせち料理』、クリスマス商戦などを見ていると、どうしても『100年に一度の大不況』には見えないのです。

 私も決して余裕はないのですが、あの頃に比べたら、まだまだ贅沢な感じがしてならず、結構気楽な気分です。

ただし、「心」はあの頃のほうがもっともっと贅沢で満たされていたような気がします。

 

2009年3月

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