おじいさんの昔話の最近のブログ記事

 昔、熊本の松橋町の近くの村に『辻の城』という山城があり、豪士たちが居城し、そこに『お辻さん』という女性が住んでいた。

 

お辻さんはたいへんな力持ちでその評判は遠近にひびきわたっていた。

 

 その頃、近くの『宇土』を居城としていた『小西行長』は、すぐ近くにそのような怪力無双の女傑『お辻』がいるといううわさをきき、シャクにさわっていた。

 

 

01城.jpg 小西は『朝鮮の役』できたえた兵士の大軍をひきいて、陣鉦太鼓を打ち鳴らして攻めよせた。

 

 そのことを知った『辻の城』では、さっそく軍議が開かれた。小城とはいえ『家の子郎等※』なきにしもあらずであったからだ。

 

03小西.jpgとはいえ、小西の大軍勢攻めくるの報は辻の城の人々をふるえあがらせた。

 

 頼みのつなは怪力『お辻さん』のみである。お辻さんは辻の城にたてこもる人々みんなからたよられて得意満面であった。

 

 小西の軍勢は、一挙に辻の城をとり囲んだ。お辻さんはそれを見ると、せせら笑い、

「有象無象がやってきた。どれ、ひとつ私の力をあれたちィ見せておどろかしてやろうかね」

 

といい、城の近くにあった竹林の中から、まわり一尺(直径約三十センチ)ほどの孟宗竹を引きぬいてきて、それを左手で軽々ともち、小西の軍勢からよく見えるところで、竹の枝を右手でさらさらとしごいて落としてしまい、それからそれを無造作に自分のからだにたすきにかけた。

 

そして、普通の男が二人でも持てないような『大薙刀(おおなぎなた)』を左手に軽く引っ提げて身構えたのである。

 

 

02お辻.jpg このありさまを目のあたりに見た小西の軍勢は眼をまわし腰を抜かし、しりごみしながら誰ひとり前に進み出るものがない。

 

「こらぁ、いかん。とてつもにゃつよかぞ。」

 

「うかつにちかづいたら、どぎゃんなるかわからん。」

 

「竹のたすきたァ、見たこともない。」

 

と、小西の兵士たちは全て、すっかり臆病神にとりつかれて、お互いの顔を見合わせるばかりであった。

 

 大将小西行長はこの様子を見て、カンカンに怒り、大きな声で部下に言った。

 

「何たるざまか。たかが女ひとり、どんな怪力だろうとあれしきの女ではないか。こちらは朝鮮をふるい上がらせたほどの名誉ある小西の軍勢ぞ。ひともみにつぶせー!」

 

 大将の下知に部下の軍勢もひしめきたった。陣鉦(じんかね)太鼓の音も勇ましく、先陣は城門に達したが、竹のたすきをかけ、大薙刀を持ったお辻さんは全く心は動ぜず、城門の前に立ち塞がり、大声でどなった。

 

「飛んで火にいる夏の虫とは良く言ったものだ。命が惜しゅうなかならかかってこい。虫けら同然、棒振り同然のお前ら方、十人二十人は面倒だ、千二千で一度にかかってこい。」

 

 そして手にした大薙刀を振り回し、たちまち、先陣の五、六十人を斬り倒した。

 

04戦い.jpg 

 

この勢いを見た小西の軍勢は、またしてもひるんでしまい、『蜘蛛の子が散った』ように遠巻きに離れてしまった。

 

 お辻さんはこれを見て、いい気になり、

 

「さあ、どんな者でもかかってこい。風雷神でもかかってこい。」と大声をあげた。

 

するとどうしたことか、にわかに暗雲たちこめ、雷鳴が鳴りだし、電光が光り出したのである。 

 そして、お辻さんの大薙刀の穂先にあたり、ふっ飛ばせてしまった。

 

 

05かみなり.jpg雷神に大薙刀の穂をとられてしまって狼狽するお辻さんを見た

小西の軍勢は、今こそ『勝機』と、いっせいにどーっとお辻さん目がけて押し寄せた。

 

さすがの怪力お辻さんも素手では多勢に無勢、とうとう殺されてしまった。

 

小西行長は、お辻さんひとりにとはいえ多勢を無くしたことに怒り、『辻の城』の者たちは一兵残らずやっつけてしまった。

 

村人たちは口々に、

「いくら力があっても、あんな、神さんまでかかってこいというほど天狗になるもんじゃなかばい。」

 

「お辻さんのごつ一人だけずばぬけて強い者がいなければ、こげなこつにもならなかったろうに、他ん者があわれたい。」というのであった。

 

 ところで、その戦さは初夏だった。辻の城には大きな梅の木があり、毎年大量の梅干しを作っていたのである。

 

お辻さんの主人は、たいへん臆病者で、戦さのとき一番大きな梅の木にのぼり、葉の繁みにかくれていた。が、軍勢のどよめきに身体がふるえ、そのため梅の木がゆれにゆれ、戦がすんだとき梅の実は全部落ちていたという。

 

 

06梅.jpg 

■※『家の子郎等(党)』は、平安末期から鎌倉時代に発生した、有力者の家、またはその惣領(長男・跡取り=家の子)についている武士集団(郎党)のことですが、当時(戦国時代)、日本の各地にはそのような豪族が乱立していました。特に熊本は『肥後国衆』で有名です。

 

■『有象無象(うそうむそう・うぞうむぞう)(有相無相)』とは、仏教(哲学)用語で、姿・形を持っている『存在』と、姿・形によって現出させられた『存在(観念)』。現象と真理。という考え方で、結局、例えそのものが現実に存在するとしても、考えようでは、存在しないという『所詮全てこの世は無』であるという考えかたにもからみ、『取るに足らない雑多な人たち』というのにも使われるようになった言葉です。

 昔、あるところにおじいさんと、とてもかしこい孫が暮らしていました。

 

 ある日のこと、おじいさんが畑を耕していると、そこへ馬に乗った、いじわるそうなお侍が通りかかりました。

 

 実は、そのお侍はお城のお殿様で、よくお忍びで、一人馬に乗って城を出て、村人にあうとなんやかんやといじわるな『なぞかけ』を言っては困らせていました。村人は、その殿様を遠くから見つけるとそそくさと隠れていました。

 

 お城の家老や重臣たちも知ってはいたのですが、下手に忠言をすると逆にお手打ちになるかも知れないので、見て知らんふりをして、

 

1挿絵1.jpg「殿には困ったもんだ。全くまつりごと(政治)もしないし、領民からは嫌われているし、若君は頭もいいし、殿にはご隠居してもらおうか」

「とんでもない、そのようなことを言えば、即首ものぞ」と、なげいていました。

 

 

その日、おじいさんはあまりいっしょうけんめい鍬をふるっていましたので、目の前まで殿様が来るのに気づきませんでした。

 

いきなり、殿様は、

「おい、じじい、今日は今まで何回鍬をふるった。」

「えっ、あっ、へへぇ、そんなこと、いちいち数えておりません」

「あとでもう一回まわってくるから、それまでにちゃんと思い出して数えておけ。そうでないとひどい目に合わすぞ」と言って、馬で去っていきました。

 

2挿絵2.jpg おじいさんは、困った顔してすわりこんでいましたら、そこへ孫が野菜種をもってやって来ました。

 

「じいちゃん、どうしたんね、困った顔して」

 

「かくかくしかじかで、鍬をふるった数を言わんと、どんな目にあうやら、困った困った」

 

「なあんね、そんなら適当に1万8回と言うたい。なしてそれがわかったかと聞かれたら、お侍さんの馬は朝から何歩走ってきたのか、と聞き返せばいい」

 

と言って、先に家に帰っていきました。

 

 おじいさんは、それは名案だと元気を取り戻し、また畑仕事にせいを出しました。

 

すると、さきほどの殿様がやって来て、

 

「思い出したか」と言ったので、

 

「へえ、今ちょうど18回目の鍬をふるったところです。

ところで、お侍様の馬は、朝から何歩走ってきなさったか」

 

「うーーむ、じじい、それは誰かの入れ知恵じゃろう? 

なに、孫に教えてもらっただと。 

その知恵のある孫にこの薬を飲ませろ。もっと利口になる薬だ」

 

 お殿様は、幼い子供に知恵負けしたのがくやしくて、おじいさんに毒を渡したのです。

おじいさんは、その薬を家に持って帰りました。

 

 そして、孫に頭がよくなる薬だというのをやりました。

孫は、

 

「薬で頭がよくなるんなら、世の中あほうはおらんわい」

 

と言って、その薬をぽいと捨ててしまいました。

 

 その次の日、孫とおじいさんは、いつものように畑で仕事をしていましたら、またそのお侍が立ち寄りました。

 

 元気そうにしている孫を見てだまされなかったのを頭に来て、

 

「おいぼうず、薬は飲んだか」

 

と言いました。孫は、

 

「あい、おかげで昨日までよりうんとかしこくなったです」

 

3挿絵3.jpgと言ったので、殿様はびっくりして、お城にとんで帰りました。

 

 そしてあれと同じ薬をとり出し、ごくんと飲みました。

 

 その後、お城では『急の病(やまい)』で死んだ城主に代り、かしこい若君があとを継ぎ、政治も立派になりましたとさ。

 

 昔から、一俵の米は四斗(約60キロ)と決まっていましたが、江戸時代ある時期から、なぜか(現在・長崎県の)『平戸藩』だけは三斗二升(約48キロ)を一俵としたそうです。

 

 それにはこんな話が伝えられています。

 

 その昔、平戸にはたいそう頭の切れる殿さんがおったそうです。

 あるとき、参勤交代で江戸にのぼり、江戸城の大広間で酒宴が開かれたときのこと、座敷には全国津々浦々の諸大名たちがずらりと座っておりました。

 

 そのとき、いちばん下座でみすぼらしい絣の裃(かみしも)を着て座っておる一人の大名の姿を、将軍様は目にとめました。その大名は平戸藩の松浦公でした。

 

1飯食い.jpg ひざのうえに手ぬぐいを広げ、飯をすすり込むようにして食べているその姿が、将軍様にしてみれば、あまりにも奇妙に見えたのです。

 

「あそこの妙なむさくるしい大名はどこのものじゃ、ここへ呼べ。」

 

 将軍様の命で前に呼び出された松浦公に、将軍様は、

 

「おぬしのその裃はちと変わった生地じゃのう。また飯の食い方も変わっておるのう。ちと、不作法ではないか。どうして箸でつかまず、碗を口にあて、かき込むようにするのじゃ?」とたずねられ、

 

「はっ、恐れながら申し上げます。私の国は遠い西の果て、小さな島国で季候も悪く、米はわずかしかとれませぬゆえ、わずかな米は『年貢米』にあて、領民は粟、稗、それに芋ばかりを食べております。そこで領民だけにそれを強いるのは酷なゆえ拙者たち武士もほとんど同じものを食しておりますが、なにぶん粟や稗はねばりがないので、どうしても箸ではつかみにくく、白湯をかけかき込むくせが付いております。

 

 また、この裃は、拙者が質素なるゆえ、今日のために百姓たちが葛(かづら)や楮(こうぞ)をひいて、作ってくれたもの。それで、せっかくの裃が汚れないように、手ぬぐいをひざに掛けて食べていたのでございます。そのようなことで、先ほどからついついそのくせが出てしまい、大殿様には誠にご不快を与えてしまい、平にご容赦下さいませ。」

と答えますと、

 

2将軍.jpg

これを聞いていた将軍様は、わずかに目を潤ませ、

「許すも何も、そんなに貧しいにも関わらず、松浦公の藩は毎年きちんと年貢米を納めておる、誠に忠君領民の鏡なるぞ。よし、平戸藩今後年貢米は一俵が三斗二升でよいことに致す。」ということになったそうです。

 

こんなことは日本中で平戸藩だけの特例だったそうです。

 

◆ところが本当は当時、平戸・松浦藩は海外貿易で密かにかなりの財源確保、貯蓄をしていたようで、それが幕府に知れるのを畏れて、きちんと年貢を納め、参勤交代の時も出来るだけ質素を装っていたのかも知れません。

 

 当時の幕府は、赤穂浪士・忠臣蔵で有名な『赤穂藩』も『塩』の利権を狙っての取り潰しが目的だったとも言われているように、松浦藩の貿易『利権』は領地お取り上げ(=天領)になる可能性が高かったのです。

 

 それに気づいていた松浦公の防衛知恵だったのでしょう。当時の幕藩体制は、規定の年貢(地方納税)をすれば、『経済(経世済民=国を運営し民を救う)』は地方の力量であり、がんばれば豊かになったのです。

 

◆その点、今はどうしようもありません。稼げば稼ぐほど税金(国税)は高いし、どれだけ苦しくとも消費税からは、物を買う限り逃れられません。

 

◆もっと日本の政治は、領民の立場に立った、武士の政治をして欲しいです。『武士(国)』の最大の仕事は『防衛』『外交』『治安』です。そのために必要な税は喜んで払うと思います。

 

経済(財源)は、それぞれ地域の特徴があるので、地方に移譲すべきです。健康保健、(介護保険)年金もです。または「個人(家族)」の判断で『自己負担』すべきです。

 

◆教育も、自立を目指すため、政治(文部科学省)はあまり変な口出し(教え方・指導・強制)はして欲しくありません。

家族、学校、地域に権限を委譲すべきです。私達が幼い頃は、児童会議や部落(集落)会議などでかなり子供たちが自主的に決めてやっていました。

 

 

太郎がまだ六つか七つのときでした。

 歳末の今日は『もちつき』で、親戚縁者近所のみんなが集まって『もやい』でたくさんのもちをついたのでした。太郎の家は父親が家督を継いだ本家だったので毎年この家に集まってやりました。太郎はもちが大好きで、特に『あんころもち』が大好きでした。

 

親戚の良造おじさんが臼(うす)や杵(きね)を洗っていました。太郎はおもしろそうだったので、そばに行って見ていましたら、おじさんが、

「太郎か、今年はお前もついてみるか」

と声をかけました。

「ぼくもついていいの。つく!」

とうれしそうに言いますと、

「ああ、ええぞ。いっちょ、力んでもらおうか」と、おじさんは真顔で言いました。

臼杵ね.jpg 家でもちつきがあるだけでもうれしいのに、自分でもちがつけるなんて、太郎は有頂天になりました。でも、大人がつかう杵はとても子供では使えそうではないので、いろいろ考えたあげく『木鎚』を杵代りにしよ うと、納屋から持ち出してきて、それを台所できれいに洗って準備しておきました。

 

 昼過ぎ、また二人の遠縁の栄吉おじさん、茂作おじさんが手伝いにきました。これで太郎の父も含んで大人の男が四人になりました。

 

 そして準備が整ったところで、女衆が、『せいろう』で蒸され、真っ白い湯気をたてている『もち米』を運んできて、石臼の中に落としますと、「待ってました」と言わんばかりに、父と栄吉さん二人で力強く、杵を使って『ぺったん、ぺったん』と交互につき始めました。

そして、「えいさ」「どっこい」と掛け声をかけながら、杵のあがるタイミングを見て、もう一人の人が臼の中のもちを返したり水を打ったりする『手返し』をします。(三人つき)手返しは女の人の役です。

 

 『ペッタン、ペッタン』「えいさ」「ほっさ」「あらよっと」、田舎のもちつきは勇ましくて、とても格好の良いものです。太郎は手に『木鎚』を持って、みんなが勇壮にもちつきをしているのを側でにこにこしながら見ていました。

 

 ややもすると一臼目がつきあがりました。それを太郎のお母さんが取り上げ、そばの『もちとり粉』がふってある広い板の上に『ボタッ』と落とし、まず大きな『鏡もち』を作るため配分しました。女衆たちは手際良く丸めます。

 

 その後またすぐに二臼目の蒸された『もち米』が臼に入れられ、今度は良造おじさんと茂作さんがつきました。太郎は今度こそ途中でつかせてくれると思って、すぐそばに立っていました。すると、父が、

「太郎、もう少しはなれておらんと杵が頭に当たるぞ」と言いましたので少し離れました。 

 

 そして二臼目がつき上がり、同じように板に運ばれ、今度は女衆たちがいっせいにまるいもちにするため丸めました。

 また三度目のもち米が入れられました。今度も良造おじさんと父がつきはじめました。太郎は今度こそとぐっと近づきました。すると、いつもはやさしい栄吉さんが、

「こらこら、あぶないぞ。子供は離れて見とれ。あとであんころもちを作ってやるからな」と、本気で心配して叱りました。

 

もちつき.jpg 太郎は、良造おじさんにだまされたことがわかりました。これではいつまでたってもつかせてくれることはない。

『だまされたんだ、だまされたんだ』と思うと、くやしくてたまりませんでした。目にいっぱい涙を浮かべて良造おじさんをにらみつけてやりましたが、おじさんはもちつきに夢中でいっこうに気にもかけず『ペッタン、ペッタン』と、楽しそうにもちつきを続けていました。

 

 そして太郎は、拭っても拭っても次々に涙があふれ、とうとう「ヒック、ヒック」と泣き出しました。ところが、みんなもちつきで忙しく、

「太郎は何を泣いているんか?」と聞いてくれる人もいませんでした。

聞いてくれれば、「もちつきをやらせてくれる約束だったのに」と言えるのにです。しかし、良く見ると、大の大人があんなに汗を出して真剣についているし、手に持った『木鎚』を見て「そんなものでつけるか」と笑われるかも知れないと急に恥ずかしくなり、何かきまりが悪くなって、さっとその場を逃げるように納屋の裏の薄暗い『炭小屋』の中に入っていきました。

 

 その小屋に積まれた『炭俵』の、やっと子供が入れるようなすき間の奥の奥に入っていき、ここならだれにも見つからないだろうと思って安心しました。が、だれかが心配して探しに来ないかなという期待もしていました。

 

 しかし、じっと耳をすましていると、『ペッタン、ペッタン』ともちをつく音が絶え間なく聞こえてきて、ときおり良造さん、茂作さんたちの楽しそうな笑い声も聞こえてきます。太郎はまたまたどっと『くやし涙』があふれてきました。

 

 そして歳末の時期ですから土間の炭小屋は寒くて、歯がガタガタと鳴るほどでした。しかし太郎は「ぼくは怒っているのだから、寒くても、だれかがここに迎えにくるまでどんなことがあっても自分からは出ていくもんか」と覚悟を決めました。そうするうちに、とうとう眠ってしまいました。

 

 たくさんのもちがつき上がったのはもう夜になった頃でした。みんな『分家』の人達もそれぞれもちを配分し、みんなで労をねぎらうための宴会が始まり、みんなで祝酒をのみました。

 

 そして太郎の母は、あんころもちができ上がるとまず、『お初穂(はつほ』を奥の仏間にもっていき、仏壇にそなえました。そしていちはやく息子の太郎にも食べさせてやりたいと思って、

「太郎、太郎」と二、三度呼んでみましたが返事がありません。台所に行って女中さんに、

「太郎はどこへ行ったか知らないね」と聞きますと、「ああ、太郎坊はもちつきの最中裏のほうへ走って行きなさったようですが、その後は見ていません」と答えますと、母親は、

「ちょっと呼んできておくれ。あんころもちが出来たよってね。」 

女中さんは、裏口から外に出て、

「太郎ちゃん、太郎ちゃん、おっかさんが呼んどるよー」と大声で呼びました。それは太郎が隠れている小屋のすぐ前でした。

 

 太郎はうっすら起きていたのですが、その声ではっきり目が覚めました。そして太郎は「ははあ、やっとさがしにきたか。だましたくせに、だれが返事をしてやるもんか。もっと心配させてやる」と思いましたので、じっと息を殺していました。

 

 女中さんは耳をすませましたが何も聞こえてこないので戻って、「裏の方にはおいでんようですが」と言いますと、母親は「どこへいったんじゃろうか」とそろそろ本気で心配になりました。父親は、

「ばかが、そげん心配せんでいい、どこへいくもんか、一日中もちつきを見ていたのでつかれて寝てるのさ。」 母親は、ばかと言われなくてもさっさと寝間のほうへ走っていました。そしてすぐに帰ってきて、

「寝間にもおらんかった。ほんとにまあ、どこへいったんじゃろうか」

もう声もおろおろふるえてきていました。

 

 お父さんも、「なんや、寝とらんかったのか。じゃ便所を見てこい」「ええ、便所もくまなく見てきたし、落ちてもおらんだった」「外の便所は!」......「外にもおられんようです」と女中の声がしました。

 そのような父と母や女中のやり取りを聞いていたお客さんたちも、みんな酒がさめたように、

「ほんとどこにも見つからんとな。そらおおごと、ちょうちんだ、ちょうちんだ」と良造さんも立ち上がり、「わしが納屋を探してみる」と出ていきました。父親と他の人達もそれぞれちょうちんを持って屋敷の外まわりまで出て行きました。

 

 しばらくすると、一人また一人と帰ってきて、だれもが「どこにもおらん」と言いました。みんなお互いの顔を見て沈黙しました。

その時、女中の一人が、

「きつねにでもつままれやしたのじゃなかろか」と言いましたので、父親は、

「ばかなことを言うな。もう一回屋敷のなかを探そう」と、やや怒って言いました。

 

 太郎は炭小屋のなかで、みんなが外であちこち走り回りながら「太郎、太郎や」と呼んでいる声が聞こえ、母の声はもう涙声になっていましたので、もうこれ以上心配かけるのは悪いと思って、出てやろうかとしたとき、良造おじさんの声で「おーい、太郎、どこにかくれているんかー」というのが聞こえてきました。

 

「ちくしょう、おじさんのせいでこうなったんだぞ、まだ出ていくもんか。もっと心配かけてかたきうちをしてやる」と、またじっと息をころしてしまいました。また、しばらく遠くで探す声がしていました。

 

 ところが、そのあとに今度は父の声で、「太郎、太郎」と、もうほとんど涙声で探すのが聞こえてきました。もうこれが限界だと思いましたが、これだけ心配かけて、相当前から探していたのを知っていて出ていかなかったし、そうとう叱られるだろう、どういう言い訳をしたらいいのかわからずに急に悲しくなりました。

 

 そしてずっとこのままここに隠れていたら夜中は相当寒くなるし、どうなってしまうのだろうかと心細くなり、とうとう「おかあさーん」とちいさな声とともに泣き出してしまいました。

 ちょうどすぐ近くにいた母親は、

「ええっ? 太郎、太郎かい? どこにいるの」

「ここにいる」と蚊の泣くような声で返事をしました。

「ああ、こんなところにいたの」と母親はうれしそうにカンテラの光りをかざしますと、炭俵の奥に小さくうずくまっている太郎を見つけました。母は、

「はよう出ておいで」というと、太郎は

「でていかれん」と言いました。

「なしてね」

炭小屋.jpg「炭俵にはさまれて動かれん」と小さくうめくように言いました。実は、出る寸前にさらにせまいところに体を押し込んで、それのせいで出られなかったようにしたのです。

 

 母親は、大きな声で父親やみんなを呼びました。そして、積み上げられた炭俵を前のほうからどんどん取り払い、やっと太郎の姿が出てきたところを良造おじさんが、えり首をつかんでひょいと抱え出しました。母親は、

「太郎だいじょうぶかえ」と、いいながら服についたほこりをパッパッと手ではたき、泣きべそをかいている太郎をしっかり抱きしめました。

 

 そしてみんなで屋敷に帰りもとの宴会の座敷にすわり、

「良かった、良かった。見つかって安心した」と、みんなだれも太郎を叱ったり笑ったりする人はいませんでした。

 

 太郎は、本当はだれかが、きびしく叱ってでもくれたら、良造おじさんのうそつきをみんなの前で言ってやろうと思っていたのにがっかりしました。

 

 そして、安心してまた笑いの戻った良造おじさんはお酒を飲み直していましたので、まだまったく自分のせいということに気がつかないのかと、にくらしく思うと同時に、大人はうそをついても平気なのかと不思議でたまりませんでした。

 

 お母さんはあんこもちを出して、早く食べなさいとすすめましたが、一口だけ食べると、何かむなしくて、のどがつまったような感じになり、もう食べる気にはなりませんでした。

 

その様子を見ていたお母さんは、

「もう食べないの。あんなに昨日から楽しみにしていたのに。今日はほんとにお前はどうしたん? あんなところに入り込んで、何があったの」と、何度も聞きましたが、太郎はただうつむいて何も言わずすわっていました。

 

 そこへ良造おじさんも側にきて、ニヤニヤと太郎の顔をのぞき込むようにして、

「太郎さん元気がないぞ。なにがあったんじゃ?」と聞きますと、「フン」とそっぽをむいて、母親のかげにかくれました。母親は、

「おじさんが心配しとりなさるのにちゃんと答えてあげなさいな」

と言いますと、そのとき父親が、

「おいおい、そんなことをしちくどく詮索してもはじまらん。子供は大人はわからんことをするもんさ。もう食べんのなら、寝かせてやれ、寝かせてやれ。明日いっぱい食うさ。」

と、太郎は母親に連れられて寝床にいきました。座敷のほうではまた笑い声がしていました。

 

 太郎は布団ねむる.jpgにもぐると、何かどっと疲れていたようで、ぐっすり寝込んでしまいました。

 あと二回寝ると、楽しい楽しいお正月でした。

  昔むかし、高千穂の里に丹助(にすけ)という、忍術使いになりたくてたまらなかった子供がいました。それで、幼い頃から土手を飛んだり、走ったり、水に潜ったり、木登りをしたり、とにかくいろんなことをして体を鍛えました。

 

 15歳になると、親に自分の夢を話し、何とか説得し、持てるだけの米、塩、味噌を持って、仙人が住んでいるという高い山に登っていき、そして本格的に忍術の修行をし始めました。 

 

  1忍者飛び飛び.jpg毎日毎日高いところから飛び降りたり、飛び上がったり、ある時はめしも食わずに木の芽や木の実、草だけを食いながら何日も過ごしたり、またある時は滝の水にあたって心を清めたりしながら三年間修行しました。

 

 そうこうしているのを仙人はじっと見ていました。そして、ある日のこと仙人は高い岩の上に立ち、「これ丹助何をそんなに長い月日をかけて修行しているんだ?」と聞きますので、

「あっ、仙人様、おれはどうしても忍術使いになりたいんです」といいますと、仙人は、

「では一つだけ教えてやろう。あの大きな岩をそこから動かしてみなさい。」

「えっ、あんな離れた、大きな岩を、体を使ってでも動かせるわけがないです。」

2忍者仙人.jpg「それだったら当たり前の人間がいうことで、どんだけ修行しても忍術使いなんかになれるわけがない。」

「そういわれても無理なことは無理です。」

「だったらどんな忍術を使えるようになりたいんじゃ?」

「それは...どんな術といわれても...」

「並の人間が出来ないことをやってこそ術使いといえるんだ。ちょっと見ていなさい」というと、仙人は手に持った杖でその岩を指すとアラ不思議、大きな岩がごろんとひっくり返りました。丹助は、

「おおっ、すごい! 仙人様ぜひその技を教えてください」と言いますと、

「だからさっき教えただろう。あの岩を動かすよう、気を集中して念じるんだ。今まであれだけ修行を重ねてきたのだからきっとその大元の気力はついているずだ。」

というと仙人はフッと消えてしまいました。

 

 丹助どんは、「出来るわけないよな。しかし目の前で見たし、いやあれは仙人様だから出来るのだ。いや、仙人様が出来るようになるはずだと言っていたし、よし、やってみよう」とつぶやきながら、滝壺の近くの岩の上に座り込み、じーっとその離れた岩をにらみつけ、心で「動け、動け」と念じました。

 飲まず食わず、眠らず念じ続け、三日目の朝、朝日の光が射し込んでその岩を照らしていたとき、ずるずるっと少し横へ動いたのです。

  3忍者岩念力.jpg丹助どんは、「あっ!」と驚きましたがそのまま最後の力を振り絞って「もっと動け!」と念じますと、とうとう仙人が動かしたときと同じように、『ゴロン』と大きな音を立ててひっくり返ったのです。

 

 すると、またどこから現れたのか仙人が高い岩の上に立ち、

「これ丹助。ついに出来たようじゃな。もうお前は完全に忍術使いになったのだ。今後はどんな技でも自分で念じたことはすべて出来る。ただし、この技は決して悪いことで使ってはならぬ。他人の役に立つときにだけ使うのだ。自分の欲で使うと邪心が起きて必ず失敗し、二度とその技を取り戻すことは出来なくなる。」

と言い残すと、あっという間に消えていってしまいました。

 

 丹助どんは、やっと念願の忍術使いになれたので山を下りて、里の家に帰って、仕事をしようと思いました。

 そして山道をどんどん歩いていたところ、途中で一人の鉄砲をかついだ猟師と出会いました。その男は丹助どんに、「あんたはどっちへ行くんだ?」と聞くので、「あー、おれは里へ下りる途中だよ」「そうか、実はおれもそうだ。一緒に行こう」というので、適当な話をしながら歩いていました。

 

 丹助どんは一目見たときから『この男はただ者じゃない、おそらく昔からここらあたりにいる山賊の仲間の一人だろう』と察していました。しばらく歩くと案の定、その男は急に立ち止まり、持っていた火縄銃を丹助どんに向けて、

「おい、金めのものを出せ」と言いました。

 丹助どんはもう忍術が使えるので、余裕で、

 

「その、おまえさんの鉄砲は火縄銃かいな、水縄銃かいな?」といいました。猟師は

「バカな、水縄銃なんてあるもんか」とあわてて自分の鉄砲を見ますと、火薬に火を付ける『火口(ほぐち)壺』の中から水があふれて火縄の火もびしょぬれで消えています。びっくりして丹助どんを見ると、忍者のように指をくんでにこりとしているではありませんか。丹助どんが忍術で火縄の火を消したのです。

4水鉄砲.jpg それを見た猟師は「ワー助けてくれー」と一目散に逃げていきました。

 

 そうしてまた歩き始めたのですが、しばらくして今度は横の林から突然、三人の猟師(山賊)が現れました。逃げた猟師が仲間を連れて仕返しに来たのです。

 

「さっきはお前のおかしなまやかしにやられたが、今度は容赦しない」と言うやいなや三人はいっせいに『ドン、ドン、ドーン』と鉄砲を撃ち放ちました。

 さすがの丹助どんも今度ばかりは術をかけるすきもありませんでした。

 

 ところが、丹助どんは鉄砲の弾丸より速く、瞬間に高い木の上まで飛びあがったので、行方がわからなくなり、三人の猟師(山賊)達はきょろきょろしていました。

 丹助どんは里の村人のためにもこらしめてやろうと、また忍術使いの指を組み、

「エーイ!」と念じますと、三人はフワフワと浮いて、城下の代官所の方へと向かって飛んでいってしまいました。

 

5忍者最後.jpgそしてそれを見た丹助どんは、高い木からほわりと下りてきて、「よし、この仙人から学んだ忍術で、これからもっともっと技を研いて、正義のために使って、みんなが幸せな暮らしが出来るようにしたいと心に決め、里へと帰っていきました。

 

 

 

忍者の修行も、人生修行もどちらも『なせばなる(?)』

 

 

◆私達が幼い頃も、マンガ本、映画、後にテレビでの『忍者ヒーロー』にあこがれました。

 

◆マンガの「サスケ」「猿飛佐助」「伊賀の影丸」「忍者武芸帳」「服部半蔵」など。映画では市川雷蔵の「忍びの者」シリーズ、「霧隠才蔵」、また「児雷也」など。テレビでは「隠密剣士」(伊賀のとん兵衛、甲賀の金剛)「石川五右衛門」「仮面の忍者赤影」「忍者部隊月光(現代劇)」などがあり、各種時代劇では忍者そのものが主役だったり、敵役としてもしょっちゅう付き物でした。

 

◆それらの中で、まるで魔法のような忍術(ドロンドロンと煙の中から現れたり消えたり、大ガマに乗って現れたり、やや非現実的な)使いや、わりと正統的な、駆け足がものすごく速く、屋敷の塀ぐらいはピョンと飛び上がり、ぴょんぴょんと前転、後ろ宙返りしたり、アメンボウのように水の上を歩く(足に丸い浮き板をはめて)などして活躍する『忍者』にあこがれたのです。

 

■そして、現実には後者のような忍者は本当にいたということははっきりしていましたし、なるための訓練方法などもよく書いてありました。そこで、私達もかなりいろいろと修行(?)をしました。

 

◆いくつもしたのですが、よくやったのが、土手に『麻』(セイタカアワダチ草?)のような草が芽を出し始めると、それを飛び越すのです。毎日毎日、まだ二、三〇センチぐらいでも何回も飛びます。するとその種類の草は日に日に伸びていきます。数日間で約一メートルになりますが、それくらいまで毎日飛んできて何とか飛び越えられるようになります。最終的には二メートル以上まで育ち、ちょうど家の塀や一階の屋根ほどの高さになるのです。ということは毎日少しずつほとんど気にならないほどで育っているのですから、それを毎日飛び越えていくことで知らず知らず最終的には約二メートルほど飛べるようになるはずです。(昔の本当の『忍者』もこの修行で、高い塀もひょいと飛び上がれるようになったとのことが書いてあった。)

 

◆それを夢見て、友人達と毎日数時間がんばって飛び、訓練を続けました。ところが一メートルを過ぎた頃から、だんだん飛び越せなくなりました。1.3~4メートルほどになるともう絶対だめでした。

 

6忍者飛び.jpg◆結局よく考えてみると、その当時のオリンピックの『走り高跳び』競技でも2メートルちょっとで金メダルでしたので、あの草を飛び越えることが出来れば小学生で世界記録保持者になられたのです。

 

◆ところが、そのようなオリンピック競技者の練習と、『忍者』の修行は本質的に違うのだというような感覚があって、何となく『信念』があれば可能になるような気がしてならなかったのです。だから『挫折感』は起きず、また来年、その草が芽吹くのを待って「こんどこそ」と、また翌年もやりました。しかしまた途中から限界になりましたが、またまたと、ずっと高校生の時まで、気が向いた年にはやりました。

 

◆だから59歳になった今も、春、その草を見つけるとついつい飛んでみたくなります。

 

■そのように私達は幼い頃『忍者』にあこがれ、なりたくていろんな修行?をしたことが、信念を持って努力すれば、絶対いつかはなれる、「なせばなる」というような精神が付いたような気がします。

 

◆ただ、人間の一般的『限界』も悟りましたが。

■私と妻は、

「この数年間、私達はただがむしゃらに『メシ・イラーズ』を造って販売してきていたので、全く世の中の変化に気付かなかったのね」

「そうだね。でも環境は良くなったけど農業は衰退、海も原始の海になっているみたいだし、どうなったんだろうかね日本は。」

「みんな農業、漁業、工業、レジャーランド、旅館も辞めて、一体なんの仕事をしているんだろうね」

「そうか、ついに『マネーゲーム』が頂点に達し、みんな『株』やら『投資』金・銀などの『先物取引』、いや、もしかして、ずっと以前石原都知事が言っていた『東京湾カジノ構想』が進み、みんなギャンブルに明け暮れているんじゃないかな。ばかだなー、お金が食えるわけじゃないのに。」

 

◆「ところで、今日は旅館のご馳走にありつけると思っていたらさんざんだったから、久しぶりに『寿司屋』さんから『特上にぎり』でもとろうか。」

「いいわね。でも出前メニューはあったかしら。」「そういえば最近ほとんどとってないから。えーとここらあたりに確か、あった、あった、三年前のじゃあるけど一応電話してみよう。多少値段が上がっているかも知れないけど、お金ならどれだけでもあるから二倍三倍でも払うよ。............なかなか出ないな」

 

(迷惑そうな声で)

「あいよ、江戸前寿司ですが」

「あー良かった、やっていたんですね。花立の原賀ですが、特上にぎり二人前お願いします。」

 

「はいはーい、でも一週間後になりますよ。」

「えっ?一週間後?ああ、今テレビをみていたら、漁業が衰退しているとのことで、魚が入らないんですか」

 

「いいや、魚は毎日いやというほど自分で釣ってきていっぱい冷凍しているよ」

「だったら、すぐできるんじゃないですか?」

 

「いや、今六人出前の予約が入っているんですよ」

「たった七人目が一週間後ですか」

 

「わしは今ただ好きでにぎっとるけん、一日一人前ときめてるんですよ」

「えー!一日一人前で店がやっていけるんですか。相当高いのでしょ。」

 

「いや、特上なら五百円ももらえばいいよ」

「えっ???」

 

「数年前ずいぶん稼ぎ老後の生活費は十分あるし、毎日釣りに行くぐらいですからね。で、どうしますかご注文のほうは」

「あっ、いや、もういいです。今度にします。と言ってもまたさらに伸びるでしょうけどね。ハハハ」

 

「キャンセルですな。毎度『ガチャ』」。

「どうなってんの?」 

 

さらにテレビから、

TV「本日最後のニュースですが、数年前からほとんどの日本の銀行はアメリカ(ユダヤ系)の銀行の傘下になっていましたが、国内の融資利益の極端な落ち込みによって、ほとんど撤退することが決定しました。当然、かなりの銀行が倒産となる模様で、『ペイオフ』の一口座に付き、返却金『一千万円まで』もほとんど実行されないのは必至のようです。旧『郵貯』も今は民営『メル・バンク』で、同じように外国資本がかなり占めていて、貯金限度額も無制限ですが、やはり近々廃業となるようです。ただし、一般の国民への被害はほとんどなさそうです。それは、この数年ほとんどの人が貯蓄は微々たるもので、かえって住宅ローンなどの負債が、銀行そのものが消滅するので、全て帳消しとなります。」

TV「最後に天気予報ですが、最近、農・漁業、レジャーもほとんど減少していますので、天気に左右されることも少ないので、今回から中止します。いわゆる『明日は明日の風が吹く』っということで、今日のニュースを終わります。おやすみなさい。」(字幕で明日のニュースは午前8時、正午、夕方5時、の3回放送予定です。)と出て、7時に『日の丸』が画面に出て、『君が代』が流れ、7時3分に画面は『シャー』となった。

 

「おやすみって言ったって、まだ宵の口じゃないか」とすっかり暗くなった外を見るとどこもかしこも真っ暗で、本当にもうみんな眠っているかのようだった。

「それはそうと、本格的に『銀行破綻』が起きるなら、明日にも貯金を全額おろしに行こう」

07札束.jpg「そうね。でも2兆円もすぐ解約できるかしら」

「そうだね、100万円の札束が200万束だから、重量にして1束が約100gとしても約200トンで、10トン車を20台雇わなければならない。ましてそんな大量なお札をどこに置く、場所もないよ。相当広い倉庫がいる」

「そんな。どうしよう」

「仕方ないから何億かでも車で運べる程度にして、少しづつ引き出そう。メインは『メル・バンク』だからそう簡単にはなくならないと思うよ。明日さっそく行こう」

「もう、テレビもない、出前もない。仕方ないからもう寝ようか」

「そうねー、でも、まだちっとも眠くないから本でも読もうかな」

 

「ところで、みんなはどうしてもうあんなに真っ暗にして、眠っているんだろう。小さな明りもついていないんだよ。まるで停電のようにね。でもうちはついているから不思議だよね。」

「九電に電話してみましょうか。......もしもし、九電さんですか。花立地区のものですが、ここらあたりで停電していますか?」

「いいえ、今のところどこにも停電の報告はありません」

 

「うちや数軒と、信号機はついているのですが、街路灯に至るまでほとんど真っ暗ですよ。」

「ええと、お名前はどちら様ですか。」

「はぁ、原賀と言いますが...」

 

「原賀様ですね、あーお宅は『全日供給』で、口座引き落としになっていますね。今多くの方は朝の1時間とか夕方2時間など生活サイクルにあわせた『部分供給契約』をされていますので、夏場は朝早く、夜遅くや、冬はその逆だったり色々です。皆さん自然型生活で極力お金をかけないのです。当然、ガスや水道、電話などいわゆる公共料金は全部そのシステムにしたり、自分で管理しておられます」

「あー、そう言えばずっと以前に何か『契約書』の様なものが来ていましたが、うちは夜遅くまで仕事をしていたからでもあったのですが、当然どこも電気無しで暮らせるのと思ってなんでもかんでも『今まで通り』のところに丸を付けて、返送した記憶はあります。皆さんたちはしっかり『環境保護者』だったんですね。」

 

「いえいえ、もちろんそれもありますが、実は九電の方から、極力少ない時間制にして欲しいとお願いしたのです。発電能力の限界なんです。原子力発電は全て停止しましたし、その他の水力、火力発電所も『技術者』というか社員がほとんど辞めてしまい、現在『国家予算』で、いわゆる細々とやっているのです。今、ハゼの実で作る『手づくりろうそく』が人気のようですよ。皆さんもほとんどお金をもっていないのでかなり節約しているのです。」

「どうしてお金が無いんですか」

「は?誰も働かないからですよ。」

「どうして働かないんですか。そんなに不況は進んでいるんですか」

「いや、働きたくないんですよ」

 

「でも、例えば公務員とか先生は働きたくないっていったって、それは犯罪行為でしょ」「いや、仕事に来ないならどうしようもありませんよ。役所も学校も閉鎖しているところが多いですよ」

「ええーっ、じゃあ、国会議員は?」

「えっ、知らなかったんですか。もうずいぶん前から誰一人居ませんよ。もう誰も政治の必要性はないから、選挙にも行かないし、相当な名誉欲のある人は別として誰も立候補しないのです」

(うっ、ずいぶん長いこと選挙にも行っていなかった恥ずかしい)

 

「でも、病院はあるんでしょ?」

「あなたは刑務所、いや失礼、どこかに旅行していたんですか、それとも浦島太郎の親戚ですか?とっくにほとんどの病院は廃業になっていますよ。なにせ病人はいないし、車に乗らないから交通事故はない、自殺未遂はない、生命保険がないから保険金殺人はない、強盗も詐欺もないから警察も病院も要らないのですよ。犯罪者にしてももう数年前、ほとんど釈放され、その後は子供のケンカほどの犯罪しか起きてませんから刑務所も一カ所ぐらいです。もちろん再犯者はいません。」

 

「じゃー、国家予算は、大助かりですね。平和で病気も無く」

「いやいや、もうそろそろ年金も、福祉など全て打ち切るそうです。国家予算も、誰も働かないから税収がほとんど無いのです」

「はあ、なるほど。でも、そもそも、どうしてみんな働かなくなったんですか」

「はっ?あなたはまだ『メシ・イラーズ』を飲んでいないのですか? もう、世界中の人たち、いや、ペットに至るまで飲んでいますよ。実はこれを一粒飲むと一生ご飯を食べなくてもいいのです。人間『めしを食わなくてもいい』なら誰もきつい思いをしたり、上司の顔色うかがってぺこぺこ労働はしませんよ。また子供も勉強や考えることも、要するに面倒なことは一切せず、ぼーっとしていたいんです。そうしていても死にはしないのですからね」

「......」

 

「聞いているんですか、」

「あっ、はい」

 

「なんなら私は無料になって手に入れたので『予備』をいくつかもっていますから分けてあげましょうか。しかし、まだ飲んでいないなら、やめといた方がいいかも知れませんね。やっぱり人間は昔のように額に汗して働いた後の労働報酬で、どんぶりめしを思いっきり食うのが最高の幸せですもんね。私ももうその感覚はすっかり忘れてしまいました。もとに戻りたいですよ。しかし、もう仮に体は戻っても、働くとこなんてどこにもないし、農業しても買う人はいないし、このままボランティアで、九電で余生を過ごすことぐらいがせいぜい生き甲斐ですな。ところでお宅も、お金が無いようでしたら、時間供給に変更されてもいいですよ。手続きは電話で結構です。ついつい、昔のまま生きている人が懐かしく長話しをしてしまいました。またいつでもお電話ください。おやすみ(ガチャッ)」

 

「おやすみなさい」(プー、プー、プー)

受話器は手から滑り落ちた。

 (終わり)

(2)からの続き。

 せっかくの骨休みにゆっくり1泊でもしようと思っていたのに、旅館は閉館ばかりじゃ仕方が無く、帰ろうと車に乗り、エンジンをかけるとガソリンメーターがかなり低くなっていることに気がついた。

 帰りにガソリンスタンドに寄らなくては、おそらく帰り着くまでもたないような気がした。「おっ、あそこにあった。」と、車を入れた。『閉店』の貼紙である。また走ると、またスタンド。また『閉店』。どこもかしこも閉店している。私は『行きは良い良い』(ほとんど出かけ無かったので、いつもマンタン状態だった)で、改めてガソリン・メーターを見なかったのである。ほとんど絶望的になってきた。そう言えば、いつもこの季節には渋滞するのに、なぜかほとんど車も少ない。

 

04車帰り.jpg◆どうかして、とにかく帰り着かなければと、阿蘇からの下り坂(ミルク・ロード)を利用して、ギアをニュートラルにし、エンジンを切って、転がしながら大津まで下った。なんとか、E(エンプティ・ネスト=空っぽ)のメモリよりちょっと残っている。この針の位置で、まだ確か34リットルは入っているはず。リッター当り8キロ近くは走るので、まず帰り着くと判断し、エンジンをかけて、やっと帰り着いた。もちろん、その間一軒も営業中のガソリン・スタンドも見つからなかったのである。ただ、良く考えてみると今日は日曜日だし、たまたま、閉店と店休日が重なっただけだろうと思った。

 

■なんとか、家に着き、何か数年振りに二人でゆっくりテレビでも見ようとスイッチを入れてみた。どこの局も『テストパターン』のような制止画像や、『シャー』っと、以前まで何かやっていた局が、ほとんどなんの放送もしていない。

 

「なんか変だね。テレビは何にもやっていないよ。新聞を見て」というと、

妻は、

「新聞はこの前、週に一回だという通知が来ていたようよ」と言った。

「ふーん、もうそこまで不況が進んだんだね。新聞や、テレビは広告で成り立っているからね。まあいいか、これから子供達も変なテレビは見らないで一生懸命勉強する時間が増えればいいよね。」

と、NHKは何かやっているだろうと入れてみると、怠惰そうなアナウンサーが一人で、『ニュース』をやっていた。

 

05ニュース.jpgTV「今日、先月の『ユニバーサル・スタジオ』に続き、あの『東京ディズニーランド、ディズニーシー』が急に閉館しました。昨年まで、連日史上最高の入場者を誇っていたのですが、最近急激に減り始めたようです。...」と聞いて、

 

私「そうだよね。やっとみんな、遊んでばかりじゃどうにもならないって気付いたんだろうね。」と言っていると、ニュースは続けて

 

TV「観客の減少の原因は...館内の従業員がほとんどやめてしまったので、イベント、着ぐるみ、ショー、レストラン、ショップが運営出来なくなった模様です。

また、それと同様な現象でマクドナルド、ケンタッキー・フライドチキン・ミスター・ドーナツなどのファーストフード・チェーン店もほとんど廃業しました。いわゆるフリーター、アルバイターの確保が出来なくなったそうです。」

 

私「それも納得、やっとみんなもっと生産性のある職業に付いたのかな?」

 

TV「先月お伝えしましたニッサン自動車の廃業に続き、明日をもって、世界最大の『トヨタ』も廃業することになり、日産に続く『自動車産業』はこれで全て廃業となりました。」

 

私「へー、廃棄ガス問題や石油問題も解決して、まるで江戸時代のように環境に優しくなってきつつあるんだ」

 

TV「トヨタもやはり従業員の確保が得られなかったのが廃業の原因だとされています」

私「みんなもとのふるさとに返って農業でも始めたのかな?」

 

TV「次のニュースですが、全国あちこちの川で、メダカやゲンゴロウ、ホタル、いやその他のいろんな生物が昭和三○年代のように完全に戻ってきたという報告が相次いでおります。...」

 

私「へー、やった。ついに人間は自然を取り戻したんだ。」

 

TV「この現象は全国でほとんど農業が衰退した結果の模様です。この数年全くというほど、農薬も科学肥料も使われていません。...」

 

私「えっ、やっぱり農業もとうとう後継者不足や価格低下で廃業しているんだ」

 

TV「そろそろ海水浴のシーズンがやって来ますが、昨年の夏は、あちこちの海岸で、クジラの大群が押し寄せたり、さらにサメも大量に出没したため、かなりの死傷者を出しました。今年もおそらくそれ以上の現象が起きると予想されていますので、海水浴は控えるか相当安全を確保してください。」

 

私「だから前から言っていたんだ、クジラもサメも、どんどん捕って食わないから、増えすぎたんだ」

 

TV「やはり、数年前からの『海の家』の消滅、漁業の衰退により魚介類が増えすぎて、それを餌に近海までやってくるようになった模様です。」

 (4)に続く。

◆地域紛争はほとんどなくなり、みんな明日への不安から開放されたのである。

ところが、餓えの無くなった発展途上国、いや中国、インドなども含んで、『人口爆発』はすさまじいもので、地球人口は70億を超えたであろう。

そのつど、各国大使館から、直接大量の『メシ・イラーズ』無料援助嘆願が相次いだ。

日本政府もODA予算を捻出すると言ってきたが、国の財政赤字を考慮し、てい良くお断りした。

そして私は全社員に「地球を救おう!(無料配布)」と宣言し、賛同を得た。

社員も最初は全員『国際貢献』だと不眠不休のようにがんばった。

 

■当然のように、『ノーベル財団』から、直接電話がかかり、「今回の件であなたにノーベル科学・平和賞の授与が決定しました。つきましてはトロフィーと、副賞はダブル受賞ですから2億円が贈られます。〇月〇日、ストックホルムにおいでいただきたい。」とのこと。

私は、「ありがとうございます。ただし財団の歴代受賞者名簿に記帳していただくだけの名誉だけで結構です。英語が出来なく、カエル飛びがキライですのでお伺いしません。またお金は貧しい方々に寄付して下さい。」と答えた。

 

そのような中、社員たちは、こんなに高い給料なのにかかわらず、

「一身上の理由により辞めさせてください」と、一人、また一人と次々に会社を去って行き、とうとう私たち夫婦だけとなった。

当然のことであるが、何のために働くのかと言う理由が無いのである。「食べなくてもいいのだから」だ。私はまだそのことに気づいていなかった。

 

■『メシ・イラーズ』の生産もほとんど停止し、諸外国にも事情を言って、出荷は停止した。しかし、もう山のような財産も出来たし、妻と二人でゆっくりしたいと、『製法』を公開し、ただ同然で『国連』に「特許」を寄付した。

 

■この数年間、ほとんど外との交流も無かった。妻は

「どこか温泉でも行きましょうか」と言うので、

「そうだね」と出かけて行った。

 

出掛け.jpg◆私達は、車窓から見た、街の風景がどことなくおかしい(ほとんどシャッターが閉まっている。空き店舗が多い)気がしたが、

「巷では不況はまだ続いているんだな。うちは億万、いや兆円富豪になったのにね」

と言いながら、とりあえず、阿蘇の方に向かって車を進めた。

 

◆そういえば、もうずいぶんスーパーにも行っていなかったのである。朝早くから夜遅くまで仕事をし、好きなウィスキーは近所の酒屋さんが配達してくれたし、

『メシ・イラーズ』を飲んでいるので、ご飯はほとんど食べていないのである。たまに、酒のつまみに冷凍してある刺身を解凍して食べていただけだった。商店街も長く見ていなかった。

 

■やっと、温泉地に着いた。一軒の旅館に入ろうとしたら、玄関に貼紙があり、『都合により閉館しました』と書いてある。仕方なく次の旅館に行くとそこもまた同じように閉まっていた。あたり一帯数十軒の旅館・ホテルことごとく『閉館』していたのだ。

 

◆ところが、ある旅館(閉まっていたが)の、外にある露天風呂にお年寄り夫婦が気持ちよさそうに入っていた。私は、

「ここのお風呂は入ってもいいんですか。お金はどこで払うんですか。」と声をかけた。おじいさんは、

「なーんの、ただ(無料)、ただ。もうここの旅館の主はとっくに閉めて誰もおらんよ。」

「へー、景気が悪かったんですか?」

「いいや従業員が全部やめてしまって、商売にならんごとなってな。その前から客も素泊りか温泉入りだけで、飯バ食わんとですたい。温泉旅館は『食事代』が稼ぎ口で、温泉だけ入る23百円は大して売り上げにはならんとですよ。だけん一泊二食付きで温泉は入り放題、それを12万円で稼ぐのですたい」

「どうしてお客は食事をしなくなったんですか...」と言いかけたとき胸がドキッとした。案の定、おじいさんは、

「どこの誰かは知らんが、飯ば食わんでもよか薬バ発明したけんだろ。」と、はき捨てるように言った。私達夫婦は一瞬言葉につまってしまった。

 

03露天風呂.jpg

◆ただその言葉に続けて、

「まあ、わし達はこの近所に暮らしているんだが、東京にいる息子がその薬を買ってくれたばっかりにこうやって長生きして、なんの心配無く暮らしてはいるがね」といい、

「あんた達はその薬はまだ飲んでいないのかい?」と聞かれ、私は

「えっ、あ、一応...飲んでいます」と答えた。

「だろうね。仕事もせんで遊んでいるからね。あんたがたもそこらへんの木に服は引っかけて入るたい。気持ちよかよ」と言ってくれたので、私達も入ることにした。

 

◆四人でお湯につかっていると、今度は、若いカップルがやってきた。

「ちょっとー、ここだけ温泉をやっているみたいよ。ねえ、おじさんここ入ってもいいの?」と聞くので、

「あっ、いや、いいけど...」(こんな若い女性との混浴したこと無く戸惑った)というと、

「やった!ずいぶんさがしたのよね。やってるところ」と言うや否や服を脱ぎ始めた。

 

私は、タオルで顔をふくように見せかけ、目を覆ってしまった。その瞬間、

もちろん「掛け湯」もせず、『ジャブーン』! 若い二人は飛び込むように私のすぐ側に

入ってきた。

 

◆すると、その女性は、私がタオルで顔をふいていたので、下半身の覆いが無く、

突如、

「やだー、このおじさん、セクハラー!」と叫んだ。

私がやっと目をあけて見ると、その若い男女はしっかりと『水着』を付けていたのだ。

 

◆もう、ほとんど興ざめで、逃げ出すように、そこを去った。

 (3)へ続く。

■二○XX年、私は5年間ほど、犬や猫に始まり、私や妻、お互いの両親などで実験を重ね研究してきた。それは1カプセル飲めば、生きている間『食事』をしなくてもいい薬をついに発明した。

 

01完成.jpgそれは、二十世紀後期から販売されていた、天然素材で作られた、いわゆる『人間用堆肥(発酵栄養物質)』である『万田酵素』(良質健康食品)と同じ様な製法で、さらに効能を高め、小さなカプセル大にしたのである。

 

 その薬は、体内で『酵素』が培養増殖され、『水分』は空中の酸素と水素で合成する機能を持っているので、永久に『食物』が要らないのだ。要は、『栄養失調』(ほとんど病気もしない)『餓死』することはないのである。いや、『美食』『酒』などや、今までの『食生活』も適当にするのは一向に構わないが、『添加物』『農薬』などを考えると、これだけのほうが健康的とも言えるほどであった。

 

◆私はこれで億万長者になれると確信した。ありとあらゆる、出来るだけの借金をして大量生産体制のため100名ほどの社員を雇用し、宣伝販売を開始した。

品名は『メシ・イラーズ』である。

 

◆ただし、1粒30万円にしたので、当初は、ほんの少しずつ「ものは試しに」と言う程度しか売れずに半年近くは全くの赤字経営となった。資金は底をついてきた。

 

◆ところが、一年もすると、

「全く腹が減らずに体は健康で、どんどん仕事ができるのでお金もたまった」

「年寄り夫婦でほとんど収入が無かったのですが、思い切って買って良かった。一回も病院へ行かないし、もう死ぬまでなんの心配も無くなった」という『うわさ』があっという間にひろがり、想像を絶する量の注文が、日本全国から押し寄せ、生産が間に合わない状態となり、フル稼働で生産した。

 

02感謝.jpg■『メシ・イラーズ』の原料はもともとの原液タンクのなかに、『アケビ』『カライモ』『わかめ』『ギシギシ』『ニンジン』『玄米』...などを、適量ぶち込めば発酵してどんどん自然増殖する。それに約300トンほどの圧力をかけ濃縮し、原液50キロ分を...(おっと、企業秘密だった)というようにほとんど原材料はかからず、量産体制が安定したので、どんどん出荷できた。

 

◆2年もしないうちに、約3000万粒出荷し、会社の財産は数兆円に達し、従業員達も平均月給1億円だった。さらに私も全社員、その家族も、みんなこの薬を飲んでいるので、ほとんど食事代はかからず、当然光熱費も安いものである。おそらくみんなもう孫の孫の孫まで生活に困ることはないというものだった。

 

◆そこで私は、一大決心をした。

もうかなりの人は『メシ・イラーズ』のため安心した生活をしていたが、高価なため、貧しい人たちはどうしても買えない人がいた。そこで、日本のその人たちや、アフリカ、中近東、東南アジアなどの貧困と餓えに苦しんでいる人たちにまで、出来る限り生産して、『無料』で配布した。

(2)へ続く。

昔、あるところに、一人の若い石工がおりました。毎日毎日、石切場に行き、『トンチン、トンチン』と石を切って、汗を流していました。

 ある日のこと、昼飯をすませた石工は、ちょっと一服と横になりながら、空をながめ、ひとりごとを言いました。

「オレは、朝早くから夕方は遅くまで、手にはマメをいっぱい作って働いているのに、おてんとうさん(太陽)はただぴかぴか照らしていればいいし、楽なもんだよなー」......

「そうだ、オレも明日からおてんとうさんの仕事をしよう。」と、石工は次の日から太陽の仕事をすることにしました。

01石工.jpg 

朝起きて、夕方山にかくれるまで、ただピカピカ照らすだけの気楽な仕事が続きました。

「こりゃー、楽なもんだ。朝はちょっとねむいが、あとはなーんもきつくない」

 ところがある日、どうしたことかあたりが真っ黒になり何も見えません。石工の太陽は、「何だこれは、真っ暗で照らせんじゃないか」と、目の前をさわってみると、それは真っ黒な『雨雲』だったのです。

 そして下界を真っ暗にすると、激しい雨を降らせ始めたのです。しばらくすると、雨をやめ今度は『いわし雲』に姿を変え、すいすいと大空を泳ぎ、次はモクモクと大きな『入道雲』にと姿を変えて楽しんでいます。

  02雨雲.jpgそれを見ていた石工の太陽は、

「こりゃ、雲の方がおもしろそうだ。明日から雲の仕事をしよう。」といって、次の日から雲になりました。

03雲.jpg

 

 石工の雲は、あちこちに行っては、真っ黒になったり、気ままに形を変えたりして大空にゆうゆうと浮かんで、楽しく遊んで暮らしました。

 するとある日、突然ピューッととんでもないところへ吹き飛ばされてしまいました。

04.1風.jpg

「なんだなんだ、こんなはずじゃなかった。雲より強くて、いい仕事があったのか?」と、よく見ると、それは『風』でした。

「これはいかん、こりゃ風の方が良い。すぐにでも風の仕事をしよう」と、今度は大きな風になってあちこち吹き飛ばしながら遊んでまわりました。

05風.jpg 

ところが、どうしたことか、石工の風は吹けども吹けどもびくともしないものに出会ったのです。

「こりゃ、一体なんだ」と、まわりを見渡すと、それは田んぼの『土手(どて)』でした。

「なるほど、いろいろと仕事を変えてきたが、土手はいい。ただデンと座って何もしなくてよい。これは一番いい仕事だ。明日から土手の仕事をしよう」と、今度は大きな土手になって、ずいぶん長い間ゴロンと寝そべって暮らしました。

06土手.jpg 

そんなある日、腰のあたりがむずむずしてきました。

「こりゃどういうことだ」と、石工の土手はよく見ると、なんと『モグラ』が穴を掘っていました。

 長いことゴロンと寝ていたので気がつかなかったのですが、あちこち穴がいくつも掘られていたのです。

 

07もぐら.jpg

「こりゃ、どんな大きな土手でもモグラには勝てんな。土手より強いものがいたとは、よし明日からモグラをやろう」と決めました。

 それからあちこちの土手を掘りまくり、田んぼの水を流してまわりました。そしてお百姓さんたちが困るのを見て「ゆかい、ゆかい」と笑って暮らしました。

 

08もぐら.jpg 

ある日のこと、石工のモグラはいつものように、せっせと穴を掘り進んでいたところ、どんなに掘っても掘っても、ツメが痛くて掘れません。とうとう血が出てきました。

 

09もぐら.jpg

「なんだ? モグラに掘れないものがあるのか。今までずーっと、楽な仕事、強いものへと仕事を変えてきたのに、まだ強いものがいたのか?」と、よーくさわってみたら、それは『岩』でした。

「そうか、岩が一番強いのだ。」といって、今度は岩になりました。

 

10岩.jpg

「岩はただデーンと寝ているだけでいいし、だれにも負けない。なんで、最初からこの仕事を選ばなかったんだろう。オレはもともと石工だったのだから目の前にあったんだ。」

  何年かたちました。ある日のこと、トンチンカン、トンチンカンと、ノミとげんのうで頭を削るものがいます。

「痛い、痛い。なんだ、岩より強いものがいたのか?」頭が少しずつ削られていく激痛の中で上をよく見たら、それは『石工』でした。

 

11岩.jpg 

 

 

「えっ? 今までいろいろ仕事を変えてきたが、最初にオレがやっていた石工の仕事が一番強かったのか。なーんだ、そうだったのか、だったらもう一度石工の仕事にもどろう」と思いました。

 ところが、そう思っているうちにも岩は、みるみる間に削られていき、もう次の仕事につくことはできない体になってしまったのです。

 

12最後.jpg 

岩を削っている石工たちは、永い間その仕事を続けてきたのでみんなものすごい熟練した技術を身に付けていました。あっという間もなく岩は削られてしまい、「石工の岩」はバラバラにいろんなところへと運ばれていきました。     (おわり)

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