2011年4月アーカイブ

 近代、地球人類は資本主義と共産主義の二つの陣営で「選択」を模索してきて、近現代共産主義はほとんど敗退してきた。(中国共産党は異質)

 今回の原子力発電事故は、資本主義における経済を採るか、人間の健康安全をとるかという究極の選択になっていると思う。
それは、日本の電力、医療、燃料などを国営にしたらどうかと思うのだ。
 
 東電は今の収支を維持するためには「停電」をしたら、当然売り上げが落ちるので、リストラするか、値上げしかないだろう。
もちろん国民が節電を努力しても結果は同じだ。それだけ売り上げが落ちる。

 だから、停電しても節電しても東電は困るのである。

そして単純に言えば、...例えば「自動販売機」「ネオンサイン」「ナイター」「深夜営業のコンビに」「パチンコ」「公営ギャンブル」「ゲームセンター」「風俗店」...人間が最低生きていくのに果たして必要なのか。
いや、それらに従事している人たちにとっては大打撃になる。

それは資本主義(自由経済主義)だからだ。まったく、「風が吹けば桶屋が儲かる」的連鎖が起きる。

だから、自由経済社会の中では「必要」「不必要」の線引きは出来ない。

では、共産社会ではどうだろうか。

すべてを国営にして、「必要」「不必要」を国民が選択し、不必要なものと選択した事業に従事する人たちを、必要な事業に振り分けて、いわゆる生きていく保障をしつつ雇用する。またみんなで助け合いながらやっていく。そうした社会は実現できないのだろうか。

いや、私が理想としているのは、ユダヤ人であるマルクスが思索した「共産主義」ではない。
恐らく、現実は知ることは出来ないが、約1万年近く続いた日本の「縄文時代」のようなものである。
もちろん、現代の科学・文化はそのまま恩恵にこうむるのであるから、思想・心理のみを縄文時代に学べば夢のような社会になるのではないだろうか。

 私が60歳を越した(もう余り人生が長くない)から、そんなことが言えるのかもしれないが、なぜか若い(中学生)ときから私はそんなことを考えていた。

それをよく母は「お前は欲がない、みんなに負けてはならない」と叱った。そして「お前は共産党みたいだ」といった。
しかし、その性格で生きてきた自分だが、かなり幸せな人生だと思っている。

おそらく、これは夢のような考えだとは思うが、少しずつでもいいので、この機にに変わって(戻って=当時の農・漁村田舎はまるで共産主義だった)欲しいと思っている。

余談だが、以前数年間、私の昭和40年代のふるさとの子供の風景イラストが、「東電ソフトウェアー」の社内報の表紙を飾っていた。

あの、風景を採用した東電は心の中では、あの日本の原風景を取り戻したいと願っていたのではないだろうか。

それを、アメリカ、日本の一部の政治家などによって、原子力発電をしていることへの「罪悪感」を、薄らぐため私の、屈託のない子供たちの笑顔を採用したのではないかと、今思っている。

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