平成23年3月11日午後3時頃、関東・東北地方に日本観測史上最大のM9・0の大地震が起きました。直後、太平洋沿岸地域は未曾有の津波が襲い、筆舌に尽くせない大災害、さらに原子力発電所の爆発、停止で関東地方は電力不足となりました。被災地には心からお見舞い申し上げます。
私はちょうどそのとき、
福岡市のエディットオフィス「瓢箪座(中野由紀様)」 http://www.hyoutanza.com からのご依頼で、
福岡県糟屋郡新宮町「花峰クラブ」(野元多津子会長)会報誌の1ページ〔年間4回〕の仕事をしていました。
事務所のテレビで国会中継を見ながら、ご依頼の「春号・草花遊び」のイラストを描いていたのです。
すると、突然予算委員会室のシャンデリアが大きく揺れ始め、菅総理や与謝野大臣たちが天井を見て驚いていました。
その瞬間テレビの画面はパッと切り替わり、「地震速報」となり、東北地方の各地の海岸〔港町など〕が映し出され、「津波警報」が出て、大体20数分後に到達でした。
そのときは、地震そのものの被害(阪神・淡路大地震のときのようなビルの崩壊など)はほとんど見られなかったので、私は「いつもこんな風に津波警報を出すが、せいぜい港の岸壁が浸かる程度じゃないかな」と妻に言いながら見ていました。
しかし、警報では約10メートルというところもあるように表示してあり、「えーっ、10メートルといったら我が家の屋根を越すじゃないか。そんな津波なんて、いつも少しオーバーに言うんだ」と画面を見ていました。そして、「ほらもう時間になったじゃないか。あー少し上がってきた......あっ、すごいすごい、あんな大きな船が流されている。あー、もうあの魚市場の1階は屋根まで来たー、わー、堤防を越した、家が流れている。」
見る見る間に街を押し流して陸地を上がって行きました。
今までいろんなSFパニック映画を見たけど、こんなすさまじいシーンは初めて見ました。
それは恐らく、いろんな監督もここまでのシーンは想像出来なかったからだと思います。
ところがこれが目の前で「現実」に起こっているのです。それまで絵を描いていた右手が小さく震えるのを感じました。もちろんもう絵を描くこともできなくなり、 テレビの実況画面に釘付けになりました。
もうその日は仕事をする気にはなれなかったのですが、そのページの納期が15日ぐらいに迫っていますので、しなければならないのですが、最初のご依頼〔希望〕が「春の花遊び」ですので、子供達が野原で楽しそうに笑って遊んでいる光景と遊び方を予定していました。〔2へ続く〕
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