『女王国・邪馬台国』は、礼儀正しい、すごい長寿だった。

マスコミでは「近年、医療の発展に伴い高齢化が進み...世界一の長寿国になっています」といい、以前、NHKで「江戸時代」は約50歳、と時代を遡るにつれてどんどん短くなり「弥生時代」の平均寿命は2、30歳だった。と(学者?が)『断言』したように言っていました。

 

しかし、なんと邪馬台国の時代はかなりの長寿だったことがちゃんと『魏志倭人伝』に書かれています。その他、礼儀作法や合議、法律・刑罰の類などもあります。

『女王国・邪馬台国』の様子を記録した部分(漢文)を抽出してみました。写真は原本(写本)の一部です。

 

倭人伝1.jpgその一部を簡単に現代風に訳すると、

 

●彼らの会合の場での立ち居振る舞いには、父子や男女の区別がない。

 人々は生まれつき酒が好きである。大人(たいじん)や敬うべき人物に会ったときには、ひざまずいて拝する代わりに拍手(合掌)をする。

 

●人々はおおむね長生きで、百歳、八、九十歳の者が(かなり)いる。その地では一般に大人は四、五人の妻を持ち、下戸(げこ・身分の低い者)でも二、三人の妻を持つ者がいる。婦人たちは身持ちがしっかりとして、嫉妬することもない。

 

●人々は盗みをせず、訴訟ざたは少ないが、法(しきたり・決まり)を犯す者がいると、軽い場合はその妻子を没収し、重い場合には一家一門が根絶やし(すべて処刑)にされる。

 

●部族間の役目関係や、尊卑についてはそれぞれ序列があって、上の者の言いつけはよく守られる。租税や賦役の徴収が行われ、それぞれ、それを収める倉庫が置かれている。

 

(邪馬臺〈音声・ジャマディ­=理想郷〉連邦の)

●国々に市場が開かれ、それぞれの地方の物産の交易が行われて、大倭(たいわ=倭の中のもっとも大きなクニ)がその監督の任に当たっている。

 

●女王国より北の地域には、特別に一大率(軍隊)の官が置かれて、国々を監視し、国々はそれを畏れている。一大率はいつも伊都〈イツ〉国にその役所を置き、国々の間でちょうど中国の刺史のような権威を持っている。

 

●倭王が(魏の)都や帯方郡や韓〈カラ〉の国々へ使者を送る場合、あるいは逆に帯方郡からの使者が倭に遣わされるときには、いつも港で荷物を広げて数目を調べ、送られる文書や賜り物が、女王のもとに届いたときに間違いがないように点検をする。......

 

などと書かれています。

 

卑弥呼時代の方が『民主主義、会議での男女同権、健康長生き、子孫繁栄型大家族、倫理・法律、刑罰、防衛』など今よりずっとしっかりしていたような気がしてしまいます。

 

結局、魏の使節も当時の邪馬台国のしきたり、長寿、防衛、管理体制などにある程度『驚いた』から、ほとんど余裕の無い字数の中にこうしたことをしっかり書き込んだのです。

 

中国は『4千年の歴史を誇る漢方医学』という割には70歳を『古稀(希)』といいます。これは「70歳、古来より稀なり」、要するに70歳まで生きるのは稀だという意味です。だから魏の使節は当然驚いて魏志倭人伝に書き記録したのでしょう。

 

礼儀、法律、刑罰も、わざわざ書き残すということは、自分たちとは違っていたからです。同じなら、『我々とほぼ変わらない暮らし』とか記録するでしょう。

 

それを、ことさらに?日本の古代は相当『遅れていた』ように、教育、マスコミで教えるのは「中国」「朝鮮半島」のほうが、すべてにおいて優れていた(現代も?)と洗脳?するためのものではないかと思えるほどです。

 

結局、仏教、米(五穀)、金属、蚕、文字、何でもかんでも『大陸伝来』というコンプレックス?を日本人に押し付けるための『歴史解釈』にしたい人たちがいるようです。

 

少なくとも上に書いたものはすべて日本発です。

もちろん本当は南方(台湾・沖縄)経由ですが。

(特に米は亜熱帯植物ですので寒い朝鮮半島から下へ降りてくるはずはありません)

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