2010年11月アーカイブ

  1030日(土)朝9時フライトのANNで東京へ飛びました。

前の週末、土・日は熊本テレビ朝日主催のイベント(グランメッセ・総動員数約5万人)で2日間子ども達に遊びを教えました。また本業の仕事などなど連日の疲れで私も体調が悪かったのですが、妻はカゼで前日から声がかすれて出ず、熱もあり辛そうでした。

さらに、台風が近づいているようで、果たして明日は飛ぶのだろうかと不安でした。でも、夫婦で出席する予約もして、航空券も買っていましたし、大きな名誉でもあり欠席するわけには行かず、早朝熊本空港に行くと何のことはなく予定通り運行とのこと。朝9時熊本発の羽田着に搭乗しました。

 そんな多用で準備もままならず、ズボンの多少の汚れや、妻はスカートを荷物に入れ忘れた事など、飛行機の中で気付いて「時すでに遅し」と言う状態です。

 奄美大島に台風が上陸し、丁度羽田着頃に近畿地方に上陸するような事で心配ではありましたが、墜落する様なことはないだろうと飛行機とパイロットを信じていました。

東京上空になると激しい雨で空は暗く、飛行機は大きく揺れ、機内のあちこちから「わー」「きゃー」など聞こえて来ました。妻はもう少しで「もどす」ところだった様です。

 着陸はスムーズでほっとしました。モノレールを降り、浜松町からタクシーで会場の「アルカディア市ヶ谷」へ。館内で昼食を済ませ、(実はこの賞が決まって数日後、授賞式会場であるこのホテルの予約状況をネットで見たら既に満室でした。おそらく全国の受賞、入選者関係の方々などで予約されていたのでしょう。他を予約して、ここもキャンセル待ちをしていたのです。結果ここが取れ、他をキャンセルしました)、実はチェックインは3時からですが、妻の体調などもあって1時過ぎでしたが「特別」にキーをいただき、親切な配慮に感謝しました。10階の予約室へ着き、ほっと一息つくことができました。

 少し休んで、すでに1時開場の、5階・作品展示・表彰式会場に行き、受付で名前を告げると、「おめでとうございます」といわれ、「第13回日本自費出版文化賞 地域文化部門部門賞 原賀隆一」と達筆な筆文字で書いてあるピンクの大きなリボンを胸に付けて戴き、久し振りに誇らしく嬉しく思いました。

会場.jpg

会場には入賞・入選・1次選考通過作品や過去の入賞作品などを展示してあり、それぞれの方々の強い思い入れがあり、どの作品も力作で、個性的でした。

全国あちこちから、入選者、受賞者、出版・印刷関係者、マスコミ関係など多くの方々がこられていて、想像していた以上に大きな賞だと、改めて受賞の喜びと名誉があふれてきました

 2時から式が始まりました。自費出版をする方の相談にのる「自費出版アドバイザー認定式」。その後が表彰式です。

応募作品641点の中から1次選考120数点、2次選考で64点が決まり(入選)、その中から受賞作品の特別賞4点、部門賞6点、大賞1点です。

それらの賞に選ばれなかった方々は入選となり、多くの方々がご来場されていました(まずそのかたがたから表彰状が授与されました)。

私達入賞者11人が壇上横の特別席で待機、そして特別賞、部門賞、大賞の順で表彰されました。私は部門賞のトップバッターでした。部門賞、大賞は副賞(賞金)が授与されました。

この写真は、「自費出版ネットワーク」会員の安楽城出版・黒石昭二様が撮影したものを後日贈っていただいたものです。(もらっているのは私ですが、私が会長に授与しているみたいな感じです)

受賞.jpg

 今年から受賞者は5分程度のスピーチをとの事でしたのが、普段話している「グラフティ新装版」を出版した経緯と、自分の思いを言えばいいと思っていたし、約90分ぐらいの講演はもう何度も喋っていましたので、5分間程度ならほとんど自己紹介みたいなものだと思って練習(原稿)はしていませんでした。

他のかたがたはちゃんと原稿を書いてこられていたので、私はしまったと思いましたが、私は普段の講演でもそうですが、会場でその場の雰囲気や年齢層などを見て話します。日本語と熊本弁の2国語しかしゃべれない私は、脱線したり、きつい方言で笑われたりしますが、迎合せず自分の思いはきっちり述べます。そして、私なりの独特の体験とこのような本を書いたきっかけを短くまとめました。

 そして、いつもの自論ですが、「この本で現代の子ども達に物づくりの楽しさ、考える力を持つようになり将来の日本を担って欲しい。この本が未来の日本を救うことになると確信していますので、政府は子供手当でこの本を全国の子供に配布して欲しい」などと大ボラ(笑)を吹きました。

受賞コメント.jpg

会場の皆様方は大笑いでしたが、表彰式の後の「懇親会パーティ」ではいろんな方が話しかけに来られ、「お話には感動しました」などと交友を深めました。

ところが、このスピーチには後でかなり反省しました。というのはこの賞は「自費出版」の賞なのですから、もっとも大切なのは「自費」と言うことです。

私はほとんど金銭の工面はしないのです。経理(資金繰り)はすべて妻がやっています。

 だからこのスピーチで、「こんな本を出版して、夢を叶えてくれた妻に感謝して、この賞は妻に捧げます」と、言う部分を飛行機の中までちゃんと考えていたのですが、時間を気にしてついつい忘れていたことを、あとで眠れないほど悔やみました。(やっぱり、今後はちょっとしたスピーチでも原稿を書こうと決めました)

 全員の授賞式が終わって記念撮影。中央が日本自費出版協会理事長(審査員のお一人)の中山千夏氏。私はその左横にずうずうしく座っています。(いや、協会の方に席を促されたのです)

受賞者全員0.jpg

 撮影会が終わり、妻と一緒のところを係りの方に写してもらいました。

この受賞は二人で勝ち取ったものです。というのもこの応募を出したのは妻(発行人)だからです。

授賞式二人.jpg

だから、スピーチのときみんなの前でそれらのことを言っておいたら、妻もあんなに熱は出なかったのではないかと思いました。(私もですが、褒められると元気が出るからです)

 結果、夜8時頃パーティも閉会して、授賞式のすべてが終わり、やっと二人でホテルの部屋に戻ったところで、妻は気丈にふるまっていたのでしょうが、どっとカゼの症状が勢いを増し、高熱の襲われ、私はフロントから氷枕と風邪薬(市販のもの)をもらって、ホテルのタオルを湿らせて冷蔵庫で冷やしたりしました。

 そうするうちに、私はパーティでお酒を飲んでいたのでうとうと眠ってしまいましたが、妻は一晩中眠れずきつそうでした。

 翌朝、少しは良くなったようですが、相変わらず熱と咳は続いていました。

 だから、東京見物も何もなく、10時ちょっと前に(飛行機は午後1時発ですが)さっさと羽田へ向かい、お土産話にと、つい先日オープンした「新羽田国際線ターミナルビル」でモノレールを途中下車して一寸見物しました。

新羽田1.jpg



新羽田2.jpg

珍しさもあってか、江戸小路風のショッピング通りは大勢の人でごった返ししていて、飲食店などはどこも長い行列で、ゆっくり見て回ることも出来ない状態でした。

 田舎物の私としてはこの人ごみがつらくてすごすごと立ち去りました。そして、またモノレールで一番奥の第2羽田に行き、熊本行きの飛行機に乗り込み、やっと1泊2日ぶりに帰ってきました。

 熊本へ帰って二人の第一声は「やっぱり我が家が一番いいね。都会は疲れるね」でした。

妻は、1週間たった今はほぼ元通り元気になりました。

私は相変わらずです。根が「我が道を行く」というか、無神経、マイペースなのでしょうか、ストレスがあまりないようです。

 

19年前初めて自分の本を自費出版してからずっと、実にいろんな事がありました。まさに、「運命」が変わりました。

もちろん私達夫婦にとって「良い人生」になったのですが、やはり「運命」とはもともと「決まっているもの」「待つもの」ではなく、自分で「創るもの」だという事を今更ながら実感しています。

 皆様も、是非「自費出版」してみませんか。私が挿絵もふんだんに描いて、編集します。販売ルートもできるだけのことは致します。

運命が変わるかもしれませんよ。

過去に数人の方がかなりの部数販売されています。

2010年12月

      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31