2009年12月アーカイブ

太郎がまだ六つか七つのときでした。

 歳末の今日は『もちつき』で、親戚縁者近所のみんなが集まって『もやい』でたくさんのもちをついたのでした。太郎の家は父親が家督を継いだ本家だったので毎年この家に集まってやりました。太郎はもちが大好きで、特に『あんころもち』が大好きでした。

 

親戚の良造おじさんが臼(うす)や杵(きね)を洗っていました。太郎はおもしろそうだったので、そばに行って見ていましたら、おじさんが、

「太郎か、今年はお前もついてみるか」

と声をかけました。

「ぼくもついていいの。つく!」

とうれしそうに言いますと、

「ああ、ええぞ。いっちょ、力んでもらおうか」と、おじさんは真顔で言いました。

臼杵ね.jpg 家でもちつきがあるだけでもうれしいのに、自分でもちがつけるなんて、太郎は有頂天になりました。でも、大人がつかう杵はとても子供では使えそうではないので、いろいろ考えたあげく『木鎚』を杵代りにしよ うと、納屋から持ち出してきて、それを台所できれいに洗って準備しておきました。

 

 昼過ぎ、また二人の遠縁の栄吉おじさん、茂作おじさんが手伝いにきました。これで太郎の父も含んで大人の男が四人になりました。

 

 そして準備が整ったところで、女衆が、『せいろう』で蒸され、真っ白い湯気をたてている『もち米』を運んできて、石臼の中に落としますと、「待ってました」と言わんばかりに、父と栄吉さん二人で力強く、杵を使って『ぺったん、ぺったん』と交互につき始めました。

そして、「えいさ」「どっこい」と掛け声をかけながら、杵のあがるタイミングを見て、もう一人の人が臼の中のもちを返したり水を打ったりする『手返し』をします。(三人つき)手返しは女の人の役です。

 

 『ペッタン、ペッタン』「えいさ」「ほっさ」「あらよっと」、田舎のもちつきは勇ましくて、とても格好の良いものです。太郎は手に『木鎚』を持って、みんなが勇壮にもちつきをしているのを側でにこにこしながら見ていました。

 

 ややもすると一臼目がつきあがりました。それを太郎のお母さんが取り上げ、そばの『もちとり粉』がふってある広い板の上に『ボタッ』と落とし、まず大きな『鏡もち』を作るため配分しました。女衆たちは手際良く丸めます。

 

 その後またすぐに二臼目の蒸された『もち米』が臼に入れられ、今度は良造おじさんと茂作さんがつきました。太郎は今度こそ途中でつかせてくれると思って、すぐそばに立っていました。すると、父が、

「太郎、もう少しはなれておらんと杵が頭に当たるぞ」と言いましたので少し離れました。 

 

 そして二臼目がつき上がり、同じように板に運ばれ、今度は女衆たちがいっせいにまるいもちにするため丸めました。

 また三度目のもち米が入れられました。今度も良造おじさんと父がつきはじめました。太郎は今度こそとぐっと近づきました。すると、いつもはやさしい栄吉さんが、

「こらこら、あぶないぞ。子供は離れて見とれ。あとであんころもちを作ってやるからな」と、本気で心配して叱りました。

 

もちつき.jpg 太郎は、良造おじさんにだまされたことがわかりました。これではいつまでたってもつかせてくれることはない。

『だまされたんだ、だまされたんだ』と思うと、くやしくてたまりませんでした。目にいっぱい涙を浮かべて良造おじさんをにらみつけてやりましたが、おじさんはもちつきに夢中でいっこうに気にもかけず『ペッタン、ペッタン』と、楽しそうにもちつきを続けていました。

 

 そして太郎は、拭っても拭っても次々に涙があふれ、とうとう「ヒック、ヒック」と泣き出しました。ところが、みんなもちつきで忙しく、

「太郎は何を泣いているんか?」と聞いてくれる人もいませんでした。

聞いてくれれば、「もちつきをやらせてくれる約束だったのに」と言えるのにです。しかし、良く見ると、大の大人があんなに汗を出して真剣についているし、手に持った『木鎚』を見て「そんなものでつけるか」と笑われるかも知れないと急に恥ずかしくなり、何かきまりが悪くなって、さっとその場を逃げるように納屋の裏の薄暗い『炭小屋』の中に入っていきました。

 

 その小屋に積まれた『炭俵』の、やっと子供が入れるようなすき間の奥の奥に入っていき、ここならだれにも見つからないだろうと思って安心しました。が、だれかが心配して探しに来ないかなという期待もしていました。

 

 しかし、じっと耳をすましていると、『ペッタン、ペッタン』ともちをつく音が絶え間なく聞こえてきて、ときおり良造さん、茂作さんたちの楽しそうな笑い声も聞こえてきます。太郎はまたまたどっと『くやし涙』があふれてきました。

 

 そして歳末の時期ですから土間の炭小屋は寒くて、歯がガタガタと鳴るほどでした。しかし太郎は「ぼくは怒っているのだから、寒くても、だれかがここに迎えにくるまでどんなことがあっても自分からは出ていくもんか」と覚悟を決めました。そうするうちに、とうとう眠ってしまいました。

 

 たくさんのもちがつき上がったのはもう夜になった頃でした。みんな『分家』の人達もそれぞれもちを配分し、みんなで労をねぎらうための宴会が始まり、みんなで祝酒をのみました。

 

 そして太郎の母は、あんころもちができ上がるとまず、『お初穂(はつほ』を奥の仏間にもっていき、仏壇にそなえました。そしていちはやく息子の太郎にも食べさせてやりたいと思って、

「太郎、太郎」と二、三度呼んでみましたが返事がありません。台所に行って女中さんに、

「太郎はどこへ行ったか知らないね」と聞きますと、「ああ、太郎坊はもちつきの最中裏のほうへ走って行きなさったようですが、その後は見ていません」と答えますと、母親は、

「ちょっと呼んできておくれ。あんころもちが出来たよってね。」 

女中さんは、裏口から外に出て、

「太郎ちゃん、太郎ちゃん、おっかさんが呼んどるよー」と大声で呼びました。それは太郎が隠れている小屋のすぐ前でした。

 

 太郎はうっすら起きていたのですが、その声ではっきり目が覚めました。そして太郎は「ははあ、やっとさがしにきたか。だましたくせに、だれが返事をしてやるもんか。もっと心配させてやる」と思いましたので、じっと息を殺していました。

 

 女中さんは耳をすませましたが何も聞こえてこないので戻って、「裏の方にはおいでんようですが」と言いますと、母親は「どこへいったんじゃろうか」とそろそろ本気で心配になりました。父親は、

「ばかが、そげん心配せんでいい、どこへいくもんか、一日中もちつきを見ていたのでつかれて寝てるのさ。」 母親は、ばかと言われなくてもさっさと寝間のほうへ走っていました。そしてすぐに帰ってきて、

「寝間にもおらんかった。ほんとにまあ、どこへいったんじゃろうか」

もう声もおろおろふるえてきていました。

 

 お父さんも、「なんや、寝とらんかったのか。じゃ便所を見てこい」「ええ、便所もくまなく見てきたし、落ちてもおらんだった」「外の便所は!」......「外にもおられんようです」と女中の声がしました。

 そのような父と母や女中のやり取りを聞いていたお客さんたちも、みんな酒がさめたように、

「ほんとどこにも見つからんとな。そらおおごと、ちょうちんだ、ちょうちんだ」と良造さんも立ち上がり、「わしが納屋を探してみる」と出ていきました。父親と他の人達もそれぞれちょうちんを持って屋敷の外まわりまで出て行きました。

 

 しばらくすると、一人また一人と帰ってきて、だれもが「どこにもおらん」と言いました。みんなお互いの顔を見て沈黙しました。

その時、女中の一人が、

「きつねにでもつままれやしたのじゃなかろか」と言いましたので、父親は、

「ばかなことを言うな。もう一回屋敷のなかを探そう」と、やや怒って言いました。

 

 太郎は炭小屋のなかで、みんなが外であちこち走り回りながら「太郎、太郎や」と呼んでいる声が聞こえ、母の声はもう涙声になっていましたので、もうこれ以上心配かけるのは悪いと思って、出てやろうかとしたとき、良造おじさんの声で「おーい、太郎、どこにかくれているんかー」というのが聞こえてきました。

 

「ちくしょう、おじさんのせいでこうなったんだぞ、まだ出ていくもんか。もっと心配かけてかたきうちをしてやる」と、またじっと息をころしてしまいました。また、しばらく遠くで探す声がしていました。

 

 ところが、そのあとに今度は父の声で、「太郎、太郎」と、もうほとんど涙声で探すのが聞こえてきました。もうこれが限界だと思いましたが、これだけ心配かけて、相当前から探していたのを知っていて出ていかなかったし、そうとう叱られるだろう、どういう言い訳をしたらいいのかわからずに急に悲しくなりました。

 

 そしてずっとこのままここに隠れていたら夜中は相当寒くなるし、どうなってしまうのだろうかと心細くなり、とうとう「おかあさーん」とちいさな声とともに泣き出してしまいました。

 ちょうどすぐ近くにいた母親は、

「ええっ? 太郎、太郎かい? どこにいるの」

「ここにいる」と蚊の泣くような声で返事をしました。

「ああ、こんなところにいたの」と母親はうれしそうにカンテラの光りをかざしますと、炭俵の奥に小さくうずくまっている太郎を見つけました。母は、

「はよう出ておいで」というと、太郎は

「でていかれん」と言いました。

「なしてね」

炭小屋.jpg「炭俵にはさまれて動かれん」と小さくうめくように言いました。実は、出る寸前にさらにせまいところに体を押し込んで、それのせいで出られなかったようにしたのです。

 

 母親は、大きな声で父親やみんなを呼びました。そして、積み上げられた炭俵を前のほうからどんどん取り払い、やっと太郎の姿が出てきたところを良造おじさんが、えり首をつかんでひょいと抱え出しました。母親は、

「太郎だいじょうぶかえ」と、いいながら服についたほこりをパッパッと手ではたき、泣きべそをかいている太郎をしっかり抱きしめました。

 

 そしてみんなで屋敷に帰りもとの宴会の座敷にすわり、

「良かった、良かった。見つかって安心した」と、みんなだれも太郎を叱ったり笑ったりする人はいませんでした。

 

 太郎は、本当はだれかが、きびしく叱ってでもくれたら、良造おじさんのうそつきをみんなの前で言ってやろうと思っていたのにがっかりしました。

 

 そして、安心してまた笑いの戻った良造おじさんはお酒を飲み直していましたので、まだまったく自分のせいということに気がつかないのかと、にくらしく思うと同時に、大人はうそをついても平気なのかと不思議でたまりませんでした。

 

 お母さんはあんこもちを出して、早く食べなさいとすすめましたが、一口だけ食べると、何かむなしくて、のどがつまったような感じになり、もう食べる気にはなりませんでした。

 

その様子を見ていたお母さんは、

「もう食べないの。あんなに昨日から楽しみにしていたのに。今日はほんとにお前はどうしたん? あんなところに入り込んで、何があったの」と、何度も聞きましたが、太郎はただうつむいて何も言わずすわっていました。

 

 そこへ良造おじさんも側にきて、ニヤニヤと太郎の顔をのぞき込むようにして、

「太郎さん元気がないぞ。なにがあったんじゃ?」と聞きますと、「フン」とそっぽをむいて、母親のかげにかくれました。母親は、

「おじさんが心配しとりなさるのにちゃんと答えてあげなさいな」

と言いますと、そのとき父親が、

「おいおい、そんなことをしちくどく詮索してもはじまらん。子供は大人はわからんことをするもんさ。もう食べんのなら、寝かせてやれ、寝かせてやれ。明日いっぱい食うさ。」

と、太郎は母親に連れられて寝床にいきました。座敷のほうではまた笑い声がしていました。

 

 太郎は布団ねむる.jpgにもぐると、何かどっと疲れていたようで、ぐっすり寝込んでしまいました。

 あと二回寝ると、楽しい楽しいお正月でした。

 『よく学び、よく遊べ』という言葉は、私は「遊ぶとき」と「学ぶとき」を完全に区別して、勉強するときは徹底して勉強し、遊ぶときは学問から解き放たれて思いっきり楽しく遊びましょう。という考えではありません。

 

 実は、「よく遊び、よく学べ」というのは「文武両道」とよく似ているのです。

 

 以下は『養老猛司』氏の説を参考にしています。

 

陽明学の「知行合一」は「知識」と「行い」は一緒である。とか、武士の「文武両道」は、畳に正座して書物を読み勉学をし、それが済んだら、今度は道場で竹刀を振り回して武道に励む。その両方とも優れていることだ。と思っている人が多いようですが、そうではないのです。

 

 「知行合一」の「知」も「文武両道」の「文」も、脳への「入力」のことです。脳への入力は五感を使います。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚です。

脳はその入力情報をもとにして「出力」(声を出す・書く・動く...)をします。つまり、出力とは筋肉の動きだけで、それが「行」であり「武」なのです。

 

要するに、人間の運動はすべて脳からの指示で動くのですから、いくら勉強(入力)しても、それを元に言葉で表現したり、紙に文字で書く(出力=運動)をしなければ脳からは何も出力できません。

人間活動(出力)はすべて肉体運動のことです。ところがよく、頭脳労働・肉体労働といった風に分ける事がありますが、それを勘違いしないように、昔の人は「知行合一」、「文武両道」とやかましく言ってきたのです。

 

ここで、『よく遊び、よく学べ』に話を戻しますと、幼年期の子供にとってまさに「文武両道」と同じ意味です。ただし、『文・武』と『遊・学』では「入力・出力」が逆になっているような気がしますが、実は幼年時代『遊び』と『勉強』はどちらも入力であり出力にもなります。

 

ハイハイを始めた赤ちゃんが、遠くの小さなゴムボールを見つけて、少しずつ近づいていきます。するとだんだん大きくなります。形は変わっていないのに大きさが変わってくる。今度はそのボールを遠くに転がします。するとまた小さくなってしまいます。そうして何度も遊ぶうちに、その大きさによって自分からの距離感も分かってきます。

 

つまり、算数で「相似」、「比例」、絵画などの「遠近感」の感覚が脳にインプットされたのです。

そのようなこと一つとっても、入力...出力の繰り返しが遊びであり勉強です。

 

だから教科書的な「知」、「文」だけをいくら入力しようとしても、「行」「武」つまり出力が伴わなければ、本当に意味での入力情報にはなりません。

 

それをバランスよく育てようとしたのが『よく遊び、よく学べ』だと思います。

週間ベストセラーズ(ブックスミヤギ調べ、11/23河北新報朝刊)

1.バンド1本でやせる! 巻くだけダイエット
 山本千尋 幻冬舎

2.神様のカルテ
 夏川草介 小学館

3.あるキング
 伊坂幸太郎 徳間書店

4.筆談ホステス 67の愛言葉
 斉藤里恵 光文社

5.私の見つけた京都あるき
 羽田美智子 集英社

6.楊令伝 十一
 北方謙三 集英社

7.辻ちゃんのリボンDays
 辻希美 ワニブックス

8.ザ・シークレット
 ロンダ・バーン 角川書店

9.おなごだもの
 イナバマサオ サンマーク出版

10.ふるさと子供グラフティ 新装版
 原賀隆一 クリエイト・ノア
 
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という記事を見つけました。(勝手にコピーしてすみません)
いろんなところで『子供の昔遊び』が広がって、取り戻してくれたらと、とても嬉しく思っています

『遊び』は人生にとってとても大切なものと言われますが、そもそも遊びの『定義』とは?

 

■『大辞泉』(小学館)によると、

あそび【遊び】

(1)遊ぶこと。「...に興じる」

(2)酒色にふけったり、賭け事をしたりすること。遊興。「...で身を持ち崩す」(3)仕事がないこと。仕事がなくて暇なこと。「仕事がなくて当分...だ」(仕事をしない)

(4)物事にゆとりがあること。「芸に...がある」(アイデアがある)

(5)機械などで、急激な力の及ぶのを防ぐため、部分の結合にゆとりを持たすこと。「ハンドルの...」「回転軸の...」

(6)文学上の立場で、対象を理性的に突き放してみる傍観者的な態度。森鴎外が示したもの。 (7)「遊び紙」の略。

(8)詩歌・音楽・舞・狩猟などを楽しむこと。

(9)「神遊び」の略。神を祭るための舞楽。神楽。

「類語」1.遊戯・戯れ・気晴らし・慰みごと・娯楽・遊技・ゲーム・プレー・レジャー・レクリエーション 2.遊興・遊蕩・遊楽・道楽・放蕩

 

【遊び癖】仕事や勉強を怠ける習慣。また、遊興にふけりやすい癖。「...がつく」

【遊び心】1.遊びたいと思う気持ち。また、遊び半分の気持ち。

     2.ゆとりやしゃれっけのある心。「まじめ一方で...がない」

(一部省略)

◆あそ・ぶ【遊ぶ】は「遊び」の動詞形だとして、上のような内容を、「すること」と考えればいい。

 

まだ他にも「遊び」の付く言葉が色々ありますが、「遊び」の定義はだいたいこのようなところでしょう。

 

■そして、「遊び」とはすべてにおいて『命令・強制』されてするものではく、本人(器具・機械の「遊び」も作る人)の自主によって発生するのです。

私が幼い頃、しょっちゅう遊んでいると母は「遊んでばかりいないで勉強しなさい!」と追っかけ回わしたものです。それは『遊びの内容』ではなく、『行為そのもの』を叱ったのです。

◆そんなとき、私が「いや、学校で総合学習(ゆとり教育)って言ってね、大いに遊べと言われたんだ。」とでも言ったなら、母は「どこの学校にそんなこと言う先生がいるもんか。この大ウソつきが!」とおそらくホウキの柄で叩いたことでしょう。要するに昔から「遊び」という言葉は「悪い」イメージが強かったのです。

 

 しかし、現実には子供も大人も『遊び心』『遊び』は絶対大切なものなのです。だから近年、教育現場などでもいわゆる教科書から離れた「遊び」のような「体験学習」などを取り入れるところが増えてきました。

 

 ところが、教師や保護者の多くがその意味を実際に、体験・体得・理解した上で展開されているのでしょうか。まして、ただ単に「遊びは健全育成につながる」と、それを「新・教育マニュアル」のような捉え方をしているのではないかと思うほどです。

 

 結局、それがはっきりしていないから子供達にとっては「大いに遊びなさい」が、何をして遊ぶのか、遊びとは何なのかがわからなくなり、ひいては『指示待ち・命令待ち』になったり、本来勉強・仕事をしなくてはいけないときも怠け『遊び癖』が出たり、逆に本当の意味での余裕の『遊び心』を取り込めず、ぎくしゃくしてしまうのではないでしょうか。

 

要は、自然に自主的に「遊びたくなる」環境を大人達が作ってあげることが一番なのです。その一つに、ゲームやレジャー施設、キャラクターグッズなどでの「遊び」の「つまらなさ」を大人達自身がそういう意識転換をし、自然(野外)体験、家でなら料理、カルタ、トランプ、日曜大工、家庭菜園など、いわゆる「成果」、「実績」、「記憶」になるような遊びの楽しさへ、まさに「自主的に」誘導して欲しいと思います。

また、刃物などの「道具」をきちんと使うことです。ナイフは危険だとか凶器だとか言うのは、工作などをしなくなったからです。料理や工作でその目的を覚えると、凶器などと考えることもなくなります。

 

 私達夫婦は(子供の遊びの本を数冊自費出版して以来)、全国各地に色んな遊びを教えに行きますが、みんなちょっとしたけがはよくしますが、数時間夢中になって遊びます。そして、たまにポケットゲーム機を忘れて帰る子がいます。「おじちゃんもうゲームはやめる」という子もいます。やはり「自分」で作ったり、遊びを開発し始めたらそっちへ興味は移っていくようです。

 

 人生において「遊び」がきっと役に立つことを実感できるのは、そのような社会環境での遊びだろうと確信しています。

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