「基準値」、「許容量」などということ自体が、危険なものだといっているものだ。

 近年、マスコミなどで、放射能(原発)、電磁波、各種医療器具、医薬品、農薬、添加物、水質汚染、土壌汚染、大気汚染、騒音、......の問題が発覚すると、必ず『基準値』以下、だとか『許容量』を大きく上回っている、などという。
 しかし、そもそもその数値は何を根拠に出しているのか。また、それ以下ならなぜ安全なのか。基準値以下であっても長時間連続性があれば蓄積またはボクシングのボディブローのように静かに影響を及ぼすことはないのか。

 ここでは、とりあえず農薬について一言だけ述べておきたい。
(各種資料より)

 現在『農薬登録』に必要な作物残留性試験、土壌残留性試験にも問題が多い。
 現行制度では、試験の結果にメーカーの意向が反映しやすく、正確、公平な試験結果が得られない可能性が強い。
(かなりの農薬がアメリカのライセンス生産)

 作物残留性試験の場合、試験の試料となる農作物の栽培は2ヶ所以上の公的機関(農業試験場)が行うことになってはいるものの、分析は1ヶ所の公的機関、他の1ヶ所はメーカーでもよいことになっている。
 さらに土壌残留性試験の場合は、試料は2ヶ所以上の公的機関で作るが、農薬試験の土壌残留度の分析はメーカーが行ってもよいことになっている。しかも企業秘密を理由にデータの公開はなされていない。

 これで、正確なデータが得られると考えるほうがどうかしている。この残留性試験データが厚労省の農薬残留基準決定の重大な根拠にも使われているのだ。恐怖を覚えずにはいられない。

 そして、農薬の『1日摂取許容量』(基準値)といえば一見安全そうに聞こえる。しかしながら、これほど曖昧で危険なものはないのである。しかも1日の摂取許容量というのは、農薬残留基準の根拠ともなる重要な基準なのだ。

 1日の摂取許容量は毒性試験のうち、慢性毒性試験で得られた最大無作用から決められる。この値は、実験用動物が一生涯かけてある農薬(単体)を食べ続けても影響が現れない最大投与量のことだ。つまりある農薬の、ある実験用小動物(ラットなど)にとっての最大『安全』量に過ぎない。このような曖昧な値に一定の『安全率』(10分の1から500分の1)を乗じて人間に対する1日の摂取許容量(ADI)としているのだ。

 この値を人に『体重比』で当てはめて、人が1日に摂取することが許される残留農薬の『絶対量』が求められる。

 しかも、農業現場ではそれを元に、混合して使用したほうが効果が高いので、複合剤を含め他の農薬との混合使用が盛んに行われている。その複合された結果の慢性毒性については、毒性試験は義務付けられていないのである。
 これで人体の安全保障ができるであろうか。

 人間と動物では神経組織の構造が違う。大脳など人のほうが圧倒的に発達している。極論を言えば、ラットなどの小動物が痴呆症になろうと、記憶や言語障害を起こしても判断できないのだ。神経を侵す毒薬に対しは、人のほうがはるかに敏感である。

 発生遺伝学、海洋生物学、精密科学を専攻し、生態学者として有名な『サイレント・スプリング(沈黙の春)』の著者レーチェル・カーソンは、あらゆる『許容量』なるものについて「これまでならよいという量は、実際にはありえないのだ」と断言して、現代社会におけるある種の科学者や行政官達のいい加減さをずばり突いている。

 つまり、『許容量』こそ「許容すべきではない」ということである。
 また『基準値』も何を根拠にしているのか曖昧な基準を作るべきではない。まして人間は様々である。
 すべての老若男女、体重の重・軽、身長、持病、体質などに当てはまる『許容量』『基準値』などありえない。

 そしてそれらの懸念的物質、環境によって、明らかに新種の病気や障害が増加の一途ではないか。

 それらの数値を示さなければならない『危険物』を減らす工夫をするのが『正しい人間の基準』である

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