日本人なら『天国』ではなく『極楽』。

先日、森繁久弥翁が亡くなりました。私は氏の『遊び心の人生』にとても共感を持っていました。ご冥福を祈ります。

 

ただ、芸能人などが亡くなったときのテレビレポートにはいつも違和感を持っています。勝新太郎氏が亡くなったとき、参列した森繁氏にテレビレポーター(女性)が何かコメントを求めて、かなり激怒していましたが、そもそも人が亡くなった葬儀の出口でいろいろコメントを求めることが非常識だと思います。

 

しかし、そのような光景が、いかにも『芸能界の一場面』のように取材合戦?をしています。まさに醜いです。

 

そして、そのような中、いつも気になる、いや、とことん気になるのが『必ず』言うのが『今、天国で安らかに......』のことばです。それも、『仏教』で読経が流れているのに言うのです。キリスト教だったらいいのですが。

 

仏式葬儀のとき(取材によっては通夜の日)ならまだ『三途の川』も渡っていないし、7日目(初七日)=やっと閻魔(えんま)大王の前で(現代的に言うなら)第1回口頭弁論が始まり、7日おきに7回(49日)の(生前の行いに対する)裁判があり、『極楽』、『地獄』送りが決定します。

そこで遺族はそれを弁論する意味で7日ごとの供養をし、(おそらく)亡き方は極楽浄土へ決定したと確信し、49日の法要をします。

 

生前相当功徳のある方だったら5回の裁判で極楽行きが決定したと遺族は確信して、五七忌・35日ですることもあります。

いろんな説はありますが、私はそういう風に考えています。日本美術図鑑などにも閻魔大王の裁判風景が描かれています。)

 

だから、「天国」へは行っていません。仏教だったら極楽(浄土)です。

 

●「極楽」(ごくらく)...仏教用語。仏教思想においては、この上なく安楽な理想とする仏の国。「西方浄土」。=生前の善行、及び遺族の供養などによって極楽浄土に向かうとされる。「成仏」

対して「地獄」は、生前の悪行、遺族の念仏などによって、閻魔大王たちの裁断で送られるという、あらゆる苦難の世界。(血の池地獄、針の山地獄、灼熱地獄など)要するに生前の行いによってそのどちらかに送られるという思想であり、生前の『倫理観』に大きな要素を与える。

 

●「天国」(てんごく)ヘブン...キリスト教(ユダヤ教、イスラム教も酷似)用語。神や天使がいる天上の理想世界。神から永遠の祝福(生命)を受けた理想の世界。楽園。=生前の『善行・悪行』は一切影響しない。「神」は寛容であるとされる。死後はすべて神にもとで平等であるとされる。

対する「地獄(ヘル)」は、人間(死者)の世界ではなく悪魔・サタン(邪悪)が支配する世界。

 

※一見どちらも似たような観念ですが、信仰(慣例踏襲であっても)宗教によって「あの世」に対する、現世を生きる人達に与える意義は、かなり相違があります。イスラム教では仮に自爆テロしても、天国では数人の美女が待っていて慰めてくれるというのを信じて、本当に死んでいく若者が多いとの事。

 

 ところが現在、日本では宗教観念など全く関係なく、子供から一般庶民まで死後はみんな(言葉だけの)『天国』に行くような感覚を持たせてきたのはマスコミではないでしょうか。

 実はこれが『生前』の大きな精神的・倫理観の崩壊にもつながっていると、私は大げさに感じています。

 

 私たちが幼い頃は『天国』という観念はありませんでした。

 要するに生きているときの『善・悪』行動によって、『あの世』で裁かれ『極楽』で幸せに暮らせるか、『地獄』に落され永遠に苦しみ続けるか。...それが、生きている間の倫理観の指標でした。

 

 生きているうちに、とても幸せ、楽しいとき『天国』というのはかまいません。また、辛い暮らしなどを『地獄』のようだというのもです。

 生前に、楽しいとき『極楽浄土』とは言わないでしょう。

 

 私の母は(今92歳)、若い頃一日中働いて、夜お風呂に浸かって、よく「あー、極楽極楽」とはよく言っていましたが、『天国』と言ったことはありません。

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: 日本人なら『天国』ではなく『極楽』。

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://haraga-r.com/mt/mt-tb.cgi/67

コメントする

2017年12月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31