2009年9月アーカイブ

 ふるさと、熊本県玉名郡和水町(旧三加和町)太田黒の実家に『柿ちぎり』に行きました。(9月22日)

我が家の敷地内にはには、甘柿(がんざん3本、富有柿1本、小春柿1本)、渋柿1本があります。そのほか、夏みかん2本、桃(いくり)1本、栗1本、イチジク1本、裏山にはタケノコがたくさん立つ孟宗竹山などがあり、敷地面積が約1200坪で、家が2軒建っています。

そういうと何かものすごい豪邸のようですが、結局昔から農家だから、敷地というより回りは畑や藪のような山なのです。(昔は、まだ『グミ』、『梨』、『梅』などが数本ありました。)

 子供の頃はそこにいろんな『実の成る木』がたくさんあったので、四季折々にそれらをとって食べるのが一番の楽しみでした。(イラストは『ふるさと子供グラフティ』の『柿ちぎり』のページより)

0柿ちぎり.jpgそこで、毎年今ぐらいのシーズンになると、柿、栗を目的にふるさとへ取りに行きます。

 いちばん最初に、甘くなるのは『がんざん』です。もうそろそろ甘くなっているんじゃないかと思うのは、セミが「ツクツクツクンショ」と、つくつくほうしが啼き出してしばらくした頃です。

当時、先輩たちが「柿のゴマ(甘味の元)は、ツクンショ(つくつくほうし)の糞なのだ」といっていました。私はかなり信じていたのです。

実家に着くと、本当につくつくほうしがうるさく」啼いていました。私は「頑張れよ」といいました。」

 

ガン山の木.jpg最初に柿をちぎる『ガッソ』を作らなければなりません。

柿、ガッソ.jpg 柿ちぎり方.jpgこのようにしながら、ガッソの届くところまでちぎります。

高い枝へ.jpg 鈴なりゲット.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

低いところは、手でちぎります。

 

真知子.柿2.jpg

 

 

そうやってかなりの大量収穫をしました。

収穫、柿.jpg普通に皮をむいて食べてもおいしいものですが、妻はうすくスライスして、ポテトなどとあわせてサラダにしますが、それもおいしいものです。

がんざん.jpgとにかく柿はビタミンC、カリウム、カルシウムなどかなり栄養価が高いのです。

近年、子供たちはあまり柿を食べないようで、田舎のあちこちでは鈴なりになっているのに、毎年朽ち果てている光景をよく見ます。スナック菓子などより絶対体のためにはいい、エネルギーの元になる『糖分』たっぷりです。だから、昔は運動会にはつき物でした。

 

 

 「こらっ、隆一、夜のコブ(=クモ・蜘蛛)を殺したらいかん!」と、祖父に叱られました。なぜなのかをたずねると、祖父はニヤッとして、

「『夜コブ...よろこぶ』で縁起もんなんだぞ」と駄洒落のようなことを言いました。

 

夜コブ.jpg 

 クモは姿も不気味で、巣を張っていると何となくいやですが、日本にいるクモはほとんど毒を持ったものはいなく、むしろ家の中などにいるダニやノミ、蚊、蛾など人間の害になる虫を退治する自然殺虫役の益虫なのです。(イラストは『ふるさと子供遊びの学校』より)

 

 そして巣を作るときは、『餌』(害虫)がいるからであり、それをさっさと取ったりクモを殺したら、今度は害虫が「喜ぶ」ことでしょう。結局「夜コブ」だけではなく、昼間でもクモはむやみに殺してはいけないと教えてくれたのです。

 

 また、「ミミズに小便をかけたらオチンチンがはれる」も、ミミズは畑の土壌を活性化してくれているからむやみにいじめてはならないなどと言いたかったのでしょう。そのような自然の中には人間にとって大事な働きをしてくれるもの、害を及ぼすものなど、数多くの貴重な知恵を、祖父や近所のご老人達は、幼い私達に『ことわざ』、『おまじない?』『笑い話』などで教えてくれました。

 

だから、今もそれらのお年寄りの知恵の数々が実社会生活の中でいくつもためになっています。そこで、(確か高校1年生の頃制定された)9月15日には『敬老の日』として、人生の先輩方々に敬意と感謝を示す日として半世紀近く続けられてきました。

 

 ところが近年9月の第3月曜日(日曜と連休になるように?)と、毎年変わるように決められました。すると今年は9月21日がその日になり、23日は『秋分の日』とこれは変えることができませんので、間の22日を(飛び石を埋めるため?)『国民の休日』にして、前の土曜から日・月・火・水の5連休。はたまた、次の木・金を休めば、土・日と9連休。

 

 秋の行楽シーズンとかで、高速道路はどこまで行っても1000円、テレビではヘリコプターでその混雑振りが中継されていました。

 

 空港では海外旅行などたくさんです。

 

 『100年に一度の大不況?』、何か信じられません。そして『子供手当て』や『無駄遣いをなくそう』とか、何がなんだか分かりません。

 

 そんなに休んでばかりでどうやって経済は復興するのでしょうか。

内需拡大とかでみんなでパーッとお金を使えば『景気』が良くなる?というようなことを言いますが、もちろんお金が動くことはそれなりに気分は景気が良くなったようになるでしょうが、国内でお金が行ったり来たりするだけです。まして、食事したり、ガソリン使ったり、いろんなものを買っても大半以上が(輸入で)外国に流れていきます。

 ただ休んで家でゴロゴロしていても同じです。電気やガス、食品もほとんど原料は輸入です。

 (原料は輸入したとしても付加価値をつけて)国内生産しない限りどんどん国全体のお金は減っていくばかりで、国の借金も増えるばかりです。

 

 また、この『大型?』連休を『シルバーウィーク』と呼んでいます。

私は最初、『シルバーシート(老人用席)』とか『シルバー世代』などと言うので、敬老の日が挟まっているから根底に『敬老の日(15日・老人の日、その日から敬老週間)』を表しているのだと思っていました。

 

 ところが、なんと!5月の『ゴールデン(金)ウィーク』に対して『シルバー(銀)ウィーク』との事。なんだか呆れてしまいました。

 

 そもそも「敬老の日」は昭和41年「老人を敬愛し、長寿を祝う日」として9月15日を祝日に制定されました。

 

 どうしてその日を「敬老の日」にしたのかというと、

 

 人々に豊富な知識と知恵を与えた(『遣隋使派遣』、『17条の憲法』など)と伝えられる『聖徳太子』が、『四天王寺』に今で言うなら老人福祉ホームのような施設ともいえる、『悲田院(ひでんいん)』を設立したとされているのが915日だったとの記録があり、それにちなんで決められたとの事です。

 

 私は、創設目的を持った日を動かさないようにしたほうが、豊かな人生の知恵を持つご老人に敬意を表すことの意義を、子供たちに伝えるのではないかと思っています。

 

 そして、今日も仕事をしています。(自営ですのでほぼ年中無休・自由?)

カライモ堀.jpg 

 幼い頃、「あーおなかすいたー」と言っていたら、祖父が「十三里でも食べろ」と言いますので、「十三里ってなーに?」と聞きますと、

「昔から九里(栗)四里(より)十三里と言うてな、から芋(サツマイモ)のこと。」と笑って言いました。(9+4=13にしゃれた意味)

 

 私は、「そうか、昔の人は栗よりから芋のほうがうまいと言っていたのか」と思えば、本当においしく、おなかいっぱい食べたものです。

 

 そして、毎年この頃になると、から芋の収穫を手伝うのが楽しく、よく母と畑に掘りに行きました。

 芋の長いつると葉を取り除き、土から出ている太いつるを力いっぱい引っ張りますと、うまくいけば、ゾロゾロとイモがつながって出て来ます。

 

「お母さん、ほらこんなについてきたよ」と言いますと、「ほんとだね。だから何人かで悪いことをして、だれかひとりつかまると次々につかまってしまうのを、『芋づる式』って言うでしょ。」

「あっ、そうか。でも、切れたやつもいるよ。」「それはくわで掘ってつかまえなさい。」「やったー、また仲間をつかまえた」と、まるで警察ごっこのようでした。

 

 昨日は「酒井ノリP」が保釈されました。そして記者会見がありましたが、今日(18日)は朝から一日中テレビでは何度も何度もその様子ばかりで、もううんざりです。新政権の事なんかほんのちょっとですから、テレビ局は政治などどうでもいいからとにかく「のりP」追っかけが第一の仕事のようです。

 

 その前に保釈された「押尾学」にしても「高相(酒井)夫婦」も、薬物の入手ルートやほかにも疑いのある芸能人、その他どこまで「芋ずる式」に逮捕されるのか、かなり注目されていたのに、またしても?なんとなくこの3人どまりになりそうです。

 

 私たちが幼い頃、何か悪いいたずらをしてしかられたとき、単純に「ごめん」といえば、「ごめんですむなら警察はいらん」とこっぴどく叱られたものです。要するに、「自分の言葉」で本当に反省して謝らなければいけないのです。「ノリP」のように誰かが?書いた劇の「せりふ」のような謝罪を言ったとき、昔の親父のような人なら「ごめんですむなら警察はいらん」と言うでしょう。

 

 しかし、押尾学の場合は現実に女性が一人亡くなっているのに、どう考えても単なる薬物使用だけで一件落着というのは不思議でなりません。六本木ヒルズのマンションもある人物が複数部屋借りていてその部屋にいろんな人が出入りしていたというのに、それらの関係者は誰一人取調べすらないのでしょうか。

 だったら「ごめんですむなら警察はいらん」じゃなくて、「悪の根源を絶たなくてすむなら警察はいらん」と言いたいですよね。

 

 話が飛びましたが、

 そうしてたっぷり掘ったから芋は、裏山のほら穴貯蔵庫に来年の収穫近くまで保存し、そのつど取り出しいろんな調理でおいしく食べました。

 仲秋の月見も、その年収穫した芋(里芋、から芋)などの農産物を供えるところから『芋名月』とも言います。

 

 当時、母の作った『から芋ダゴ』(芋の輪切りを小麦粉だんごで包んで蒸したもの)、別名『いきなりダゴ』は本当においしいものでした。『いきなり』とは、急なお客さんにもすぐ出来たからとも聞きましたが、私たちはそれを食べるやいなや、いきなり『オナラ』が出るからだと言って笑っていました。

 

 また、小学生の頃、近所の高校生の先輩から、「英語で『今何時ですか?』は、『掘ったイモ、いじったなー?』で通じるよ」と聞いて、よく練習していましたが、いまだに外国の人に対して使ったことはありませんので本当に通じるか分かりません。

 

ただ、

What time is it now?』は、確かにそのように聞こえる気もします。

 本日平成21年(2009)9月16日、鳩山総理大臣が誕生して、いよいよ新政権が始まりました。

新内閣も夜にはすべて決まるようですが、何といっても『郵政問題』を、亀井静香氏(郵政改革、金融省)が大臣になったことは、大いに期待しています。これで、みんなの郵貯・簡保の350兆円とも言われる資産がアメリカへ吸い上げられる(?)ことにならないような気がして、ホッとしています。

 結局今回の政権交代選挙は、小泉・竹中両氏の(アメリカ命令・要求?の)『年次要望書』に従わされた政策が根本にあり、それに従っていわゆる『改悪』の限り?だったのを「見直し」「廃止」「戻す」事を多くの国民が望んだ結果ではないでしょうか。

 アメリカは近年ずっと財政、貿易の「双子の赤字」で疲弊してきました。さらに昨年の「リーマンブラザーズ、ショック」による未曾有の経済悪化で、(ヒラリー・クリントン氏など)日本に『アメリカ国債』の引き受けを再三要求してきました。もちろんずっと以前の宮沢元総理の頃からです。小泉政権を引き継いだ安倍元総理、福田元総理にもです。

 現在までにすでにおそらく300兆円以上の「貿易黒字=外貨」でアメリカ国債を引き受けています。それは絶対『売ってはいけない』国債を山のように押し付けてくるのです。以前、橋本龍太郎元総理がアメリカで「こんなに米国債を抱えていたら日本も苦しいので、ちょっとぐらい売りたくなる」というようなことを言ったら、即退陣させられました。おそらく橋本氏は小泉改革の本質を知って総裁選に出馬したのではないでしょうか。ところが小泉氏に負けました。それでも「歯科医師会」からの闇献金?疑惑によって完全に排除させられました。

 安倍氏、福田氏が突然辞任したときも、あるネットでは、そのアメリカからの要求を渋ったので、ある勢力からやめさせられたという情報です。中川氏のイタリアでの「酔っ払った醜態?」も仕組まれたもの(?)とのうわさです。やはり「断ったから」(?)。

 今度の鳩山内閣はそれらに対して、久しぶりに「アメリカに(少しは?)ノーといえる日本」であってほしいと願っています。

 するとまた、野党(自民党?)は、「中国・北朝鮮の核の脅威」や「食料自給率の低下」など日米安全保障の重要性をどんどんつついて来るでしょう。それらのほとんどが「ガセネタ」だろうと私は思っています。

 まあ、政治の裏側はいろんなことが渦巻いているようで私達庶民には計り知れませんが......

ところで今日のタイトル「私は鳩山総理大臣になる」 。なんですが、

01秋.jpg 今度の「鳩山由紀夫総理」の祖父、「鳩山一郎元総理」は、昭和29年(1954)12月10日総理に就任しました。

そして昭和30年11月20日内閣改造があり、第2次鳩山内閣が昭和30年3月19日~11月22日で、私が4歳の頃です。だからまだ総理大臣が誰とか知らなかったと思います。

ところが第3次鳩山内閣が昭和30年11月22日~昭和31年12月23日でしたので、私は昭和31年4月ふるさとの神尾小学校に入学しています。

 その入学式の日、教室で新しい担任の先生が、「何でもいいから絵を描いてください」と画用紙とクレヨンが配られました。

 私が「船」の絵を描いていると、見て回っていた先生が、私の絵を見るや否や急に教室から飛び出していって、少ししたら、今度は校長先生や他の先生方を数人連れて帰ってきました。そして私の机を取り巻きました。私は何か悪いことをしたのだろうかとドキドキしていますと、校長先生が「これはーすごい!今年は天才少年が入学して来た!」といったのです。他の先生方も「ホント、ホント、これは信じられん」などとベタ褒めするのです。

 私は褒められていることが分かると、ホッとすると同時に、なんだか自分でも天才?になったような気になり、鼻の穴を膨らませながら絵を描き続けました。

 見ていた先生が、「原賀君は、将来何になりたいの?」と(絵描きさんになりたいなどの答えを期待していたのでしょう)たずねられました。

私は、天才だといわれたあとでもあり、あまり平凡な答えだと、『天才』じゃなかったとか言われそうで、感心される答えをしなくちゃと、ちょっと考え込みました。

 その頃、両親がよく「鳩山総理大臣は、日本で天皇陛下の次に偉い人なんだ。」と、ご飯のときなどに話してくれたことを思い出し、

「ぼくは、大人になったら鳩山総理大臣になりたいと思います!」と答えました。

先生方は、みんなで大笑いしながら、「そうかそうか、夢は大きいほうがいい」と言ってくれました。

だから、近所の人や、親、友人(先輩)たちが『将来は?』と尋ねたら、いつも『鳩山総理大臣』と答えていましたので、私と会えばすぐ尋ねるのです。

そして、みんな大笑いして「そうね、それは頑張って勉強しないとね」とか、「よしよし、なんでも努力すればなれるかもしれないよ」と言っていました。

誰も『鳩山』と言うのは名前で、役職名が『総理大臣』だと教えてくれなかったのです。結果どうも何か馬鹿にされているようだと気づいたのは、小学3年生の頃だったような気がします。

すでに、石橋湛山総理大臣から、岸信介総理大臣へと移っていましたので、石橋総理のときも「鳩山総理大臣になる」と言っていたのです。

今年丁度入学したぐらいの子供には、そんな子はいないでしょうね。これだけマスコミが発達しているのですから。私たちの頃は新聞かラジオしかありませんでしたので、ほとんど、親の話がいちばんの『大人の世界』の情報でした。

その『家庭での話』が遊びに反映するのが『ままごとごっこ』ですね。

『ままごと』と言うのは、子供(主に女の子)が、いかにも大人になったつもりで『まま(食事)』ごっこをすることです。

「あなた、おしごとおつかれさま」、「うん、今までの政治には困ったもんでこんなに景気が悪いとどうにもならんよ」、「そうね、でも今度政権交代したからきっと良くなるんじゃない」、「そうだね鳩山総理大臣に期待してるよ」...なんて言いながら食事の真似事をしたり、マナーの真似事をするのです。

 そのためには、家で親の話題やマナーが良い事、問題意識、政治経済、社会情勢などの情報、分析、とにかく家族のコミュニケーションが影響します。

 私たちは幼い頃、こんな遊びで「大人の世界」を疑似体験(シュミレーション)しながら育ち、大人になって「本番」を生き抜く力になったようです

 

 9月11日(金)、熊本県八代市昭和明徴町の社会福祉法人・昭和福祉会『昭和保育園』(園長・谷江美子様)のところから、『昔遊びの講習会』に私達夫婦で出かけました。

 8月中ごろ、谷園長から、「もう20年ほど続けている『祖父母の会』で、園児と祖父母と一緒に遊べるような遊と、少し昔の子供のお話しもしてほしい」とのご依頼でした。

 そのとき「どんな遊びをしてくれますか?」と聞かれ、私は最初、竹笛がいいのですが、と言ったので準備(女竹など)を進めていただいていたのですが、いろいろ考えたら、祖父母と園児では、竹笛は『小刀』を使うのでやはりちょっと危ないかなと思って急遽、クリップを使った『UFOキャッチャー』(過去ブログで紹介)と、竹とんぼの羽の部分を厚紙にし、軸をストローで作る『紙トンボ』にすることにしました。(全体の時間が1時間30分ぐらいしかないので余り手が込んだのは作れないと思った)

  午前9時からだったので、私の事務所からすぐ近くの『益城・空港インター』から高速道路を通っても約1時間ちょっとかかるだろうと思い、7時40分ごろにスタートしました。

 八代インターを降りるて、『臨港線』をどんどん八代港のほうへ向かうのですが、実はこの道路は20年ほど前はしょっちゅう通った道なのです。その頃はまだほとんど建物は無くただ広い道が一直線に走っていました。そんなところにぽつんと大きな建物があり、そこに『新聞折込・広告チラシ』の原稿をもらい、商品撮影をしに来ていたのです。(その店の開店からのお客様でした)その後、当店の業務内容の変化や、その会社の方針などもあり、うちではチラシを作らなくなりました。

 そんなことを思い出しているうちに、開店当時と変わらないロゴで、ホームセンター『フナツ』さんのずいぶん大きくなった建物が見えてきました。船津社長ご夫婦がとにかく勤勉で、年中無休で実に心の温かいご商売をされていたので、こんなにも大きくなられたんだと喜びました。ぜひ帰りに立ち寄ってごあいさつしようと、妻に言いました。(結局、違う帰り道を通ったので、お寄りしませんでした)

 園に着くと、80歳になられるとは信じられないように若くて美しくお元気な谷園長が迎えてくれました。 

 昭和保育園のあるところは、回りはほとんど広々とした田園とビニールハウスが広がる農業地帯で、昭和というぐらいで、海を埋め立ててできた農業地帯です。米、イ草、野菜(トマト、イチゴなど)など八代の代表的な農産物をかなりまかなっているところです。園児のほとんどが農家の子だとのことで、当然おじいちゃんおばあちゃんたちもです。私も農家育ちだったから、自然相手の遊びや農作業のお手伝いしてきたことが大人になっていろいろ役に立ったのだから、みんなきっと素直な園児だろうと期待しました。

 そして『祖父母の会』いわゆるおじいちゃん、おばあちゃん方もみんなそろっておられて、早速大きな教室に入りました。

 ところが『祖父母』とは言っても皆さん方かなり若いのです。良く考えてみると、自分も当然おじいさんおばあさんの年齢なのですから。私はいつも子供の頃の絵を書いたり、遊んだりしているので自分だけはまだ若いという気になっていました。

 まず、少し『なぜ子供の頃には遊びをたくさんすると良いのか』というようなことを話しました。

  1前頭前野脳.jpg

 「いっぱい遊ぶと、脳の前頭前野という、いろんなことを考えるところがものすごく活発になってくる」

「ここが、ゲームやアニメなどいっぱいやっていると、だんだん活動しなくなる『ゲーム脳』になるそうです」

「だからいっぱい遊びましょ」といったことを簡単に言って、(時間の都合もあり)早速工作遊びをしました。

 

 

3おばあちゃんと一緒、.jpg 2真知子指導.jpg

 

 

 

 

 

 

 

まずは、UFOキャッチャー。  「クリップをつなぐのも『知恵の輪』みたいで、結構頭の体操になるでしょ』  しばらくするとあちこちでできあがって、回転させながら飴をキャッチ(ちょうど写真が無い)。歓声が上がりました。

次に、紙とんぼ。

4紙とんぼ指導.jpgのサムネール画像 作り方がかんたんで、よく飛ぶのでみんなとてもおもしろがっていました。

紙とんぼ飛ばせ.jpgのサムネール画像  

 

 

 

 

 

 

 

 

  紙トンボで軸に使ったストローを少し切っていたもので、 『ビービー笛』を作る。

  6昭和,笛.jpgのサムネール画像 「ほら、なったよ」と、鳴らせてみせました。 笛を吹くことで『肺活力』を鍛えよう。『肺』が強くなると、頭が良くなるし、全身健康になるんですよ。

 

7昭和,笛.jpgのサムネール画像のサムネール画像  

 やはり、皆さん都会の中と違って自然に囲まれて暮らしておられるのでとても上手で、園児たちも(今までいろんなところに出かけたが)とても明るく、器用で元気ものばかりでした。

遊びが終わると、おばあちゃんおじいちゃんと一緒に食事会をされていました。

 私たちも園長質でおいしい、おすしご飯をいただきました。

 そんなふうで短い時間でしたが、楽しい時間を過ごさせていただきました。

 帰り道は、高速道路を使わず、八代平野の田園風景を眺めながらゆっくり帰りましたが、帰宅したときは午後1時前でしたので、行くとき所要した時間とほぼ一緒でした。

 

 私が昭和25年(1950)9月1日で、妻が9月10日が誕生日です。だからどちらも今年59歳で、来年の「寅年」は「還暦」になります。

  誕生日真1.jpg

真、ケーキ.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 私たちがちょうど20歳前後頃でしたか、「イルカ」さんの歌で、「20本のろうそくを立てて......」と、「二十歳の別れ」がはやっていて、あまり上手ではなかったのですがギターを弾いて歌ったものです。

 そこで、誕生日ケーキにはろうそくを立てなくちゃと。でも、59本だったら大火事のようになりますよね。すると、プレゼントしてくれた方(お店?)がちゃんと、長いもの(10歳分)、中間(5歳分)、短いもの(1歳)がつけられていました。

 それで何とか一息で消すことができたようです。(私も合同でした)

 本当に食べたのは3日でしたが、写真の日付は10日にしました。

 いただいた「花」、いただいた「ケーキ」で誕生祝いをしたり、『手作りお菓子』『野菜』『漬物』などなど、『ちょっと近くへ来たから...」とかいって、いろんなお客様がお土産など持って来られます。

何か私達夫婦はまわりの皆様方からいただき物が多く、いつもいつも感謝しています。

 さらに、妻は新聞・雑誌などのクイズやアンケート、プレゼントなどにしょっちゅう応募して、結構いろんなものに当たっています。

 当店は「印刷屋」ですので、年末にはかなり多くの方々の印刷をお受けしていて、「お年玉つき年賀はがきま」で一緒に頼まれるので、足らなくなるといけないから、かなりの数を郵便局から買っておくのですが、毎年どうしてもあまってしまいます。(5円出せば普通のはがきか切手と交換できるので、ミスプリントや汚損は交換します。)そのあまった「年賀はがき」を使ってどんどん応募しています。

 

次々に当たっていたのでいちいち写真にとっていなかったのですが、最近少しだけ撮ったものです。

ザクロ、真知子.jpg これは、「カリフォルニア・ザクロ」です。

 ものすごくおいしい、粒実がぽろぽろと取りやすいザクロです。(これはただのアンケートで当たったもの)

 

アサヒビール、スーパードライ「ビールサーバー」

  これは、中に缶ビールを入れておいて上のレバーを押さえると、きめ細やかな(クリーミー)が表面を覆いますので、ビールが一段とおいしくなります。ビールに泡が出るのはホップの香りとうまさを逃がさないようにするためですから、その役目を最大に引き出すのです。

 

 

 

 

「ビールサーバー」は、お中元にいただいたスーパードライの缶についていたシールを貼って応募したもの。(我が家では普通は「エビスビールが多い。ちょっと高くて贅沢なようですがあまり量を飲まないので上質なものにしている。アサヒさんは悪いけど、このサーバーの中身も実はエビス)

 

 玉名市(熊本県)のラーメン店(会員さん)どこで食べてもタダ(無料)という、「玉名ラーメン手形」(はがきで応募)

玉名ラーメン手形.jpg

 

 

後ろに私の「背後霊?」みたいな写真がありますが、この写真は私たちと同じ高校(鹿本高校)の同級生で、

写真家の「吉岡功治」君が『熊本の顔(熊本県内で活躍されている方々が掲載されている本を出版された)』という本のために写してくれた写真。

 

 

 

下の、『ゆ』のれんは、『牛乳石鹸オリジナルデザイン100周年限定のれん」です。

(はがき応募)

ゆ.jpg

のれん開け.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『仁丹の食養生カレー』

 

仁丹カレー.jpg 

  最近たまたま写真撮ったものですが、まだまだ『図書券』や『食事券』、『コンサートなどのチケット』、『お菓子引換券』などなどたくさん当たっています。(ほとんどはがき1枚)

 妻は自分でも『運が良い』といっていますが、『ジャンボ宝くじ』は絶対買いません。

 

 

 

 

 いろんなテレビ(報道らしき)番組を見ていると、どこも大体民主党が政権交代をしたことに不満のような番組内容ばかりです。

前回に比べたらこれだけはっきりと、得票率の差が出ているのに、まるで過半数の国民は「誤った判断」をしたと言っているような感じです。

例えば、高速道路無料化に対しては約60数%の人が反対しているとか、「子供手当」も、損する家庭もあるとか、かなりの人が反対していとの世論調査などを示して、「民主党の選挙マニフェストはおかしい」と批判しています。

ということは、民主党の「マニフェスト・公約」は反対でも、選挙では選んだということですよね。

マスコミは、「選挙公約なんてどうでもいいから、自民党はもう辞めてほしい」ということを国民が選んだことを証明することになるのを、わざわざ言っているのがわからないのでしょうか。

「高速道路無料化」はかえって温室効果になる、混雑する、とか「皆さんはそれが分からず(無能だから?)民主党なんかに入れたんですよ」と国民を馬鹿にしている様なものです。

公約に対して過半数の人が反対だったなら、当然自民党に入れたはずでしょ。

60%以上の人が反対しているというならどうして、民主党にあれだけ入れたのでしょうか。

選挙が終わってからの中央大手マスコミは何か不思議な気がしてなりません。(地方はそれを流さなければならないので、地方はかわいそう)

小沢氏が「幹事長」になるとの内定では、「二重構造」だとか、「鳩山傀儡政権」とかも言われますが、私は政党の役職の権力順位はよく分かりませんが、普通に考えたら、「幹事長」というのは総理大臣より偉いのでしょうか。同窓会か忘年会の幹事長みたいだと思っていました。(w)

仮にそんな重要ポストだったら、自民党の幹事長は今まで(?)「細田」さんでしょう。あの人が麻生総理を裏で操っていたのですか? そんな雰囲気には見えなかったのですが。(裏将軍は、森元総理だったんでしょ。小渕さんが突然倒れて、自分が総理になり、その後、小泉、安倍、福田、麻生総理もすべて決めて?きたんでしょ)途中から細田さんが裏で操ってきたとはどうしても見えません。

仮にそれだけの実力者なら今度の国会で首班指名はまず「細田」氏でしょ。

とにかく、もちろん一部の報道キャスターやコメンテーターですが、あまりにも民主党(まだ何もスタートもしていないのに)批判が多すぎて、マスコミ(テレビ)不信になってしまいます。

結局、テレビ局はスポンサーの広告料(CM)で運営されているので、今まで大企業の見方だった自民党を、今に至って一所懸命「何とかしなくちゃ」とやっている?ようですが、どうせなら、すかさずこれからの「与党」に乗り換えなければ。

やっぱり、子供の頃から、いろんな遊び(ビー玉、メンコなどの賭け勝負遊び)をしてこなかった連中は、その作戦が下手だと思います。

「マニュアル」だけで生きてきた連中は、いつまでたっても一つの「教科書」しか使えないのでしょう。

そのときその情勢で対処できるのは、子供のときいかに「駆け引き」「相手の顔色伺い」などなどで遊んできたかが、大きな要素になるのです。

 

■「週刊朝日」(8月21日号)のペットに関する投稿に、「18歳になった猫、犬に日本動物愛護協会から長寿表彰状がもらえる」と書いてありました。

 

 どうしてその週刊誌を見るきっかけになったのかというと、このブログにも書いた「カリスマ店長が選んだ一冊...」という、「本の甲子園」の企画に、私の本が熊本代表になったのですが、この8月21日号に載るはずだったのです。しかし選挙、酒井のりPや押尾などで1週延期になりました。そして8月28日号に載ったので、いろんな人に自慢していたら(w)仕事関係の人が「私はよく週刊朝日を買うんですよ。そういえば先週号も持っています」といってくれたのです。

 

 それを読んでいたら、「ペット(猫)」に関する読者寄稿ページがありました。その文の中に「犬猫が18歳を迎えたら動物愛護協会から表彰状がもらえるから、長生きしようねと頑張っています」ということが書いてありました。 

 

 えー!、我が家の「チャコ(母猫)」は3年前20歳で亡くなり、その娘「チビ」は今20歳6ヶ月で元気です。「表彰状がもらえる!」。

 

 すぐ、妻はその手続きの方法を東京の動物愛護協会に電話すると、とても気持ちいい応対をしてくれて、申し込み申請書などがファックスで送られてきました。(チャコは20歳まで生きていた証明があったんですが無効とのことでした)

 

◆誕生日を証明できるもの(日付入り写真など必要)とエピソードなどを記入した申請書を8月27日に送りました。

 

すると、楽しみに待っていたら9月3日に表彰状が送ってきました。

 

 

チビ表彰状.jpgすぐにチビに見せましたが、ちょっとクンクンしただけであまり興味はないようでしたが、記念写真を撮ると、何だか照れくさそうでした。(猫は自分が話題の中心だと照れる?)

 

 

チビ表彰状真知子.jpg◆さらにうれしかったのは、発行日が私の誕生日になっていました。(協会の心配りでしょうか)私は子供の頃から、何でもいいから表彰状をもらうのがとてもうれしいものです。

 

■ただ、財団法人・日本動物愛護協会ですから、今いろいろ話題になっている「天下り法人」の一つなのでしょうか。しかし、私たちにとっては、このような協会があり、表彰状、名刺(認定証?)10枚、「ペットのかわいがり方」「健康のこと」「ペットを捨てないで!」など各種のパンフレットが無料で送ってきたのですから、うれしい「心の癒し」になりました。

 

チビ長寿名刺.jpg◆政治家やマスコミが「官僚支配が悪い」「特殊法人にお金が流れている」とか言いますが、私は組織の「中身」だと思います。

 

■ただ、3年前知っていたら、「チャコ、チビ」と親子二代で表彰状がもらえたのに残念でした。

 

88.8チャコ.jpg                            1987年11月、駐車場に捨てられ泣いていた生後3ヶ月ぐらい?掌に入るくらい小さな子猫をかわいそうだったので拾って、家族になったチャコ。(写真は1988年8月約1歳)

 

翌年、生まれた5匹の中の1匹がチビ。(あとはみんないい人たちにもらわれました)

それから18年親子仲良しで私たちの家族で暮らしました。

 

 

 

090.3.20親子で.jpg  094ドール、チャコチビ3.jpg

 

 

 

 

右の写真はドールハウスの中で、当店のカウンターで「看板娘」をしているところ。(約16年勤務)

 

 

098チャコ臨終1.jpg

 

チャコは2006年2月、20歳で眠るように亡くなりました。

事務所に遺影を飾っています。

チャコに合掌

098チャコ遺影09.jpgのサムネール画像

皆さんもペットと共生し、安らぎの時を過ごし、ペットが幸せな長寿になるように愛してください。

(財団法人)日本動物愛護協会

〒107-0062 東京都港区南青山7-8-1

           南青山ファーストビル6階

電話(03)3409-1821FAX(03)3409-1868

http://www.jspca.orjp/

 

拙者、本日91日で59歳になり、妻も高校の同級生(12年は同じクラス)で、あと9日後の910日が誕生日です。

本日は、以前当店のスタッフだった「中谷亜由美さん」(現・天草市在住)から「二人まとめて誕生日おめでとう!」と「花キューピット」が届きました。覚えていてくれて本当に嬉しく思いました。

 

真知子花1.jpgさらに、グラフティ新装版を印刷していただいた「シモダ印刷(株)」の塚本氏が二人にと「ワイン」をプレゼントしてくれました。氏も同じ年で、10月が誕生日との事。

 

毎年のことですが、私たち二人は91日から10日の間の何か良いことがあった日に合同誕生日祝をします。(1回ですむように)

 

ただし、故・高田光胤先生(薬師寺管長)は「自分の誕生日は、母の受難日。母親に感謝する日」だと言われていましたので、先ずは母に感謝しました。

 

ということで、来年は「還暦」60歳を迎えます。一般会社や公務員でしたら「定年」ですが、私たちの場合それはありません。もちろん退職金も(『個人・自営』業だから月給もボーナスも)ありません。農家で育ったせいか、「当然」と思っています。身体(頭や手も)が動かなくなるまで仕事をしていくつもりです。というより、この仕事が好きで生き甲斐だからです。ただ、若い頃は自分がそういう歳になることは想像もしたことがありませんでした。

 

 1970年代初頭、学生だった頃「19997の月、人類は滅亡する!」という『ノストラダムスの大予言』や『日本沈没』が大流行しました。その時も「1999年なんてまだ30年近く先の話じゃないか。生きているかどうかも分からないし全く気にならないよ」などと、友人達に言っていました。

 

  ところがあっという間にその年はやって来ました。結局、人類は滅亡しませんでした。しかし、ノストラダムスが予言したのは『ハルマゲドン』で、それは、神が『メギドの丘(ヒル・メギド)』に世界中の悪魔(邪悪な国王)たちを集結させ、焼き尽くすという『最後の審判』だというのです。また、キリストの本当の誕生日は45年ほど誤差があり、まだ1999年になっていないという説もあったので、正確には「近々数年後」とも言われました。

しかしその後も「人類滅亡」のような大異変は起きませんでした。

 

20033月、イラク戦争が始まったとき「もしかしてこれか?」という気もしました。というのは『メギドの丘』とは中近東(イラク、シリア、トルコあたり)とされているるからです。ところがそれも考え過ぎだったようで、まだ燻ってはいますが、近々アメリカも撤退するようです。

 

ただ、『大予言』が当たるかどうか、もう『大流行?』した頃から約40年が過ぎましたので、ほとんど気にならなくなりました。そもそも、現在40歳以下の人なんかもう「ノストラダムス」なんて知らない人が多いのではないでしょうか。その人たちがマスコミや企業などの最前線で働いているのですから、ほとんど誰も言わなくなってしまいました。

 

それより、私がまだ30歳頃(約30年ほど前)NHKテレビで『社会保険庁』の高官が出て、「30年後ぐらい(今現在)には、人口がいちばん多い『団塊の世代』(昭和22年〜24年生まれ)が一斉に退職を迎え、年金制度、健康(医療)保険が非常に困難になる試算ですので、ぜひ民間の『年金型終身生命保険』に加入されることを奨めます」というようなことを言っていました。その時「これは絶対に当たる!」と確信しました。

 

 そして確実に当たりました。「消えた年金(消された年金)」や、「少子高齢化化でこのままだったら破綻する」など、政府は30年前から、「グリーンピア」や「外国投資」、「無駄遣い」などどんどん保険金を使い、実際満額支給が始まる約30年後払えなくなることが判っていて、「予測(予報?)」していたのです。

だから今現在の「年金問題」に関しては何も驚きもしないし、30年前からほぼ期待はしていません。

 

 ただ、その時も、「あと30年後のことだろう。病気や交通事故などで生きてるかどうか何の確約もないし、年金にしてもどうでもいい。」と言っていました。私はなぜか、遠い将来に対する「心配」や「予想」をしない性格です。悪く言えば「計画性」がないのですが、人間は一秒先のことも、まあ一秒は極端ですが、明日や数年後の『確実』な予想はできないという考えです。

「その日暮らし」じゃないかと言われそうですが、そうではありません。

 

26歳から現在まで、デザイン、印刷などの仕事を『個人業』でしているのですから、「計画」が最も大事になります。それは『納期』が決まっている仕事が多く、毎日今日はこれとこれを、このような段取りでしようと「自分」で決めて、自分でこなしていかなければなりません。ものすごい緻密な計画性が必要になります。あくまで「仕事」に対しては計画を立ててやりますが、自分の将来の計画ではありません。結局、独立以来ずっと30数年間、ほぼ年中無休で『なるようになりながら』生きてきました。

 

 よく人様が「たまには休んでレジャーに行ったり、気晴らしをしないと」と言われますが、興味(好み)がないことはほとんどしません。すると、今度は「そんなに仕事ばかりしていたらお金が貯まって仕方がないでしょう」という人もいます。私にとって仕事が「遊び」ですから、「遊び」に高いお金を頂くわけにはいかず、楽しいのでついついコスト(原価)にかまわず凝ってしまう(サービス)ことが多く、余裕はありません。しかし、将来の心配をしないので気にしません。「そんなことを言っていても必ず老いは来るし、病気になったら大変ですよ」とも言われます。それでも、まだそんなに老人ではなく、今は病気でもないので実感がありません。それより今お受けしている仕事や、自分で作りだしたものをいかに喜んでもらえるものに仕上げるかなど「今現在」に集中しています。

 

 私は子供の頃から、遊びや勉強も何をするにせよ、単にその時その時、その日その日を一心にやってきて、それが重なって、今に至ったような気がします。どんなに将来の計画があっても、明日急に事故死するかも知れません。それも「外的要因」だったらどうしようもありません。

 

 それを身に付けさせたのは、農村の環境だったと思います。自然界では「明日」は全く予測出来ないのです。せっかく田植えしたのに大雨が降って、大洪水になり苗は流れてしまう。大豊作でそろそろ稲刈りというときになって台風が襲来、すべて倒れて、雨で水浸し...良いこと悪いこと、予想もしなかったことが次々に起こります。そのような中で、「将来」必ずこうなるという予測が立てられるはずがありません。

 

 父達の、大水のあと急いで川の土手や田んぼの補修をしている、「現在」に集中している姿を見て育ちました。私はそんな環境で育ったので、今現在を心おきなく最大限燃焼させるようになったようです。

 ところが、近年の社会環境の「合理化(性)」では、「こうすれば(こうだから)」...「こうなる」という「予測(データ・統計)...将来決定?理論」が定着化?して来たような気がします。

 

 平均寿命が延びてきたから、「必ず」あなたも「長生き」する。だから老後の心配(計画)をしなさい。きちんと「定期検診」などを受けよう。健康食品を買おう。とか、高学歴は将来良い企業・公務員などに就職が出来る。それは、安定収入...高額年金...老後が安心。そのためには早くから一所懸命勉強(塾・名門学校)しなければならない。とか、まるで化学式か数学の答のように一種の「定義」らしきものが出来てきました。

 

 それらは、ほとんど「こうすれば、こうなる」という「未来」が必ずやって来るということが前提になっています。自然の一員である人間がそのような「定義」で生きるはずがありません。それが証拠に昨日までピンピンしていた人が翌日ポックリ亡くなったという話はいくらでもあるし、定期検診で「胃カメラ」を飲んでショックで亡くなった方もかなりいるというデータもあります。

 

そういえば以前「北朝鮮」が「核実験?」をしたとき、専門家に「日本への影響は?」との質問に対し、「CTスキャンに3回ほどあたった程度の放射能レベルですよ」と言っていました。と言うことは3回検査を受けたら、北朝鮮が1回核実験したことになるんだと思いました。また、大学卒の約40%近くがフリーターや派遣社員(非正規社員など)だともいわれます。

 

 『バカの壁』の著者、養老孟司先生もいくつもの著書の中で書いています。「近年、こうすればこうなる、という観念が定着してきたのが社会に悪影響を与えている」と述べておられます。そして「昨日の自分と今日の自分は違っている。ずっと同じ考え方、能力を保つ人間なんていない。要するに、一分一秒ごとに『体験』を積むことによって変わっていく。だから『こうすれば、こうなる』という『定義』は成り立たないのです。」と。

 

 また、『国家の品格』の藤原正彦先生も、「これから日本人は国際人を目指さなければならないので、小学生から英語を学ばなければならないという、『こうすればこうなる』という、全く未定の将来のために『前提』を定義づけている。では『国際人』とは何か?ということはあやふやなのです。まして英語をしゃべるだけで国際人になれるのか、何を英語で話すのか、まず日本語で理論が出来なければ話す内容がないではないか。まず「国語」を徹底的に学ぶべきだ。それがおかしくなると国全体がおかしくなってくる。実際アメリカ国民の約40%がまともな英語を話せない。」と、いうような、やはり「こうすれば、こうなる」の無意味さを述べられています。

 

 私は若い頃から、織田信長が愛唱していた『篤盛』の、「人生わずか五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。ひとたびこの世に生を受け、滅せぬ者の有るべきか...」を真似して歌うのが好きでした。『下天(げてん)』...宇宙...自然の営みに比べたら人間なんて小さいものだ。そして生まれたからにはいつか必ず死ぬ。と言う考え方です。

 

ただ、今すくすくと育っている子供達には、将来の夢や希望などが萎むかも知れないので問題なのですが、たまたま長寿を全うしたとしても、それは「計画」ではなく「成り行き」に過ぎません。ただし、その時その時を大切にするからこそ、「食生活」、「学習」、「仕事」なども一所懸命思考して暮らした結果、「成り行き」が良くなる確率は高くなると思っています。

 

 ちなみに私の母は、今九十二歳ですが、私が小学生の頃、両胸は「乳ガン」手術を受け、脊髄あたりの腫瘍摘出手術と三回の大きな手術を受けたのです。私が思うに、母も私と同じように、ほとんど「将来」のことは考えず、その日その日をせっせと生きてきたようです。せいぜい二、三日先のことぐらい計画を立てるでしょうが、未来とか将来なんておそらく気にしていないと思います。だからよく「なるごつしかならん」と言います。

 

 あの頃ふるさとでは時間が止まっているかのようにゆっくりと流れ、ずっといつまでも子供のままでいる錯覚があり、先のことなど考えることがなかったのです。

 

 季節はまるで神様が決めているかのように移り変わり、楽しませていただきましたが、また新年がはじまると、「お宮参り」、「雑煮」、「二城山初詣」、「二日朝湯」、「書き初め」、「凧あげ」、「こま回し」、「七草粥」、「鏡開き」、「もぐら打ち」、「どんどや」、「三学期」...「節分豆まき」、「野焼き」、...「ツバナ、ギシギシ食べ」、「子供の日」、「野苺狩り」、...「川魚釣り」、「大川川エビ釣り」、「麦刈り」、「お茶摘み」、「ホタル狩り」、「田植え」、「さなぼり」、「七夕」...「夏休み」「川魚とり」...「セミとり」、「くわがた」...「がんざん(柿ちぎり)」、「栗拾い」...「稲刈り」...「運動会」...「お宮祭り」「神楽」...「椎の実拾い」、「アケビ取り」...「うさぎ狩り」...「マラソン大会」...「メジロ落とし」...「正月準備(栗箸作り)(鶴芝取り)」...「大晦日」...また新年。と、かなり省略しましたが、毎年全く変わらない、まるで「ネバー・エンディングストーリー(終わりのない物語)」のように季節の贈り物が繰り返されます。だから、まるで一年が『双六(すごろく)』の「振り出し」へ戻ったような感じで、自分が歳を取っていかないような感覚に陥るのです。

 

 近年そういう「毎年変わらぬ繰り返し」をあまりしなくなった頃から、時がどんどん進んでいくようになったのではないでしょうか。中学に入った途端にもう三年後の高校受験に向かって「あと三年『しか』ない」と思っているうちすぐにやってくる。高校へ入っても「あと三年で大学受験」などと、常に残り時間と過ぎゆく時間に追われる感覚があるような気がします。

 

 私達の子供時代はそれが余りなかったようです。親も、「あと何日で受験だぞ」などと言ったことはありませんでした。すべて自己責任でした。しかし母は、私が中学三年の時、相変わらず遊んでばかりいるので、「そんな遊んでばかりいるなら高校にとおらんよ」としばしば叱っていました。私も反発し、二人で口げんかになりました。すると父が「お前達はせからしか。自分のことだけん、よかくさ。大人になってから仕事もしきらん時は橋の下でも暮らさなんたい」と、ポンと言いました。私はその時、初めて「勉強は自分のためにするのか」と気付きました。

 

 話は少し変わりますが、アメリカやイギリスのプロゴルフツアーに、日本人がよく出場しますが、過去に青木功が上位になったくらいでほとんど優勝しません。ある本に書いてあったのですが、例えば残り三ホールぐらいで、優勝争いの選手が同スコアぐらいで回っているとき、日本の選手は「あと三ホールしかない。どうしよう」と考えるそうです。ところが欧米の選手は「まだ三ホールもある。必ず勝てる」と考えるそうです。「しか」と、「も」では心の持ち方に大きな開きがあります。

 

 人間の「欲望」も似たような感覚があります。収入にしても「これしかもらえない」と思うのと、「こんなにも」では全く違います。

 

現在、マスコミでは「百年に一度の大不況」という言葉を、総理大臣までが言いますが、終戦が1945年で、今2009年ですから、約64年しか経っていません。ではあの、広島、長崎の原爆、終戦後の食糧難、金融凍結(昭和22年・一世帯当たり2千円しか引き出せなかった。後は政府が没収)、などの状況よりひどいと言えるのでしょうか。

 

 まして私たちが幼い頃(戦後生まれ)でも、昭和340年代、各家に、テレビ、冷蔵庫、自家用車、洗濯機、炊飯器、電話(もちろん携帯電話なんてとんでもない)、エアコン、電子レンジ、自動農耕機具、......等々ほとんどなかったのです

 

 食事にしても麦ごはんに一汁一菜、梅干し、漬物ぐらいでした。「おやつ」なんてしゃれたものはなく、柿をちぎって食べたり、牛用にカライモを外竈で煮たものを食べたりしていました。しかしおいしいものが食べたくて仕方がなかったという記憶はほとんどありません。だからこそ、盆・正月、祝儀、祭、遠足、運動会などが楽しみでした。

 

 昔のことをいうと、「時代が違う。今はそうはいかない。」などという人もいますが、人間の「心」がそう簡単に変わるとは思えないのです。『何者か?』からか「欲望」の強い人に変えさせられているのです。

 

それは、マスコミ(テレビ)かも知れないし、政治・企業かも知れないし、断定は出来ませんが、「変えさせる」事によって「利益」を得る人達がそういうふうにするのだと思います。

 

 私達夫婦はずっとあの頃のままの気分を大切にしていきたいと思っています。だから「子供時代の思い出」を本にしたり絵に描いたりするのです。そしてそれを『新しい情報』にしたいのです。なぜなら既存のマスコミがわずか340年で「心」を変えたのであれば、その頃の心に「戻せる」可能性があるからです。 

2009年10月

        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31