2009年4月アーカイブ

 20年ぐらい潮干狩りに行くことはなかったのですが、もう約30年近くのお付き合いをしている「ナイトサロン・エポック」さん(熊本市内のスナック)からお誘いがあって、楽しみで出かけました。

 場所は有明海の熊本新港のすぐ近くで、船で少し沖まで行き、引き潮でどんどん潮が引き、海の中洲が現れてきて船は底どまりします。そこで潮干狩りをするのです。

潮干狩り.jpg

 この絵は、私が幼い頃玉名郡の海岸で潮干狩りをした頃のイメージです。とにかく有明海はずっと遠浅で海の幸の宝庫なのです。

潮干狩り2.jpg 潮干狩り、真知子.jpg 潮干狩り、真知子、.jpg

私達夫婦は、とにかく「狩猟」となるとついつい必死になってしまいます。おそらく?1番多くとったような気がします。

 約2時間足らずの引き潮(陸が出ている時間)なのですが、10キロ近く取ってしまいました。

ところが今年(その日)は(今だかってなかったとの事)とても寒くて、例年は子供たちは泳ぐほどだったとの事。

 そんな寒い船内で(潮が引くまでと、帰るときは潮が満ちてくるまで)子供たちは、妻の真知子が持参した「UFOキャッチャー」をして遊びました。

UFOキャッチャー.jpg 潮干狩り隆、小西.jpg

右の写真は、私(下)とエポックのマスター小西さんです。

私達夫婦はエポック(スナック)で結婚式を挙げたのです。クリエイト・ノアは今年で創業32年。エポックさんは30年です。私とエポックさんのお付き合い(開店からロゴマークから時折のDMなどの印刷など)も30年になります。

あるテレビ番組で言っていましたが、創業30年間(創業以来の体制で)続いている企業は8%との事です。

小西さんのこのような顧客とのふれあいが長寿の秘訣なのでしょう。そして、なんとなく(?)今の不況感がありますが、このように私に息抜きをさせてもらえることが実にまた頑張っていくカンフル剤になりました。

  アサリ貝.jpg

ところで、約10キロも採って帰ったアサリや赤貝はというと、その日の夜から「バター焼」、「酒蒸し」と酒のつまみになり、朝は「味噌汁」とアサリ三昧です。

とにかく私は山村育ちですので海の幸はまるで「宝物」のように大好きなのです。

アサリさんには気の毒なのですが、とても栄養があるのでもくもく食べました。

「エポック」さんはもちろんのことですが、実はその船主の方はすぐ近くのいわゆる「半農半漁」の方で、妻は「金柑」や「なす」まで頂き、感激で、感謝感謝の一日でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本人の「単位」が変わった頃から、「心の秤」も消えた?

それぞれの国民は、それぞれの「単位(度量衡)」で生きてきた

 

■「義理」の重さを量る単位もありませんが、あの人は「軽い人間」とか「重役」などと、体重とは関係なしに「重い・軽い」と言ったり、「短気」「気長に待つ」、「深い考え」「浅知恵」などと、時間、距離の「単位」ははっきりしなくともその「状況」をそれなりの「基準数値」で測り、表現します。実は、これらの日本(広くはやや東洋的)の「測定」には全て「基準」となる数値が奥にあって出来上がったものばかりです。要するに、普通では測定できない「モノ」でも、「心や慣習としての秤」で計ることをしてきたのが日本人です。

 

◆例えば「軽い人間」とはそもそも人間の身体は頭部が全体の体重のかなりを占めていますので、あまり思慮分別のない様な人を指すのです。「重役」は一般雑兵と比べると頑丈で重たい鎧兜をつけています。「短気」な人は、「経文」を読む時間を我慢できないような人などを指します。

 

■それは、長い間の、「一定した」「単位(度量衡)」によって、生活習慣として培ってきたのです。これを、明日から「一メートルは二メートルの長さだ」、「一キロは三キロの重さだ」と変えてしまったら大混乱するでしょう。

 

■ところが、実際日本ではそれが起きたのです。1985年(明治十八年)にメートル条約に加盟、翌年四月十六日公布しました。しかし長い間日本独自の単位を使ってきたものは変えることは出来ず、ほとんど、従来の「単位」を使っていました。さらに大正時代にも強く法令化したのですが依然普及しませんでした。第二次世界大戦後、1959年(昭和三四)「メートル法」以外の単位を認めないとし、1966(昭和四一)に「土地建物」の単位切り替えを経てやっと「強制的?」完全実施をしました。

 

■ところが、今もなお、アメリカ、イギリス、オーストラリア、カナダなど多くの国々が「メートル法」に加盟しているのに、自国内ではメートル法単位を使っていないのです。(ただし、「時間単位」である日付、時、分、秒はほぼ国際的に従っています。)

 

■私が幼い頃(昭和三、四十年代)でも、普段の生活ではほとんどみんな日本独自?のいわゆる「尺貫法」で、容量は「合」「升」「斗」「俵」と、「リットル」ではその量を実感できませんでした。

 

特に今、「お米」を重さ(kg)で販売されていると、何人(食)分あるか、炊飯の水加減など、やはり「合」「升」でないと判断できません。実際、今も炊飯器にも「◯合炊き」と表示されています。また、当時は、お酒・醤油・油など1升ビンを持って行き、お店も「量り売り」で、それぞれ適量の「舛(ます)」を使うのではっきりしました。

 

 

量り売り.jpg

■重量は「kg」ではなく「匁(もんめ)」「斤(きん)」「貫」でした。魚や果物などほぼ「百匁(め)単価」量り売りで、「何円分だけください」などと言えば、予算に合うように「秤」を使い量を加・減して「釣り合い」をしてくれました。だから最後の微調整が「お釣り」というのです。

 

 

 

 

魚計り.jpg

◆さらに、なかなかメートル法に「換算」できないのが土地の「面積」です。田畑は(「坪」)「畝」「反」「町」などでないと、アール、ヘクタールではどれほどの広さか見当が付かなく、田植えや稲刈りの時など仕事の予定も立ちません。家の広さも、畳、間(けん)でないと分かりません。

◆着物生地も広さを表す「反物」と言い、和裁では「寸・尺」単位で、襟幅などつけます。

 

■私は10数年ほど前、靴屋さんに行き、今まで履き馴れていた自分のサイズを探しましたがなかなか見つからず、若い店員さんに「あの〜、十文七分はありませんか」と尋ねると、「えっ?何ですかそれは」と言われました。今はcm表示で、調べてもらうと約26・5センチの製品とのこと。

 となると、ジャイアント馬場さんの「十六文キック」という『単位』ではいかに大きいかの驚異には感じないでしょうね。

 

◆ただ、履き物のサイズが、金銭(文・分)単位なのは、下駄の大きさからくる「桐などの部材」値段差から来たのでしょうか。

「代金」のことを「お足」と言い、予算が不足したら「足が出た」とも言います。

 

■結局、日本の単位が薄れると、「一寸法師」、「一寸の虫にも五分の魂」、「悪評千里を走る」「五里霧中」「寝て一畳、起きて半畳」、「間尺に合わない」、「花一匁」など、昔話やことわざ、衣・食・住の文化、伝統、語彙、あそびまでが廃れる気がします。やはり日本人の生活の中で使われてきた「単位」が薄くなった頃から「心の秤(単位)」までおかしくなったような気もします。

 

アメリカやイギリスなどずっと植民地支配帝国主義だった国は、自国古来の単位を堅持して、伝統・好戦的精神的特徴?を守っているようです。

 

メートル法は国際単位ではない?

 

■「国際化」「グローバリゼイション」とか、「欧米に比べて日本は遅れている」などの言葉に、錯覚?させられてなんでもかんでも「欧米追従」のような社会風潮を取ってきたばかりに、人間社会にもっとも大切な「モノの量」という「秤」さえ失ってきたように思います。

 

◆十八世紀の末期、度量衡の単位を国際的に統一するためフランスが作り上げた単位系が「メートル法」です。それは十八世紀に入ると、西洋諸国は世界中へ進出、侵略、植民地、貿易が盛んになり、地図を調えたり、各国との貿易による「度量衡」の混雑があったからです。単位系を国際的に統一する必要性は学者から一般の人達も感じられ、1790年、フランスの議会で「新しい単位系」を創設する任務をパリ科学学士院に与えられました。新単位系の基礎として、地球子午線長の四分の一を取り、パリを通る線に沿ってダンケルクとバルセロナ間を実測しましたが、色々な支障困難があり、1798年に作業が終了しました。また質量面でも氷点を〇度とする「摂氏」で、蒸留水の質量を測定するなど同時進行しました。そしてフランスはこれらの作業をより国際的にするためにイギリスとアメリカに協力を求めましたが、いずれからも拒否され、メートル法の設定作業はフランスが単独で進めました。

 

 そうして1793年フランス国民議会によって採択され、この単位系は「十進法」で、長さ「メートル」、面積「アール」、体積「リットル」、重量(質量)「グラム」(後にキログラム)とし、今日の原型となっています。単位の名称は各国の国民感情を配慮して、全てギリシア語とラテン語によっています。

 

◆実測の結果に基づいた「新原器」は白金で造られ、フランスの文書保管所に納められてメートル法は実質的に完成しました。

 

■しかし、今も国連加盟国数から言えば約半数ほどしか加盟していません。またアメリカ、イギリス、アイルランド、オーストラリア、カナダ、など加盟はしているが単位そのものを使用せず、従来の「ヤード・ポンド法」を使用し、国際的貿易などの場合、メートル法単位で換算しています。また1985年国際メートル法会議でも、イラク、ギリシア、ニュージーランド、エチオピア、サウジアラビア、パキスタン、ラオス、ソマリアなど多くの国が加盟もしていない。

 

■そこで、不思議なのは、「アメリカの牛肉〇〇t(トン)が輸入されました」とか、「新建築基準法によってアメリカの建築資材が大幅に増えた」といわれますが、日本向け輸出の場合は、「メートル法」で重量を量ったり、鉄筋の直径など「特別」に作っているのでしょうか。「耐震偽造問題」でかなり米国製の建築資材が使われているというのに、「直径32ミリの鉄筋を使うところを26ミリ(?)しかないのを使っていました」と確かに「メートル法」の単位で言っていたのです。アメリカでは「インチ」のはず?です。それをアメリカ国内用はインチで作り、日本向けはミリで作らなければならなかったら、工場の設備は大変でしょうね。ある一級建築士の人に「新建築基準法ではインチやポンドを使っても良いことになっているのですか?」と尋ねたら、「いや、メートル法の、JIS(日本工業規格)だと思いますが、私達は全てメートル法で設計していますので、考えもしませんでした。今度調べてみます」とのことでした。

 

日本人は、昔の「尺貫法」と「メートル法」をうまく使い分けたほうがいいと思います。江戸時代の大名の石高にしても「1石」とはお米がどれくらいの量なのか知らない子供がいっぱいです。

 

ここでは「換算表」は書きませんが、常に頭に入れておくといろんなとき便利です。 

ベスト4.jpg

 昨年から、原作/ジュール・ベルヌ  下訳作/太田黒克彦の「15少年漂流記」(95回)、

太田黒克彦「山ばとクル」(61回)、と新聞の連載小説の挿絵を描きました。

15少年1.jpg

 

山ばとクル.jpg子供の頃から「読書感想画」が好きだったので、実に楽しい仕事です。

その日掲載される文章で自分なりにいちばんのヤマ場と思ったところを挿絵にするのです。

95回と61回で156日ですが、日曜・祭日は夕刊休みですから約半年間になります。もちろん毎日1枚ずつ描くのではありません。事前にまとめて10日分ずつぐらい描いていきます。

ただ、夕方夕刊が届くのが楽しみです。

私も小学4年生の頃から中学卒業まで新聞配達(田舎だから朝刊しかなかった)をしていたので、夕刊配達の人が来ると、「ご苦労様」といってしまいます。

 そして今年になって、また、徳永 直・作の短編3作を描きました。(1ヶ月ぐらい)

 

最初の記憶.jpg

 そして4月6日(月)からまた原作/太田黒克彦の「マスの大旅行」(68回)が始まります。

これは魚のマスが、渓流で生まれ、海に下り、海で成長してまた川に遡上していく物語ですが、主人公(マス)の男女の物語で実に面白い「自然風物詩」なのです。

今半分ほど描きあげて新聞社に納めましたが、まるで「紙芝居」を描いているような気分で、わくわくしながら描いています。

ほかにもいろいろな仕事は平行してあるのですが、この挿絵の仕事はやり始めたら楽しくてなりません。まるで映画の監督になった気分です。とにかく夢中になって描いていると、妻が「ご飯が出来たわよ。いただきまーす!」とやや強く言います。昼食の準備が出来たのに夢中になって絵筆を動かしているからです。

俗に言うではないですか、「3度の飯より好きなこと」...なのです。私にとって絵を描くことが。

 

 

木久扇はがき文.jpg 木久扇はがき表.jpg

林家木久扇師匠とはもう10数年来のお付き合いをさせていただいています。そもそも前々からのファンでしたが、1992年(平成4年)小学館「サライ」に私が紹介され(表紙絵も描かせてもらった)本文にグラフティの中の遊びがいくつか紹介されたとき、すぐあとに林家木久蔵師匠の「江戸風俗錦絵」が描かれていました。そこで落語家だけではなく実は「画伯」だったことを知りました。(あの、「河童」の絵で有名な漫画家「清水こん」先生の弟子だったそうです。)

 そうして、師匠が熊本県益城町(益城町文化会館)に講演で来られるということになり、たまたま私がそこのイベントポスターやチケットなどの印刷をやっていたので、依頼され、師匠の似顔絵を描きポスターやチラシを作りました。そして当日思い切って楽屋を訪ねたのです。

 師匠は気さくに会ってくれて、当時私が発刊していた「ふるさと子供グラフティ」と「ウィズダム(知恵)」を寄贈させていただきました。そして記念撮影をして、それ以来いろんなことでお付き合いが始まりました。

 すると、師匠は私の知らないところであちこちに紹介をしていただきました。その中でも「東京新聞」に「木久蔵交遊録」なるものに私も書いていただきました。そしてその連載をまとめた本が発刊され、その中にも掲載されたのです。

 そしてこの本を贈っていただいたのですが、木久扇交遊録表紙.jpg目次を見ると、(敬称略)表紙にあるように「藤(富司)純子」、「王貞治」、「猪木」などから、ジャキーチェーン、やあこがれの漫画家などそうそうたる人たちばかりで、その中に私達夫婦も入っているのです。

なんだかうれしくて、何冊か買って親戚縁者に配りました。

 そんなかんじでほかにもいろいろと私たちの活動をいろいろ紹介していただきました。

 あっ、そういえば何かあるとよく「木久蔵ラーメン」や「木久蔵せんべい」も送っていただき、私も初たけのこや栗、柿など送りました。

 そしてこんど、グラフティ新装版を送ったら、本当に嬉しいお便りと共に「ラーメン」も戴きました。

林家木久扇、木久蔵 ダブル襲名披露(東京・帝国ホテル)にも招待され私達夫婦で行きました。

あんな豪華なパーティは私達夫婦は田舎者ですので大感動でした。でも、わたしが「ふるさと子供グラフティ」を自費出版したことでこんなにも人生が変わって行ったのですから、皆さんも「自分の人生は自分で切り開木久蔵交友録.jpgのサムネール画像いていこう」とすれば、きっといろんな面白いことが生まれてくると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

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