2009年3月アーカイブ

だまかし.jpg

 祖父はよく素潜りなどで川魚を手づかみで捕まえるのが上手でした。

 

私は小学生の時、祖父に「じいちゃん、あそこの川に大きな鯉がうようよいたよ」と言いました。

 

祖父は「本当か」と言うやいなや駆け出していき、そして川の畔で「隆、どこにいたのかー」と真剣に探して、まだ寒いのに今にも川に飛び込もうと、『ふんどし』一つになろうとしているのを見て、私はあわてて「じいちゃんごめん、ウソついた」と白状しました。

 

祖父は「どうしてそんな嘘をつくのか」とかんかんに怒りました。私は「今日は4月1日で『四月バカ』と言ってウソついていい日なんだよ」とおそるおそる言いますと、

 

祖父は「バカみたいなことを言うな。どこの世界に嘘ついて良い日なんてあるもんか」。 私は「だって...」と泣き出しそうにしていると、 さらに「隆(私のこと)、嘘つきは泥棒の始まりぞ。それに、死んであの世に行ったとき、生前いっぱい嘘ついとったら『閻魔大王』に舌を引き抜かれるんだぞ」と言いました。

 

私は「じいちゃんはどうしてそれを知ってるの?」と聞きますと、

「それは...昔からそう言われとる」。 

「誰かやられて、生き返って、言ったの?」。 

「死んだ人間は生き返ることはない」。 

「だったらじいちゃんも嘘つきかも知れないじゃないか」。

「屁理屈を言うな!とにかく一年中、嘘をついて良い日はないんだ。人間は真正直に生きらんといかん」。 

 

結局、祖父には西洋から入ってきた『エイプリル・フール』の『遊び?』は全く通じませんでした。

 

(近年、政治家なども含んで、年中『四月バカ』をやっている人や、または『オオカミ少年』のような人が多いですね。北朝鮮ミサイル発射?とか)

 

 私達は、三月の中頃から、「今年はだれをどのようなウソでだましてやろうか」と真剣に考えたものです。そして楽しみ?の当日朝、まず両親などで試しますが、反応は祖父とほとんど変わらず、ほぼいつも「この子はうそつきだ」と叱られてしまいました。

 

ときには「あーそうか、今日は四月バカだったねー、やられた」と笑って済まされたこともありましたが、やはり日本人(特に当時)にはあまり親しまれない「遊び」のようです。

 

要は『ウソの内容』なのです。相手が本当に傷ついたり、心が痛むようなウソはいけません。

 

そして『今日は...』と明かすタイミングが大切です。

 『嘘も方便』と言うことわざもあります。やっぱり何にしても『知恵』ですね。 

 

■「センス・オブ・ワンダー」とは、「感動=ワンダー」(感動がいっぱいなのはワンダフル)する「センス=感覚」ですが、ワンダーには「不思議だなー、なぜだろう」(おかしい、間違っているようだ)などの「不思議がる」感覚の意味もあります。それは「真実」に感動するからです。

 

●そして「自然科学」というように、ほとんどの科学、物理、数学などの「定理」「理論」の元になっているのは「自然」です。文化面(文学、俳句、短歌、音楽、美術など)においても自然現象が基本と言えます。自然は「不変」だから「自然」なのです

 

■地球誕生から四十六億年間、色々な生物の進化や地殻変動はありましたが、一年三百六十五日、一日二十四時間ほぼ狂いなく時を刻んできました。もちろん「四季」もです。それらの時に合わせて動・植物も営みをしてきました。

◆「自然」にふれることで「真実」を知ることができるのです。「真実」はとても心を打ちます。そして「感動」します。

 

■自然界の中で人間だけがややもすれば「虚」「反倫理観」のことが多いのです。

 江戸時代「士・農・工・商」という身分制度がありましたが、「商」が最も身分が低いとされていたのは、「人が作ったもの」を仕入れて「利益」を乗せて売って儲けたり、利子を取って金貸しをしたりするのが、極端に言ば、当時の日本では「倫理」に反する行為だったからです。

◆キリスト教でも、利子を付けた「金貸し」は禁止されていました。

■もちろん「商売(現在経済活動)」のすべてが「虚構」ではありません。しかし、現代の行き過ぎた「マネー社会」ではかなり「虚構」がまかり通っているようです。そして多くの人が虚と気付かずにいます。私もついその気になったこともしばしばです。

 

◆しかし、幼い頃からずっと「自然」にふれてきたせいか、「真実」と「虚構」をある程度選別できるようになりました。「センス・オブ・ワンダー」をたくさん発揮しているからです。それを身に付けるには「自然体験」しかないのです。

 

■織田信長、豊臣秀吉、徳川家康をはじめとした天下人を含め、地方の有能な諸大名や城の重臣、大商人、明治維新のヒーロー達...、歴史上の偉人と呼べる人達は、当然義務教育も大学もなかったのに、地理、歴史、兵法、作戦、経済などから、夏目漱石は、幕末生まれで英語教師になりました。彼らはおそらく現代人より知識(勉強の仕方が違う)があったのは、幼い頃からの「自然・体験」だと思います。

 

さらに、近代でも松下幸之助氏、本田宗一郎氏、田中角栄氏、など「尋常小学校」卒でも然りです。

 

■また、自然は「裏切らない」ことを知ることによって、自分もまたそれに報いるために「努力・勤勉・忍耐(待つ)」の心をもつことができます。

 

 言い替えると、自然ではなく、だれかが作った「人工(モノ・情報)」に心を動かされたら、中には必ず「虚(だまし)」「失敗物」が存在します。いわゆる「不自然」だからです。すると、裏切られたり、失望する羽目になり、悪くするとなにもかも信じられなくなって「反発」「報復」「失望」することにもなります。

 

■勉強でも仕事でも、成果を「信じる」ことで努力するのです。

 

では「信じる」という感覚を身に付ければいいのですから、必ずウソを言わない自然と接することでそれができるのです。そしは確固たる「信じる理由(摂理)」を見極めることができます。オタマジャクシには「必ず」足が出てくる。水辺の「やご」は「必ず」トンボになる。冬のあとには「必ず」春になる。「すみれ」の茎から「レンゲ」の花が咲くことはありません。

 

■また「信じる」心が増えれば増えるほど、「ウソ・だまし・間違い」を見抜くことができるようになります。なぜなら、信じるに足る「理由(原理)」を分析できるようになっているからです。

 

◆しかし、これはそれを念頭に置いて身につくものではなく、あくまで、自然の中で実際、無数のことに興味と感動を体験していくうちに、まさに「自然」と身につくものだと思います。

 

「こうすれば、こうなる」...英語を覚えると「国際人」になる。高学歴は高収入職業になる。などは全く「定義」付けできません。

 

■かの、「レーチェル・カーソン(アメリカ)」女史が提唱した「センス・オブ・ワンダー」は、彼女自身が1960年代亡くなる前に子「最近供たちにセンス・オブ・ワンダーが少なくなってきている」と警鐘を唱えていました。私が高校時代(十五歳ぐらい)です。その頃三歳ぐらいの人が今四十歳台。その後ますます「自然」とふれあう子供達は少なくなってきました。未就労者、失業、フリーターはちょうど四十歳代から三十歳代がいちばん多いようです。

◆それと比例して、日本も米国も世界経済はどんどん悪化してきました。しかし家計に占める教育費は伸びているのです。何が一番の勉強なのかです。

本サイン.jpg 「ふるさと子供グラフティ(新装版)、「ふるさと子供ウィズダム(知恵)」、「ふるさと子供遊びの学校」を、ネットまたは直接お電話でご注文された方には、ご希望であればサインをしています。

 宛名は、ご本人(御夫婦など)、お子様や、お孫さん、会社名、学校名など団体名などご希望にあわせて書いています。ご贈答の場合、相手様の名前と送り主の名前と、合格、入学、就職、結婚、誕生日、初節句、などのお祝いや、記念、快気祝い、引き出物など今までいろんなものにご利用いただいてきました。

 グラフティ、ウィズダム、遊びの学校はそれぞれ違った3種類の寸画を描いています。

 また、直接ご注文の場合、紙箱入りになっています。(書店では箱なしです)

さらに写真のような季節の絵葉書を2枚ほどつけています。

送料(郵便書籍小包:1冊340円、2冊450円、3冊590円、4冊は1冊と3冊に分けます。または3冊以上で関西以南は契約運送会社を使用。5冊以上は送料無料

※ただし、ウィズダム、遊びの学校送料無料。

だから、「グラフティ新装版」もそれらと一緒になると無料となります。

・振込み手数料(120円)(1回につき)を加算いたします。

(振込用紙が、手数料加入者負担のため)

 

毎日どんどんサインをして送り出しています。ほんとうにうれしいです。

新装版は5000冊印刷したのですが、デビュー2週間も経っていないのですがもう半分以上を突破しました。18年前は半年で15000部突破しました。

いや、本が売れて儲かるからうれしいのではありません。もちろんそれもありがたいのですが、一人でも多くの人、特に子供たちが、早く目覚めてほしいのです。今10歳だとしたらあと十年そこそこで大人になって一生懸命「自分の食い扶持は自分で捕まえる」ようなたくましい大人になって欲しいからです。まだ間に合うと信じています。

 今の日本の風潮は絶対おかしいような気がします。

 少しでもあの頃の時代の子供のように強くたくましく、自然に優しい心を持って欲しいと思っています。

 

 

脳出血で病院へ運ばれ、治療がはじまったときからの続きです。

この経験をしつこく書くのは、私は56歳の時発症したのですから、だれもがその可能性を持っていると言えるからです。皆さんも参考にして欲しいと思ったので書きました。あれから2年で再発もせずほぼ快復しています。

それは、発症から約340分で病院へ着いたのが良かったとも言われました。その時間を「ゴールデンタイム」と呼ぶそうです。

プロレスラーの何とかさん(知らないですみません)もそのゴールデンタイム内に病院へ行ったから今復活しているとの事。

ただし、もっとも大切なのは自分自身がパニックにならず、冷静に対処することだと思います。私の場合、いろんな状況を経験していますのでほとんど「どうなるのか」とか「どうしよう、恐い」とかほとんど考えませんでした。これが言いたいことです。「ふるさと子供シリーズ」3作で書いているようにいろんな経験・体験をしているとそんなにあわてないようになるのです。

 

担当の医師に「何が一番の原因ですか?」と訪ねましたら、「一番はストレスで、あとは肥満などから来る高血圧です」と言われました。

 

ただし、ストレスにはいろいろあって、きつい、辛い、不満等やマイナスのストレスを一般的には連想しますが私はそのようなストレスを感じたことはあまりありません。実は「大きな喜び」も大きなストレスになるとのこと。例えばゴルフでホールインワンをしたりすると、あまりにもの嬉しさで脳卒中を起こす人が結構いるとのこと。 

私の場合もその後者だったのかも知れないのです。発症2カ月ほど前に、企画提案コンペで認められ研究費60万円を受賞したり、熊本日日新聞社の著名人が連載される「私を語る」を依頼され執筆を始めたこと、テレビ出演、本がどんどん売れたこと、楽しい仕事も続々入ってくるし、いちどきにラッキーなことがドーンと重なったのです。何もかも楽しい気分でした。

 

 ところが、実はずっと以前から(いつ頃からかは不明ですが)血圧が高かったのです。

 

5年ほど前近くの薬局に行き、「目が充血しているので血圧を下げる薬はないですか」と尋ねると、薬局の人は「それは血圧だけのせいではないですよ。そこに置いてある血圧計で測ってみてください」。初めて血圧計を使いました。上が254、下が182と出ました。横にいた薬局の人は、「あっ、すみませんこの血圧計はおかしいですね」と言って新品の箱を開けて血圧計を出し「これで計り直してください」。何がおかしいのか分からず計り直しました。また、ほぼ同じ数値が出て、薬局の人はびっくりした顔になり「どうもないですか?」 「別に。」 「あなた、大変ですよ、薬局で薬を買っているところではなく、すぐ病院へ行った方が良いですよ」とかなり興奮しています。わたしは「そうですかー」と、不思議そうに帰りました。

 

妻に言うと、妻もあまり血圧のことは日頃何も言っていなかったのですが、「薬局の人がそう言うなら病院へ行った方が良いんじゃないの」と勧めるので、翌日行きました。病院でもほぼ同じ数値が出て、先生もびっくりしました。薬をもらって帰り飲んだのですが、何か急に立ちくらみがしたようになりしばらく休みました。「ボクは生まれつき血圧が高いんだろう。それで調子がいいんだから急に下げると末端まで血液が行かなくなりおかしくなるかも知れない」と素人判断し、それ以来薬も飲まず、「なめて」いたのです。

 

 そうして、脳出血を発症したときも上は約230ほどでした。

 集中治療室に運ばれると、右手に数本の『点滴』針が刺され、胸に『パッチ』が貼られ、頭のすぐ上の方で『ピッ、ピッ、ピッ』と『心電図』の波形が映る機械の音が鳴り出し、血圧、脈拍数が映しだされました。だんだん正常(140ぐらい)になりました。昼になったのですが点滴のためかあまりお腹はすきませんでした。夕方になると無性にお腹がすいてきたところで「夕食」が出ました。右手は動くので器を置いたまま、スプーンできれいに平らげてしまいました。脳内出血とは言えどこもほとんど痛くも痒くもないのです。

 

 そしてそこで一夜を過ごしたのですが、すぐ両隣の患者さん達は一晩中「ピーピー」と危険信号が鳴り響き、数人の医師や看護士さん達が駆けつけてきて、「大丈夫ですかー、聞こえますかー、ここがどこか分かりますかー」などと緊急処置が行われていて、なかなか眠れないので、左手足が動くかどうかいろいろ試していると、少しずつ動くようになり、足はかなり戻りました。これは、十数年前から「文芸かわち」の印刷でお付き合いが始まった久家佐和子様が3年ほど前、九十歳の高齢なのに大腿骨骨折で入院され、手術数日後から辛くとも一生懸命リハビリをされ、わずか数ヶ月後に退院されたのを知っていたので、私も早く復活してみせるというファイトが湧いてきたからです。

 

 翌日昼、一人部屋に移されました。もちろんまだ歩くことも、左腕も少し動くだけで、指はピクリともしません。妻がやってきて、「もう今年は年賀状の印刷はやめましょう。」と言いました。当店は本業はデザイン・印刷業で、ちょうど今年も来年の年賀状印刷が始まった矢先だったのです。私は「それはいけない。もう三十年間も毎年ご近所の人たちが頼みに来られるのに、今年はしませんでは、申し訳ない」 「でもあなたがこうなったのだから、仕方がないじゃないの」 「いや、まだ11月9日だし、ちょっと待ってもらえばすぐに退院して出来るからとにかく、やれるだけは何とかして欲しい」と言うと、妻も「わかった」と、すぐに病院から帰って仕事をしました。その日の午後になるとつかまり立ちと、左手もずいぶん動くようになりました。

 

そして入院二日目の夜を迎え、なかなか寝付かれないまま3日目の朝を迎え、朝食が済み、トイレも自力で行きました。その後先生が様子を見に来ました。

 

私は「もう帰りたいのですが。」と切り出しますと、「退屈ですか。でも、脳出血なんですから、せめて1週間は入院してください」。「いや、妻が一人で年賀状印刷でおろおろしていないか心配なんです。それにうちの事務所はここにいるのとほとんど同じ状態で、ただ横のソファーに座っていろいろ指示してやれば妻も少しは気が楽になりそうなので。体の調子がおかしくなったらすぐタクシーで戻ってきますから」と嘆願しますと、「じゃあ、(リハビリの)療養士を呼びますので、自宅療養が出来るほどの快復状態か診てもらってから、一応外泊許可を出せるかどうかにしましょう」と根負け(?)されました。

 

私はその女性療養士の先生の前で精一杯がんばって(?)動いて見せました。結果、外泊許可が出て帰宅し、翌日土曜、日曜日だったので、月曜日の朝、「もうすっかり大丈夫です。退院します」と電話で言って、妻と病院へ行き、診察を受けて、正式に退院しました。結果的には小学校の修学旅行(二泊三日)程の入院生活でした。その後、家の近所の「託麻台病院」を紹介され、脳外科の村上先生の診察、投薬、リハビリ(顔面・言語、左足、左手)三患部にそれぞれ三人の療養士先生(全て若い女性)方たちの世話になりました。

 

そして、「わたしを語る」の校正、挿入イラストなどを描きながら、年賀状は例年とほぼ同じくらい多数の方々からのご注文を何のトラブルも起きずに出来ました。またそのほかにもいろんな仕事の依頼もあったのですが、普通と何も変わらずこなすことが出来ました。

 

友人知人の方などは「こんな大病のあとだから少しはゆっくり休んだら?」と心配してくれたのですが、私は「血圧が高くなるのはストレスがいちばん悪いそうですよ。私は好きな仕事をしていないとどんどんストレスが溜まるのです。せっかく治療で血圧が下がったのにまた上がって今度は右手がやられたらそれこそおしまいですよ」と笑って答えています。ただし健康に対する考え方は大いに反省しました。

 

そうしながら、「わたしを語る」が回を重ねていくごとに、「ふるさと子供グラフティ」を発刊したときと同じように、連日あちこちから共感やお褒めの手紙や電話が届きだしました。そして十二月二十日、四十五回で終了しました。すると、今度は「寂しい」とか「もっと続けてください」、「一冊の本にしてください」など沢山のご要望がありましたが、私の原稿に巧みに筆を加えていただいた編集部の改原正憲氏によって読者の方々を引きつけたのでしょう。ただし45回で集約したことは今までの半生のほんの一部であり、自分の思い出としても前々から書き残しておきたかったので、『わたしを語る』に沿って、多少枝葉も含んで改めて回想していつか本にしたいと思っています。

 

ただ、ここでもずっと適当に書いていきたいと思っています。

 

「おりしも近年、「年金問題」、「医療問題」、若年層の犯罪多発、いじめ、不登校、とじこもり、自殺など「教育問題」。犯罪の凶悪化、家族間の犯罪、社会、家庭環境の変化。「食の安全」、「食糧自給率(カロリーベース)低下と食の多様化(欧米化)」など即身体に関する健康問題。さらに、テレビゲーム、パソコン(インターネット)、携帯電話などのいわゆるIT関連の社会問題。「保険金殺人」、「マルチ商法」、「ネット販売」などの詐欺事件。......要するに昭和三十〜四十年代には存在しなかったものから派生した問題です。昭和25年(1950年)生まれの、いわゆる「団塊の世代」の末席に属する私達の年代、日本が大きく移り変わっていく中で、日本中どこにもあったような普通の山村で育ち、21世紀の現在に至るまでこうして生きてきて、今、自分は世界一幸せ者だという人生を過ごしていることに、共感されることでもあれば幸いです。

 

こんごすこしずつ私の「奇跡?」的人生を語っていきます。

 

 

 

 今日もまた、電話やネット、ご訪問でどんどんご注文が入り本当に嬉しく思っています。

そろそろあちこちの書店にも並ぶようですが、何せ二人でやっている小さな自費出版の出版社ですから知る人ぞ知るという感じです。しかし、かの「ピーターラビット」も自費出版でした。

 ところで『嬉しい』というのは、このちょっと昔の暮らしを懐かしいというと共に『取り戻したい』という思いの人がこんなにもいることが嬉しいのです。昨日送った方々が今日、「こんないい本を作っていただきありがとうございました。これは絶対一軒に一冊もっていて、家族みんなで共有したら、きっと楽しい家庭になると思います」というようなお電話を頂き、嬉しく思っています。

 先日福岡の西日本新聞社を訪れたときも、「この本が2000円(税別)で出来るなんて信じられない。これは一家に一冊もつべきだ」といわれましたが、実際私どもも、赤字では発行しませんが利益や儲けを考えることよりとにかく今の日本の素晴らしい『もの』を残したいというのが願いなのです。

 今の世の中にそんな「きれいごと」を言って、おかしいと思われるかもしれませんが、どう思われようと私はこの日本の文化、歴史、思想などが大好きなのです。どうしても残していきたいと思っています。もちろん私がまだ子ども時代だった頃からせいぜい高校生時代までの日本ですが。(1930年代~70年ごろまで)いや、もちろん弥生、江戸文化からの熟成とも言えるのでしょうが。

 当時何が好きだったかといえば、ほとんどのみんなが「自己責任」が強かったからです。要するに自分のことは(出来る限り)自分で、の精神が強かったと思うのです。

だから自分でいろんな工夫をしたり努力して「成果(獲物)」を手に入れたときは大きな喜びがありました。

 私はよく自己自慢します。ほとんど遊びが主体の本を3冊発刊していますが、すべて実体験したものだけを掲載しています。あれだけを遊んでいたら、家で勉強なんてほとんどしていません。しかし小学生時代たまに4か3が一つぐらいのほぼオール5の通信簿でした。中学生のころも成績順はすべて廊下に貼り出されていましたが大体1番か、最悪で7番だったと記憶していますしそのときは泣きました。

 要するに、子ども時代遊びに熱中するということは「集中力」が身につくのです。授業時間内にその集中力によってほとんどを理解していけばいいのです。

何も家でだらだらと勉強する必要はありません。

それと、自然遊びの中でいわゆる「センス・オブ・ワンダー(不思議、感動、興味などを感じる感覚)レーチェル・カーソン提唱」を身につけたら即学問や研究心にあふれるのです。

 私は今幸せです。なぜなら自分の好きな仕事をして生きていられるからです。その幸せを作ってくれたのは子ども時代の「自然との戯れと遊び」だと確信しています。

 今日の「説教」はこれで終わり。また... 

 

 

 3月3日、熊本日日新聞で「ふるさと子供グラフティ、新装版』が紹介されました。

 実は、この日は、この本を書店に配布してくれる福岡市の書籍流通会社『株式会社きんぶん図書』さんが手配してくれた新聞社周り(福岡市)に出かける日でした。大体こんなときは夫婦一緒に行動するのですが、もしかすると新聞を見た方々が本の問い合わせやご注文の電話をされるかもしれないと思い、妻は留守番で私一人で出かけることにしました。

 午前8時過ぎごろ熊本交通センター発、私の家から約5分のところで『益城・空港インター口』という福岡行きのバス停で8時33分、高速バスに乗り、約1時間30分で10時過ぎに福岡に着きました。

 きんぶん図書の亀割氏が待っていてくれて、懐かしい福岡の町を歩き出しました。

 学生時代から、『秀巧社印刷(株)』の営業時代ずいぶん、まるで縄張りのように歩いたり飲みまくったところです。しかしもうずいぶん変わってしまっていました。

 最初に毎日新聞社様へ訪問したのですが、1階ロビーから見えたのは(今もそうなのか知りませんが)東急ホテルの1階パーラー(?)が見えました。学生時代あの高いガラスから、中でコーヒーを飲んでいる女の子に、外からガラス面を両手でたたきながら「エレーーン」と叫び、外に出てくるように促す『卒業』ごっこを何度もやったものです。果たして、何回ナンパしたかは秘密にします。

 話は飛びましたが、そうして毎日新聞社でいろいろと私のこの本にかける思いを熱く?話しました。田舎の昔話をしていますと、何と取材記者の方が、私のふるさとのすぐ隣町『南関町』出身だったのです。話は弾みました。きっと面白い記事を書いてくれると期待しています。

 それから、西日本新聞社様が会っていただき、以前西日本新聞社様には連載記事を掲載していただきずいぶんお世話になっています。おそらく近々面白い記事にしてもらえるものと期待しているところです。

 また、福岡では私が学生のとき天神に行ったらまず第一番目に必ず寄って何か面白い本はないかと訪ねていた『金文堂』書店に行きました。学生時代はこんな大きな書店の中枢部に訪問するなど考えたことも無かったのですが、社長さんや専務さんなどとお会いして何か自分も『作家。著者?』になったような気分を味わいました。

 それから、亀割氏が赤坂の先の「けやき通り」にある面白い(?)本屋さんに行ってみますとの事で、『ブックス キューブリック』と言う書店に行きました。実際こじんまりしたよく本を選んで売っているという感じのお店でした。普通の書店ではただ送られてくる本を委託販売するというのが割合を占めているのですが、このお店の社長は自分が吟味していると言う感じが直感的に見える売り場でした。私が学生時代、箱崎あたりでよく通ったこだわりのご主人が座っていた古書店のような空気が漂っていました。

 そうそう、向かう途中、学生時代、デザイン用品でしょっちゅう行っていたお店は何だったかなと忘れそうになっていたのですが、もう30数年前と同じところにちゃんと『山本文房堂』があって、なにか自分がデザイン科の学生だった頃よくこの店に新しいデザイン用品などを物色に来たものだと懐かしくなりました。

 そうそう、この通りの前に『西鉄グランドホテル』があります。学生時代よくここのも来たものなのです。「えっ?学生の分際で』と思われるでしょうが、1階レストランでよく食事をしたのです。『焼き飯』『カレー』など普通のレストランと変わらない値段で、結構おいしかったからよく来たものです。

 ただし、あるとき、私とあまり変わらない田舎者と二人で食事に来たとき、何かメニューを頼んだのですが、ボーイさんが「オードブルはいかがいたしましょうか?」と言った感じでした。その友人は、「いや、ふつう盛りでいいです」と言いました。ボーイさんは不思議そうにしていました。彼は「大丼はいりません。並でいいです』と言いました。(本当のに実話です)

 そういえば、赤坂は福岡地方裁判所があり、そこの食堂が安くてよく行ったものです。どうしてそこを知ったのかと言うと、私がスピード違反をして呼び出されたとき行って、丁度お昼だったから初めて食べたのですが、定食で50円ぐらいだったのです。

 まだいろいろ福岡エピソードはいっぱいなのですが今日(3月4日)は、留守番だった妻が熊日新聞の記事で殺到した沢山のご注文の電話を受けており、その本にサインをしたり、配送、荷造りなどでもう疲れました。

また後で続きを書きます。

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