いつも飯山一郎氏のブログを読んで、色々な情報を得ています。
政府マスコミはほとんど何も言わないのですが、やはり関東地方ではかなり大変なことになっているようです。もう1年以上にもなるのに、かなり内部被曝量が蓄積しつつあるであろう子供たちをなぜ逃がさない(疎開させない)のか、本当に日本という国家が信じられなくなってきます。

これから続々被害者が現れても、放射能との「因果関係」は絶対に認めないような気がします。
水俣病でも、和解(完全ではない)には30年以上かかっています。

これで、原発の再稼動? みんなで真剣に反対しなければ本当に日本は滅びるような気がします。

飯山一郎氏のブログより

http://grnba.com/iiyama/

この一年、鷲が健康上もっとも用心したことは心筋梗塞だ。
「老人は放射能の影響を受けにくい」と言う学者がいるが、大間違い。
老人は、免疫力(マクロファージの数)が劣っているし、心臓の冠動脈
が詰まりやすい。
この冠動脈が詰まると心筋梗塞になり、処置が遅れると死ぬ。

実際、福島原発事故後、現職の市長の急死が相次いでいる。
過去10ヶ月間に市長6人及び、副市長1人が急死、加えて市長2人が
心不全、膀胱がんによる病気療養を理由に公務を離脱している。
福島伊達市の仁志田市長も先月、急性の心筋梗塞で県立福島医大
に救急搬送されている。
1年間に現職の市長6人が急死。 こんなことは過去にはない!

この心筋梗塞の原因について、マスコミは震災による精神的なショック
やストレスなどと報じているが、ウソである。

心筋梗塞の原因は、放射能である!

ただし、心筋細胞にセシウムが蓄積されて心筋梗塞になる...。こんな
生やさしい機序ではない。

いったい放射性物質がどんな機序で心筋梗塞を発症させるのか?
「知らない識者?」が多すぎるので、書いておきたい。

さて...、
血液が運ぶ栄養分と酸素。この三分の一は、実は心臓で消費される。
つまり心臓には大変な量の血液が流れこんでくる。
問題は、心臓の血管(冠動脈)は細いので詰まりやすいことだ。

311以降、日本人の血流に大変なことがおこった。
血液が、栄養と酸素のほかに放射性物質も運ぶことになったのだ。
この放射性物質が放射線を発射しながら血管のなかを流れる。
この放射線が、心臓の血管細胞の細胞膜を猛烈に破壊する。
すると、細胞の中からアテロームという粥状の脂肪が浸出する。
このアテロームが心筋梗塞の原因。
じつに簡単な機序なのだが、「知らない識者?」が多すぎたよーだ。

(引用終わり)

 そもそもなぜ日本は世界第4位(アメリカ・中国・インド・日本)のGDPというのに、ここまで税収が低いか。

それは「租税負担率」が低いからだ。その主な要因は1989年に消費税を導入した後、その前と比べて大企業などの法人税率を42%から30%に引き下げ、「富裕層(高額所得者)」の税率を最高60%から37%に引き下げたからだ。

特に、官僚、天下りなど高給取りの元々の原資が税金であるのにまして税率が低くなっている。消費税収は、1990年には4.5兆円から、2005 10.5兆円に増えたが、法人税は18.4兆円から12.5兆円、所得税は26兆円から14.7兆円に減少した。その結果、国の税収は60.1兆円から47兆円に落ち込んだ。今年度は40兆円を切るようだ。

したがって、国の税収を増やすためには、法人税率、高額所得者の最高税率を消費税導入前にもどすことだ。

 次に、消費税率を上げた場合だが、税率を上げても、富裕層から多くの消費税は取れない。富裕層は、収入の大半を消費税がかからない貯蓄や株・土地の購入などに使い、消費支出の割合が低い。事実、年間収入約300万円の世帯では平均86%を消費に使うが、1400万円を超える世帯では半分以下の42.7%にすぎない。

 年収1億円の人が、所得税・住民税、社会保険料などを納め、残りは貯蓄や株・土地の代金にし、2000万円を消費すると仮定すると、そのすべてを国内で使ったとしても、消費税額は5%の100万円。消費税率を10%に引き上げた場合、増税額も5%で100万円増収となる。

 一方、年収1億円の所得税率を5%上げれば、500万円の増収になり、消費税を5%あげた場合の5倍の税収になる。

 しかも、「消費税には逆進性 がある」ため、税率引き上げは、庶民に重くのしかかり、消費が低迷する可能性が高い。それはひいてはますます不況になるし、小売店なども売り上げ確保のた め価格引下げを図るので、ますますデフレが進む。それこそまさに「デフレスパイラル」に陥るだろう。

 政府の調査でも、年収に占める消費税の割合は、年収300万円の世帯で4.2%、一方、1500万円以上の世帯では1.4%にすぎないことが示されている。

 なお、一部の富裕層は、所得税だけでは「捕捉が困難」という面はあるが、これは相続税やぜいたく品に適正に課税することで補うことができる。逆進性のある消費税を引き上げることでは、「捕捉」できなく、貧富の格差を広げるだけである。

ま して一番問題なのは、非所得者(子ども、年金受給者、疾病者、身体障がい者など)からも否応なしに徴収することである。さらに言えば昨年の東日本大震災の 地域や奈良・和歌山など全国の自然災害被害者など明日の生活保障もない人達の最低限「衣・食・住」にまで税金を掛けること自体が実に悪税である。

消費税増税を図ろうとするより、この税そのものの廃止に向けてもらいたい。

消費税がもっとも嫌いなことは、子供から税金を取るからだ。

1925年(大正)の普通選挙選挙(25歳以上の男子)制度が出来るまで、納税額で選挙権が与えられていた。現在では20歳以上の男女で、納税額には問わず誰でも(一部除く)選挙が出来るが、未成年(子供)には選挙権が与えられていない。

民主主義の根底にあるものは、国民の「義務」と「権利」のはずである。

税金という義務は押し付けて、選挙権は与えない。

し かし、15歳未満ではまだ教育の途中段階であるので、選挙に対しては色々と無理があることは理解できる。まして収入も無い。(15歳未満の勤労所得は禁じ られている。)当然保護者(知人)が与える金銭で消費するのであるが、現実的には消費税は払わなければならない。立派な納税者である。

 

 会社・法人は各種の品を購入した場合、「必要経費」として利益から控除することが出来る。当然税込み金額を。

では就学中の子供だったら、学用品、文房具、書籍など、いや映画、音楽、スポーツ用品、遊び用品、IT機器などすべて人間成長過程にとって「必要経費」のはずである。

 

仮に、それらを保護者が与えた金銭で購入した場合、保護者は子供に代わって必要経費として収入から控除してもいいはずである。

 

結局そうなると、赤ちゃんのオムツ、ミルク、服、電気光熱費、食品、いや「衣・食・住」などすべて、「人間生活」の必要経費になる。

 

ま た、凶悪犯の受刑者すら納税者にもなっているといえる。子供と同様彼らには収入は無い。(懲役受刑者はいくばくか支給されるが)しかし、国家が税金で購入 し(税込み)衣・食などを与えられる。最終消費者なのだ。消費税とは「最終消費者」が支払うものである。刑務所は最終消費者ではない。

 

よって、消費税なるものは、まったくの虚税である。

 

やはり根本は、昔でいうところの「ショバ代」とするべきである。

「ショバ代」とは、祭りの縁日で出店を出すときにショバ(場所を後ろから呼ぶ隠語)代を、祭りの主催者に支払うもの。

または、博打(バクチ・賭け事)に参加するとき、負けるか勝つか分からなくとも支払う、いわゆる参加料。結局仕事をする場所が無ければ、利益も損も無いのである。

 

だから、この日本国内で稼いだらその分税金を払うのがもっともふさわしいのだ。要するに国は道路や国防、治安、ライフラインなどを、税金で作って、ショバを与えているのである。

 

もちろん、そのショバ代(所得税)の率は当然儲けの額によって決めるのは良いだろう。

そして、絶対必要品、必要品、段階的贅沢品、などと段階的に「物品税」を復活すればいい。

 

とにかく消費税は、非常におかしい税である。

■地震・津波・福島原発事故が起きてもうちょうど半年ほどが過ぎました。

ほとんど復旧はおろかますます色々な問題が増えてきています。

◆現内閣(行政)が悪いと言うだけでなく、どこ彼処に『歪み』が頂点に達してきているような気がしてなりません。

例えば、●福島県など放射線の多い所の子供たちを「避難させない」。

●3800億円近くの義援金(日赤分だけでも)がまだ800億円ほどしか支給されていない。

●仮設住宅も完全にできていない。(あれで東北の寒さに耐えられるのか)

●福島第一原発は1号機~3号機メルトダウン(メルトスルー)して、建家外で最高10シーベルト/毎時、が記録されている。(10シーベルトまでしか計れない計器で針を振り切っている)ほぼ7シーベルトで100%死亡(即死に近い。1999年の東海村3名死亡のとき約7シーベルト)。これがずっと今も出続けているのです。

●そして、福島県内はおろか、かなり広範囲まで放射能汚染が進んでいるが、乳幼児、小・中学生などがじっとそのまま暮らしています。政府は「(強制)疎開」もさせません。(先の大戦のときは政府が強制疎開させた。それは仮に戦争の勝敗に関わらず国家将来の宝だからである。=種族存続がすべての生命の最終目的)

●肉牛は、すでに3000数頭以上全国に出回っていて、ほとんど消費されてしまったころに、「出荷停止」になりました。どうして以前に検査しなかったのか。

●そろそろ新米がとれるのに、果たして放射能はどれほどなのか。ほぼ安全だという。それはそうだろう、『作付け』を許可したのだから。

●というか、今も最初少し騒がれたが、野菜、果物は、「風評被害=悪」だと言わんばかりに現在ほとんど計測数値は発表されず、かなり市場に出回っています

都心部では、九州、中国、四国の生鮮物をあさって仕入れ、そのトラックは東京で積荷を降ろし、空車で帰るのは燃料損なので、売れ残りの関東方面の野菜、果物を関西へ運んで帰る。こうして全国へ汚染は広がっている

それを『風評被害』ともいうものがいるが、実際数値をはっきり公表しないのであれば「風評」ではない。

まして『暫定(安全)基準数値」は誰が、どうやって決定したのか。

人類はまだだれも『結果』を出したことはないのである。あの、チェルノブイリでも25年以上も経ちいまだにちゃんと健康被害は続出し続けているのだ。

また、現在チェルノブイリでの暫定許容基準値は、穀物、野菜などほとんど日本の平均約10分の1に近い。

●また、原発の冷却放射能汚染水は海に流して、さらにその後大雨も降り河川からも海に流れ込んでいるだろう。とすると当然海産物、魚介類にも及んでいるだろうが、「カツオ」の水揚げがあっていたがその数値も発表されない。


●避難地域も、コンパスで輪を書いた線をずっとそのまま。●当然その線内は瓦礫もそのまま。ただ毎日、降り注いでいます。10キロ、20キロ、...あるテレビニュースでおばあさんが「うちのすぐ前の道が境目だ。1メートルしか離れていないのにここは安全なのかねー」といっていた。実際バリアーがあるわけでもないのに、まったく笑い話である。


■そして八月六日・広島、八月九日長崎の原爆記念の日がやってきました。そこでは毎年必ず「核反対」が叫ばれますが、「原発」に対しては『許容』する派がいます。

◆しかし、『核兵器』と『原子力発電』は全く同じ物なのです。それは、『原料』が同じだからです。「核廃絶」を願うのであれば、「原発」も廃絶しなければ、いつでも核兵器に転用できます。というか、今回の事故はまさしく「核兵器」だったことをことを実証しました。広島型原爆の1000倍に匹敵するのですから、広島では約20万人の人が亡くなりましたが、その時は、ウランを臨界(圧縮)にするための火薬量が4トンもあったため、ほとんどの人がその熱で亡くなったのです。だから、今回は純粋に放射能被害を200倍だと仮定しても(今後10数年かけて)約4000万の人が何らかの被害で亡くなることも想像できます。

■そうした、まさに日本歴史始まって以来の大惨事が起きているのに、まだ「電気が少なくなったら困る」とか「電気が使えなくなるから工場が外国に行ってしまう」、「レジャー産業や商業が不振になり経済が悪化する」...などと、煽っているマスコミもいます。

◆前記したいろんな迅速な対処や農水産物もほとんど放置?していること、各種の「誘導」も、おそらく、その「出所」は政府(行政・官僚=マスコミ)だと確信します。結局、農業、漁業など「実害」の予測を元に非難させたらその保障が膨大だから、とにかくできるだけ『自分たちで経済活動をさせよう』という魂胆ではないのか

まさに「経済のためなら国民の命などどうでもいい」といっているような気がしてならない。(これは実際そうなのだ。というか、明治以来どうしようもないのである。そのうちその理由を書きたい)


 だからこのような政策では、こんな小さな国土の日本は、全国民が滅亡するかもしれないのである。

しかし、政府(支配者連中)は、10年、いや50年後、100年後の日本など自分はどうせ死んでいるからと考えているとしか思えない

今の子供たち、いやその子供たち、孫、その孫、彼らのことは考えていないのだ

これほどひどい国家為政者は考えられない実際自分は死んだ後のことかもしれないが、その自分が今存在しているのは誰のおかげなのか。

ずっと営々と数万年前の先祖からの「命の連鎖」ではないのか。

あなたは決して草むらや土の中からポット生まれてきたのではない。

その時代時代の先祖たちが、戦い、自然災害、人的争いなどのサバイバルを経てきて、あなたにつながっているということをなぜ分かろうとしないのか。


指導者たちは、そのことを心におくなら決してその『種』を絶やすことは出来ないのである。ややもすると明治以降ずっと日本は『種』の存続に危ぶまれてきた。

『悪魔』に心を奪われてはならない。そして今現代の地球の『悪魔』の存在を目を凝らして知るべきである。これは決して宗教・哲学論的悪魔ではなく実際生きた『人間悪魔(集団)』のことである。






 近代、地球人類は資本主義と共産主義の二つの陣営で「選択」を模索してきて、近現代共産主義はほとんど敗退してきた。(中国共産党は異質)

 今回の原子力発電事故は、資本主義における経済を採るか、人間の健康安全をとるかという究極の選択になっていると思う。
それは、日本の電力、医療、燃料などを国営にしたらどうかと思うのだ。
 
 東電は今の収支を維持するためには「停電」をしたら、当然売り上げが落ちるので、リストラするか、値上げしかないだろう。
もちろん国民が節電を努力しても結果は同じだ。それだけ売り上げが落ちる。

 だから、停電しても節電しても東電は困るのである。

そして単純に言えば、...例えば「自動販売機」「ネオンサイン」「ナイター」「深夜営業のコンビに」「パチンコ」「公営ギャンブル」「ゲームセンター」「風俗店」...人間が最低生きていくのに果たして必要なのか。
いや、それらに従事している人たちにとっては大打撃になる。

それは資本主義(自由経済主義)だからだ。まったく、「風が吹けば桶屋が儲かる」的連鎖が起きる。

だから、自由経済社会の中では「必要」「不必要」の線引きは出来ない。

では、共産社会ではどうだろうか。

すべてを国営にして、「必要」「不必要」を国民が選択し、不必要なものと選択した事業に従事する人たちを、必要な事業に振り分けて、いわゆる生きていく保障をしつつ雇用する。またみんなで助け合いながらやっていく。そうした社会は実現できないのだろうか。

いや、私が理想としているのは、ユダヤ人であるマルクスが思索した「共産主義」ではない。
恐らく、現実は知ることは出来ないが、約1万年近く続いた日本の「縄文時代」のようなものである。
もちろん、現代の科学・文化はそのまま恩恵にこうむるのであるから、思想・心理のみを縄文時代に学べば夢のような社会になるのではないだろうか。

 私が60歳を越した(もう余り人生が長くない)から、そんなことが言えるのかもしれないが、なぜか若い(中学生)ときから私はそんなことを考えていた。

それをよく母は「お前は欲がない、みんなに負けてはならない」と叱った。そして「お前は共産党みたいだ」といった。
しかし、その性格で生きてきた自分だが、かなり幸せな人生だと思っている。

おそらく、これは夢のような考えだとは思うが、少しずつでもいいので、この機にに変わって(戻って=当時の農・漁村田舎はまるで共産主義だった)欲しいと思っている。

余談だが、以前数年間、私の昭和40年代のふるさとの子供の風景イラストが、「東電ソフトウェアー」の社内報の表紙を飾っていた。

あの、風景を採用した東電は心の中では、あの日本の原風景を取り戻したいと願っていたのではないだろうか。

それを、アメリカ、日本の一部の政治家などによって、原子力発電をしていることへの「罪悪感」を、薄らぐため私の、屈託のない子供たちの笑顔を採用したのではないかと、今思っている。

 1、からの続き。

 だから、あの悲惨さを見て、楽しく遊ぶ子供たちの絵を描く気になれず(というか、今は描けなくなりました)
 今までの各種自然災害のときの避難所で、水、食料、ガスなどがなく避難後が大変な状況になる様子が報道されていました。

 そこで、「花峰」の「原賀隆一の昔遊び教室」コーナーは、「ふるさと子供シリーズ」に描いていたいろんな「野外活動ごっこ」から抜粋して掲載しようと思い、急きょ「サバイバルごっこ」にしました。

文章もこんな感じです。〔一部省略〕紙面がA41ページですので、レイアウトは違います。


 西日本では直接大きな被害はありませんでしたが、日本列島はいつどこでも起きる地質条件の上にあります。もし自分にこのような災害が降りかかったとき、機敏な対応で逃れる行動ができるかです。そして幸いに助かってもその後のサバイバル(生存)行動が重要になりますが、パニックになることが多いのです。現代では電気、ガス、水道いわゆるライフラインがなければ何もできないような生活に慣らされているからです。そうならないためには、普段からその様な状況を想定しながらいろんな経験をしておくことが大切だと思います。

 幼い頃、自然のいろんな「道草」を実際に食べたものです。もちろん大災害の時、こんな草だけ食べて長く過ごすことはできないかも知れませんが、結構ミネラルや水分は豊富ですので、「食べられるもの」を知っておくことは役に立つでしょう。

 もっとも大切なものは「水」ですが、いざとなれば川、池、最悪は穴をほって地下水を探してでも、沸かして殺菌できます。そのためには「火」をおこす(燃やす)ことも必要になります。すると煮炊きもできます。

また、被災地では子供達の体調が悪くなる原因として、トイレ(仮設)が不快で排泄できず食欲がなくなるとのこと。結局、生きるためにはいろいろと体験しておくことです。


■食べられる植物

1道草.jpg

■野外炊飯■かまどつくり■火の燃やし方■飯ごう・鍋炊飯
これらの材料は、あくまで平常時に「野外活動」のとき持って行った物ですので、今回のように大災害が起きてからはなかなか揃えることは出来ないでしょうが、「ライフライン」が遮断されているときで、まだなんとか使えるものが見つかれば役に立つでしょう。

鍋にはトタン板や大きめの空き缶なども使えます。

2野外炊飯.jpg

3飯盒.jpg



■竹筒炊飯〔もちろん湯沸しなら簡単に出来ます〕竹は殺菌効果もある。
4竹炊飯.jpg
■紙で湯沸し
お湯だけ沸かすのなら、紙でも出来ます。〔煮炊きは出来ない〕
カップめんやミルクなどを作るときはいいです。
5.紙で湯沸かし.jpg
そして、やっぱりトイレが問題になるのですが、私たちが幼いころは我慢ならないときは野山、川ででもやったものです。臭いが気になるときは、このときだけ「口呼吸」をする。
※本当はウンチの色・形状・臭いは健康状態のバロメーターですから、観察するのも大切です。もちろん小便も。

6トイレ.jpg
 ただし、大災害が起きてしまってから、急にこれらをやり始めてもなかなかうまくいかないかもしれませんので、平時のときから体験しておくことがいいでしょう。また、「覚悟」しておくことが大事だと思います。

 平成23年3月11日午後3時頃、関東・東北地方に日本観測史上最大のM90の大地震が起きました。直後、太平洋沿岸地域は未曾有の津波が襲い、筆舌に尽くせない大災害、さらに原子力発電所の爆発、停止で関東地方は電力不足となりました。被災地には心からお見舞い申し上げます。

 私はちょうどそのとき、

福岡市のエディットオフィス「瓢箪座(中野由紀様)」 http://www.hyoutanza.com からのご依頼で、

福岡県糟屋郡新宮町「花峰クラブ」(野元多津子会長)会報誌の1ページ〔年間4回〕の仕事をしていました。

事務所のテレビで国会中継を見ながら、ご依頼の「春号・草花遊び」のイラストを描いていたのです。

すると、突然予算委員会室のシャンデリアが大きく揺れ始め、菅総理や与謝野大臣たちが天井を見て驚いていました。

その瞬間テレビの画面はパッと切り替わり、「地震速報」となり、東北地方の各地の海岸〔港町など〕が映し出され、「津波警報」が出て、大体20数分後に到達でした。

そのときは、地震そのものの被害(阪神・淡路大地震のときのようなビルの崩壊など)はほとんど見られなかったので、私は「いつもこんな風に津波警報を出すが、せいぜい港の岸壁が浸かる程度じゃないかな」と妻に言いながら見ていました。

しかし、警報では約10メートルというところもあるように表示してあり、「えーっ、10メートルといったら我が家の屋根を越すじゃないか。そんな津波なんて、いつも少しオーバーに言うんだ」と画面を見ていました。そして、「ほらもう時間になったじゃないか。あー少し上がってきた......あっ、すごいすごい、あんな大きな船が流されている。あー、もうあの魚市場の1階は屋根まで来たー、わー、堤防を越した、家が流れている。」

見る見る間に街を押し流して陸地を上がって行きました。

今までいろんなSFパニック映画を見たけど、こんなすさまじいシーンは初めて見ました。

それは恐らく、いろんな監督もここまでのシーンは想像出来なかったからだと思います。

ところがこれが目の前で「現実」に起こっているのです。それまで絵を描いていた右手が小さく震えるのを感じました。もちろんもう絵を描くこともできなくなり、 テレビの実況画面に釘付けになりました。

それから、まるでドミノ倒しのように平野を、家や車、船などを飲み込みながら、ものすごいスピードで押し進んでいくのです。(あれは誰が撮影していたのでしょうか。ヘリの画面)

各地の実況中継が約30分間ほど続いたでしょうか。やっと止まっていきました。

※数日経ってから、横一直線になって白く波打ちながら第2波がやってきている画面が映し出されますが、あれは海岸までで陸地までは上がりません。(いかにもあの津波が襲ったかのように編集されています)最初のすさまじい津波はジわーっと押し寄せてきてみる見る間に大きな圧力に変わったのです。

 もうその日は仕事をする気にはなれなかったのですが、そのページの納期が15日ぐらいに迫っていますので、しなければならないのですが、最初のご依頼〔希望〕が「春の花遊び」ですので、子供達が野原で楽しそうに笑って遊んでいる光景と遊び方を予定していました。〔2へ続く〕


今私の友人からムービーが転送されてきました。

 

 今度の大地震災害を世界中の人達が応援している映画です。

 

 

  http://www.youtube.com/watch?v=IxUsgXCaVtc

 

 

今現在は、陰謀説などとりあえず考えても仕方がないときではないでしょうか。もう起きてしまったのですから。これから日本がどうするかにかかっていると思います。

日本の素晴らしい「自然」を取り戻し永遠に残したいものです。

 

自然と相対するのが「人工」です。人工物は多くが「ウソ」で固められ、すべていつか必ず壊れます。もちろんお金も原子力発電、政府なども人工物です。

 

 

 ラフカディオ・ハーン(Lafcadio Hearn)小泉八雲が「極東の将来」と題して、熊本(五高=現・熊本大学)最後の講演(明治27年)を行なったその一部に次の文章が出ています。

 

"Nature is a great economistShe makes no mistakes

The fittest to survive are those best able to live with her

And to be content with a little. Such is the law of the universe."

 

『自然は最も偉大な節約家である。それは絶対にミスをおかさない。

最後まで生き残れる人は、最も上手に自然とともに生きて行ける人たちであり

少しで満足することができる人たちである。

すなわち、これが天地万物の法則である。』

 

 そして、この講演の締めくくりに「簡易・善良・素朴(そして賛沢を憎む)」という『熊本スピリッツ』が出てきます。

 

 人間も「自然の一員」であることを忘れないようにしたいものです。

マスコミでは「近年、医療の発展に伴い高齢化が進み...世界一の長寿国になっています」といい、以前、NHKで「江戸時代」は約50歳、と時代を遡るにつれてどんどん短くなり「弥生時代」の平均寿命は2、30歳だった。と(学者?が)『断言』したように言っていました。

 

しかし、なんと邪馬台国の時代はかなりの長寿だったことがちゃんと『魏志倭人伝』に書かれています。その他、礼儀作法や合議、法律・刑罰の類などもあります。

『女王国・邪馬台国』の様子を記録した部分(漢文)を抽出してみました。写真は原本(写本)の一部です。

 

倭人伝1.jpgその一部を簡単に現代風に訳すると、

 

●彼らの会合の場での立ち居振る舞いには、父子や男女の区別がない。

 人々は生まれつき酒が好きである。大人(たいじん)や敬うべき人物に会ったときには、ひざまずいて拝する代わりに拍手(合掌)をする。

 

●人々はおおむね長生きで、百歳、八、九十歳の者が(かなり)いる。その地では一般に大人は四、五人の妻を持ち、下戸(げこ・身分の低い者)でも二、三人の妻を持つ者がいる。婦人たちは身持ちがしっかりとして、嫉妬することもない。

 

●人々は盗みをせず、訴訟ざたは少ないが、法(しきたり・決まり)を犯す者がいると、軽い場合はその妻子を没収し、重い場合には一家一門が根絶やし(すべて処刑)にされる。

 

●部族間の役目関係や、尊卑についてはそれぞれ序列があって、上の者の言いつけはよく守られる。租税や賦役の徴収が行われ、それぞれ、それを収める倉庫が置かれている。

 

(邪馬臺〈音声・ジャマディ­=理想郷〉連邦の)

●国々に市場が開かれ、それぞれの地方の物産の交易が行われて、大倭(たいわ=倭の中のもっとも大きなクニ)がその監督の任に当たっている。

 

●女王国より北の地域には、特別に一大率(軍隊)の官が置かれて、国々を監視し、国々はそれを畏れている。一大率はいつも伊都〈イツ〉国にその役所を置き、国々の間でちょうど中国の刺史のような権威を持っている。

 

●倭王が(魏の)都や帯方郡や韓〈カラ〉の国々へ使者を送る場合、あるいは逆に帯方郡からの使者が倭に遣わされるときには、いつも港で荷物を広げて数目を調べ、送られる文書や賜り物が、女王のもとに届いたときに間違いがないように点検をする。......

 

などと書かれています。

 

卑弥呼時代の方が『民主主義、会議での男女同権、健康長生き、子孫繁栄型大家族、倫理・法律、刑罰、防衛』など今よりずっとしっかりしていたような気がしてしまいます。

 

結局、魏の使節も当時の邪馬台国のしきたり、長寿、防衛、管理体制などにある程度『驚いた』から、ほとんど余裕の無い字数の中にこうしたことをしっかり書き込んだのです。

 

中国は『4千年の歴史を誇る漢方医学』という割には70歳を『古稀(希)』といいます。これは「70歳、古来より稀なり」、要するに70歳まで生きるのは稀だという意味です。だから魏の使節は当然驚いて魏志倭人伝に書き記録したのでしょう。

 

礼儀、法律、刑罰も、わざわざ書き残すということは、自分たちとは違っていたからです。同じなら、『我々とほぼ変わらない暮らし』とか記録するでしょう。

 

それを、ことさらに?日本の古代は相当『遅れていた』ように、教育、マスコミで教えるのは「中国」「朝鮮半島」のほうが、すべてにおいて優れていた(現代も?)と洗脳?するためのものではないかと思えるほどです。

 

結局、仏教、米(五穀)、金属、蚕、文字、何でもかんでも『大陸伝来』というコンプレックス?を日本人に押し付けるための『歴史解釈』にしたい人たちがいるようです。

 

少なくとも上に書いたものはすべて日本発です。

もちろん本当は南方(台湾・沖縄)経由ですが。

(特に米は亜熱帯植物ですので寒い朝鮮半島から下へ降りてくるはずはありません)

エジソンといえば誰もが認める発明家です。蓄音機や白熱電球の実用化で有名になった企業家でもあります。

 

そんな彼が残した有名な言葉がこれです。

「天才とは1%のひらめきと99%の努力である。」

 

一度は聞いたことのあるこの名言!

しかし・・・

 

エジソンが言いたかったのは

「1%のひらめきがなければ、99パーセントの努力は無駄になる」

 

つまり、真逆の事を言っていたというのです。

 

後年「エジソン」はこんな事をいったそうです。

「記者によって努力を強調する文章に書きかえられてしまった。」と・・・

 

その言葉が世に出た、会見の席でエジソンに質問をした記者がいました。

 

記者

「エジソンさん。ひらめきについてどうおもいますか?」

 

エジソンは

「生またばかりの赤ちゃんの頭脳にはリトルピープル(地球外生物)が住みやすい構造になっている。このリトルピープルが人間をコントロールしているのだが、大人になるとこの声が聞こえなくなるのだ。

 

しかし、この1%のひらめき(リトルピープルの教え)を感じとることができれば、99パーセントの無駄な努力をしなくとも大丈夫なのさ。」

 

と、理解不能な答えが返ってきました。

しかし、記者は努力が大切なんだ!と解釈したために、冒頭の名言が誕生したのです。

 

そうだったのか~。エジソンさんは努力よりも充実した心(センス・オブ・ワンダー=幼い頃の鋭い感受性・ひらめき)を持っていれば、いいアイデが浮かぶと言いたかったのかも知れませんね。

ただ、がむしゃらに(暗記・受験勉強・知識偏重など)努力するより、子供時代には自然の中でいろんな体験(遊びなど)をしながら、『リトルピープル』と会話をする時間を持つことが良い人生を送ることが出来るようだ。

しかし、まったく何も努力しないのは、やはり『リトルピープル』も、愛想をつかして頭の中から出て行ってしまうでしょうね。



  1030日(土)朝9時フライトのANNで東京へ飛びました。

前の週末、土・日は熊本テレビ朝日主催のイベント(グランメッセ・総動員数約5万人)で2日間子ども達に遊びを教えました。また本業の仕事などなど連日の疲れで私も体調が悪かったのですが、妻はカゼで前日から声がかすれて出ず、熱もあり辛そうでした。

さらに、台風が近づいているようで、果たして明日は飛ぶのだろうかと不安でした。でも、夫婦で出席する予約もして、航空券も買っていましたし、大きな名誉でもあり欠席するわけには行かず、早朝熊本空港に行くと何のことはなく予定通り運行とのこと。朝9時熊本発の羽田着に搭乗しました。

 そんな多用で準備もままならず、ズボンの多少の汚れや、妻はスカートを荷物に入れ忘れた事など、飛行機の中で気付いて「時すでに遅し」と言う状態です。

 奄美大島に台風が上陸し、丁度羽田着頃に近畿地方に上陸するような事で心配ではありましたが、墜落する様なことはないだろうと飛行機とパイロットを信じていました。

東京上空になると激しい雨で空は暗く、飛行機は大きく揺れ、機内のあちこちから「わー」「きゃー」など聞こえて来ました。妻はもう少しで「もどす」ところだった様です。

 着陸はスムーズでほっとしました。モノレールを降り、浜松町からタクシーで会場の「アルカディア市ヶ谷」へ。館内で昼食を済ませ、(実はこの賞が決まって数日後、授賞式会場であるこのホテルの予約状況をネットで見たら既に満室でした。おそらく全国の受賞、入選者関係の方々などで予約されていたのでしょう。他を予約して、ここもキャンセル待ちをしていたのです。結果ここが取れ、他をキャンセルしました)、実はチェックインは3時からですが、妻の体調などもあって1時過ぎでしたが「特別」にキーをいただき、親切な配慮に感謝しました。10階の予約室へ着き、ほっと一息つくことができました。

 少し休んで、すでに1時開場の、5階・作品展示・表彰式会場に行き、受付で名前を告げると、「おめでとうございます」といわれ、「第13回日本自費出版文化賞 地域文化部門部門賞 原賀隆一」と達筆な筆文字で書いてあるピンクの大きなリボンを胸に付けて戴き、久し振りに誇らしく嬉しく思いました。

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会場には入賞・入選・1次選考通過作品や過去の入賞作品などを展示してあり、それぞれの方々の強い思い入れがあり、どの作品も力作で、個性的でした。

全国あちこちから、入選者、受賞者、出版・印刷関係者、マスコミ関係など多くの方々がこられていて、想像していた以上に大きな賞だと、改めて受賞の喜びと名誉があふれてきました

 2時から式が始まりました。自費出版をする方の相談にのる「自費出版アドバイザー認定式」。その後が表彰式です。

応募作品641点の中から1次選考120数点、2次選考で64点が決まり(入選)、その中から受賞作品の特別賞4点、部門賞6点、大賞1点です。

それらの賞に選ばれなかった方々は入選となり、多くの方々がご来場されていました(まずそのかたがたから表彰状が授与されました)。

私達入賞者11人が壇上横の特別席で待機、そして特別賞、部門賞、大賞の順で表彰されました。私は部門賞のトップバッターでした。部門賞、大賞は副賞(賞金)が授与されました。

この写真は、「自費出版ネットワーク」会員の安楽城出版・黒石昭二様が撮影したものを後日贈っていただいたものです。(もらっているのは私ですが、私が会長に授与しているみたいな感じです)

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 今年から受賞者は5分程度のスピーチをとの事でしたのが、普段話している「グラフティ新装版」を出版した経緯と、自分の思いを言えばいいと思っていたし、約90分ぐらいの講演はもう何度も喋っていましたので、5分間程度ならほとんど自己紹介みたいなものだと思って練習(原稿)はしていませんでした。

他のかたがたはちゃんと原稿を書いてこられていたので、私はしまったと思いましたが、私は普段の講演でもそうですが、会場でその場の雰囲気や年齢層などを見て話します。日本語と熊本弁の2国語しかしゃべれない私は、脱線したり、きつい方言で笑われたりしますが、迎合せず自分の思いはきっちり述べます。そして、私なりの独特の体験とこのような本を書いたきっかけを短くまとめました。

 そして、いつもの自論ですが、「この本で現代の子ども達に物づくりの楽しさ、考える力を持つようになり将来の日本を担って欲しい。この本が未来の日本を救うことになると確信していますので、政府は子供手当でこの本を全国の子供に配布して欲しい」などと大ボラ(笑)を吹きました。

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会場の皆様方は大笑いでしたが、表彰式の後の「懇親会パーティ」ではいろんな方が話しかけに来られ、「お話には感動しました」などと交友を深めました。

ところが、このスピーチには後でかなり反省しました。というのはこの賞は「自費出版」の賞なのですから、もっとも大切なのは「自費」と言うことです。

私はほとんど金銭の工面はしないのです。経理(資金繰り)はすべて妻がやっています。

 だからこのスピーチで、「こんな本を出版して、夢を叶えてくれた妻に感謝して、この賞は妻に捧げます」と、言う部分を飛行機の中までちゃんと考えていたのですが、時間を気にしてついつい忘れていたことを、あとで眠れないほど悔やみました。(やっぱり、今後はちょっとしたスピーチでも原稿を書こうと決めました)

 全員の授賞式が終わって記念撮影。中央が日本自費出版協会理事長(審査員のお一人)の中山千夏氏。私はその左横にずうずうしく座っています。(いや、協会の方に席を促されたのです)

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 撮影会が終わり、妻と一緒のところを係りの方に写してもらいました。

この受賞は二人で勝ち取ったものです。というのもこの応募を出したのは妻(発行人)だからです。

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だから、スピーチのときみんなの前でそれらのことを言っておいたら、妻もあんなに熱は出なかったのではないかと思いました。(私もですが、褒められると元気が出るからです)

 結果、夜8時頃パーティも閉会して、授賞式のすべてが終わり、やっと二人でホテルの部屋に戻ったところで、妻は気丈にふるまっていたのでしょうが、どっとカゼの症状が勢いを増し、高熱の襲われ、私はフロントから氷枕と風邪薬(市販のもの)をもらって、ホテルのタオルを湿らせて冷蔵庫で冷やしたりしました。

 そうするうちに、私はパーティでお酒を飲んでいたのでうとうと眠ってしまいましたが、妻は一晩中眠れずきつそうでした。

 翌朝、少しは良くなったようですが、相変わらず熱と咳は続いていました。

 だから、東京見物も何もなく、10時ちょっと前に(飛行機は午後1時発ですが)さっさと羽田へ向かい、お土産話にと、つい先日オープンした「新羽田国際線ターミナルビル」でモノレールを途中下車して一寸見物しました。

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珍しさもあってか、江戸小路風のショッピング通りは大勢の人でごった返ししていて、飲食店などはどこも長い行列で、ゆっくり見て回ることも出来ない状態でした。

 田舎物の私としてはこの人ごみがつらくてすごすごと立ち去りました。そして、またモノレールで一番奥の第2羽田に行き、熊本行きの飛行機に乗り込み、やっと1泊2日ぶりに帰ってきました。

 熊本へ帰って二人の第一声は「やっぱり我が家が一番いいね。都会は疲れるね」でした。

妻は、1週間たった今はほぼ元通り元気になりました。

私は相変わらずです。根が「我が道を行く」というか、無神経、マイペースなのでしょうか、ストレスがあまりないようです。

 

19年前初めて自分の本を自費出版してからずっと、実にいろんな事がありました。まさに、「運命」が変わりました。

もちろん私達夫婦にとって「良い人生」になったのですが、やはり「運命」とはもともと「決まっているもの」「待つもの」ではなく、自分で「創るもの」だという事を今更ながら実感しています。

 皆様も、是非「自費出版」してみませんか。私が挿絵もふんだんに描いて、編集します。販売ルートもできるだけのことは致します。

運命が変わるかもしれませんよ。

過去に数人の方がかなりの部数販売されています。

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